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 ∴ハンジ

 「分隊長、ここにサインしてください!」

 大量の書類の束を部屋に運び込みながら、悲痛な訴えを叫ぶ。先ほどちらりと見えたモブリットさんなど、少しでもハンジさんの仕事量を減らして負担の軽減に努めようとした結果、書類という名の山に埋もれて瀕死状態だった。しかし分隊長も分隊長で、山と積まれた書類の間でうんうんと唸っているのを見て、それ以上口酸っぱくなど言えなくなる。声をかけても良いものか悩んでいると、分隊長がわたしに気が付いてくれた。

 「あ、ああ、なまえ。いつからそこに……」
 「今です。すみませんが、この書類も追加でお願いします」
 「分かったよ、そこに置いておいてくれ」

 書類から目を離さずに言った分隊長に返事をしてから部屋を出る。向かうのは給湯室だ。あれでは根を詰め過ぎている。休憩でもいれないと、倒れてしまうかもしれない。

 分隊長はいつもそうだ。少しはゆっくり休んで寝てくれないものか。そうは思うのだが、あの仕事の量ではハンジさんをゆっくり寝かせてなどくれないだろうということも分かっている。それにハンジさんは巨人の研究もしているから猶更時間がないのだろう。本当に大変な立場の方だと思いながら甘めの紅茶を淹れた。少しでも休憩を取って疲れが取れたら、と、甘いパンケーキも一緒に付けて部屋に戻る。


 「失礼します」
 「あれ、どうかした?」
 「軽食をお持ちしました。少し休憩なさったらどうですか」

 そのほうがきっと仕事の効率も上がるだろうと進言すれば、分隊長は口を閉じて書類の束を見上げた後に頷いた。「確かに肩が凝ったよ……」「あとでマッサージしましょうか」「あははは、お願いしようかな」、そんなことを話しながら紅茶とパンケーキを手渡す。間延びした声でお礼を言った分隊長が紅茶を一口、そして至福そうな顔をしたのを見てこちらまで嬉しくなった。

 「もう少しでこちらの仕事も片付きますから、そうしたらお手伝いに来ますね」
 「ああ、すまないね。それにしてもすごい量だ。研究をする暇もないよ。でも気が利く可愛いなまえがいるから私まだ頑張れるってものだ」
 「あはは、モブリットさんにもその台詞を言ってあげてください。きっと喜びますよ」

 周辺のものを簡単に片づけながら言う。分隊長は「モブリットも良い子だね」なんて言ってから言葉を区切った。


 「掃除をしてくれて……、こうして軽食を準備してくれて、仕事の手伝いをしてくれて、陰ながらに支えてくれるって、なまえはきっと良いお嫁さんになるね」
 「へ? お、お嫁さん、ですか?」

 考えたことも無かった。そもそも調査兵団にいるのだ、お嫁さんなどという一般女性の幸せなど追いかけるつもりもない。ただ心臓を捧げた人類のために、そして人類の進撃の糧となるためにここにいる。そんな日はきっとこの先来ないだろう。それにそんな相手もいないと笑うと、分隊長は答えた。


 「知っているかい、この間読んだ本に書いてあったけど、昔の人は結婚相手の顔も見なかったそうだ。結婚式が済んでからようやく相手の顔を知るなんてことも珍しくなかったようだよ。その点私達はお互いの事をよく知っているし、もちろん顔だってよく分かっている。たくさんの人混みのなかにいても、なまえのことを見つける自信だってある。癖だって知っているし、お互いの長所も短所も知り尽くしていると言っても過言じゃないんじゃないかな。昔の人と違ってね。そりゃあもちろん私たちは心臓を捧げた兵士さ。だけどちょっとくらい、幸せを味わってもばちは当たらないんじゃないか。というか何事も経験だ、そうすることによって今まで気が付かなかった新たな境地を切り開けるかもしれない」
 「あの、分隊長?」

