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暗闇から聞こえるぐすぐすと泣きじゃくる声へと足を進める。その声と共に感じた、目を開かずとも分かる未だ小さくとも強くゆるぎない小宇宙は間違いなく勝利の女神のものだった。彼女がこの場所に来ていることはもうすでに疑いようがない。まったく何かあるたびに処女宮に逃げ込んでくるのは止めてもらいたいものだ。以前日本には駆け込み寺というものがあったと言い訳をしていたが、処女宮は寺ですらないのだ。


「今の時刻を言えるかね、なまえ」

柱の陰で蹲る少女の前に立って問いかける。わたしを見上げる気配を足元に感じながら黙っていると、やがて彼女はぽつりと呟いた。

「11時……」
「…………」
「……危ないから勝手に外出しちゃいけない時間」
「分かっているのなら良い。立ちたまえ、神殿までわたしが送ろう」

こんな時間に勝利女神である彼女が神殿を抜け出したことが知られた時点で女神捜索のために大騒ぎになるに違いない。
すでに休んでいる雑兵や女官にまで迷惑をかけるつもりかと諭せばもともと物わかりの良い少女は黙って頷いた。無言のままごしごしと涙にぬれているだろう目を擦る手を掴んで止めさせる。

「明日腫れるぞ」
「……うん」
「さあ立ちたまえ」

もう一度「うん」と頷きながらも動く気配のないなまえの頬に手を伸ばす。こうなってしまえば中々動かないのは経験上もうよく知っていた。温かく柔らかな肌を指先に感じながら彼女の前に膝をつく。


「何に涙を流し、何に怯えている」
「……わたしが弱いから」

アテナや聖域の人間を守りきれるかどうか不安になったのだと答えたなまえは、自分の言葉にさらに何かを感じ取ったのか再び泣き出す。触れた指先にまで涙がぽろぽろと零れて来た。

「アテナとニケを守るのは聖闘士の為すべきこと、女神が守るべきは地上だ。君の悩みは君が持つべきものではない」
「だけどアテナもわたしもそうは思えないよ……! 一番傍でいつも守ってくれる皆にも幸せになってもらいたいから」

聞かずとも分かった。彼女たちのその願いは女神としてのものだが、それ以上に人の中で生きてきた女神たちの中の人の叫ぶ願いでもある。常ならば聖域で育つはずのアテナ、そして現世するはずのなかったニケは此度の降臨の際に人の中で生きて人として育てられてきた。その異常ともいえる状況の中で育った彼女の願いを確かにわたしは聞いた。


「女神を守るのは聖闘士だ」

再三繰り返した言葉になまえはぐっと口を閉ざした。見ずとも納得のいかない顔をしているだろうことはよく分かった。だからこそ頬に手を触れたままその額に口づけを落とす。

「きみを守るのは、わたしだ」

女神と少女。ニケとなまえ。そのどちらをもわたしは守るだろう。聖闘士として、そしてシャカという人間として、自らの意思で。

「それでは気に入らないかね」
「……そんなことない……!」

もうすっかり涙は引っ込んだらしい。代わりに指先に触れる頬がだんだんと熱を持っていくのが分かった。寝所に戻る気になってくれたらしいなまえの頬から名残惜しいが指を離して手を引いた。初春の夜はよく冷えたが触れた手はあくまで温かい。


「なまえ、恐れるな」

恐れは付け入る隙を生む。勝利の女神にとってそれは致命的だろう。
だからこそわたし達がいる。

「わたしは約束を背かない」

最後まで守る。地上の平和のために命を賭す。それを女神たちが嫌うというのならば命を無駄にすることなしに尽力するまでだ。だから君は安心して笑っているだけで良い。

「……ありがとう。夜中にごめんね、シャカ」
「分かれば良いのだよ」

何も不安に思う必要などないのだ。
共に歩んで、話をして些細な喜びを見つけるために生きる。流れた涙はわたしが拭おう。望まれる限りいついかなる時も傍に寄り添っていよう。


だからもう夜中にひとりで泣くのは止めたまえ。

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