 何が言いたいのかよく分からない。戦うしか能のない馬鹿なわたしにも分かるように教えてくれないかとそれとなく尋ねると、ハンジさんはこれ以上なく綺麗な笑みを浮かべて口を開いた。


 「私達さ。結婚、しようか」


 あなたはいつも、何もかもが唐突です。


 ∴エレン

 「は?」

 まん丸の目でこちらを見たエレンに苦笑いを浮かべる。

 「もう一回言う?」
 「え、いや……は?」

 完全に動揺しているらしい。目をぱちくりとさせて、ぽかんとしてわたしを見るエレンに苦笑を崩さずに続けた。壁に囲まれた街がよく見える土手に立ち尽くすエレンの隣に腰かけて、吹いた風に靡く髪を手で押さえる。

 「お母さんがね、早く結婚しなさーいって言うの。それで、その、お見合いの準備をされてるんだ。相手の人の顔も見たことないから、ちょっとやだなーって。怖い人だったらどうしよう。お母さんはわたしに任せていたらいつまで経っても良い人が見つからないだろうからって好意のつもりみたいなんだけど、わたしはやだなあ。知らない人と結婚なんて」

 訓練兵になることを志願して開拓地を離れたエレンに対して、わたしは町に残った。だからわたしたちは、たまの休日にしか会えない。アルミンとミカサも含めて四人で会おうなんて言ったら、その予定はきっと遥か先のことになってしまうに違いない。それくらい会えないのだ。だからその短い時間を大切に楽しく過ごしたいのだが、どうしても口から零れてくるのはそんな愚痴ばかり。全部突然に婚約なんて話を持ってきたお母さんのせいだと唇を尖らせる。もちろんお母さんのことは好きだし、このご時世だ、色々と心配してしまうのも分かっていた。だけどあまりにも唐突過ぎて、不安になってしまう。


 「あはは、マリッジブルー、なんちゃって」
 「お……お前は、それで良いのかよ」

 少しだけ震える声にエレンを見上げる。彼はわたしを見ていなかった。俯いて地面を睨みつけながら、両手をぎゅっと握りしめている。真っ直ぐで気持ちに素直なエレンのことだ、心配してくれているのかもしれないとその手に指先を伸ばせばエレンの全身がびくりと震えた。

 「……エレン?」

 これはどうも様子がおかしいと尋ねると、エレンは突然ギッと睨みつけるようにわたしを見て怒鳴った。


 「俺は! 少なくともお前が顔を見たことのない相手と違って昔馴染みだし、お前のことだってよく分かってる! なまえのことを知らないどこから来たかもわからないような男よりもお前のことが好きだ!! だから、そんなわけの分からないやつと結婚とか意味が分からねえよ、ふざけるな……っ。……おいなんだよ、その目は。俺じゃ駄目だって言うのか!?」
 「ちょ、ちょっと待って。突然すぎて意味わからないよ、エレン……」

 好き? 誰が? エレンが? わたしを? そんなのは初耳だ。初耳すぎて意味が分からない。それから彼は何が言いたいんだ? 駄目だ、頭の許容範囲をオーバーしている。ちんぷんかんぷんちちんぷいぷいだ。

 もう少し噛み砕いて話してくれと願い出ると、エレンはぐっと口元を引き締めた後に些か乱暴な口調で言った。


 「そんなの一つだ、良いからお前は黙って俺と結婚しろってことだよ!!」


 いきなりにも程がある。今までエレンとそんな話をしたことは一度もなかった。わたしたちは出会ってからずっと友達だった。それが、何故。真っ赤な顔で叫んだエレンに唖然として、開いた口が塞がらない。だけど答えを待っているのか、眼を逸らさない、その金粉を散らした瞳に何かを言わなければと必死に馬鹿な頭をフル稼働させる。そして出てきた言葉はたった一言。


 「は、はい」

 あれ、なんで肯定なんて。あれ、なんで心臓がうるさい。あれ、なんで、なんで、顔がこんなに熱いんだろう。

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リクエストありがとうございました。
Arcadia/どてかぼちゃ

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