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なまえはいつも無口で無表情の日本人女性だ。


仮面の女なんてあだ名で他の人間たちが呼んでいるのを何度も聞いたことがある。それは確かに陰口であり、気にも留めていなかったのだが、周囲の人間に彼女がなんと思われているかは明白だった。

仮面はその状況のために選ばれたままに与えられた表情を浮かべるだけ。決して本心を明かしはしない、ある種の薄気味悪さを持っている。確かにその通り、彼女は表情に気持ちをほとんど出さない。


だからこそ初めは分かりにくい人間だと思ったし、暗いとか冷たいという印象を持ったのだが、そうではなかった。知り合ってすぐのころは、長く付き合うことになると思っておらず、それ以上の印象はなく注視もしていなかったのだが、実際になまえと親しみ、よく彼女を知ってみると彼女は言われている通りどころか、むしろその正反対だった。


目は口ほどに物を語る。
彼女もよく観察してみると様々な感情が表情に浮かんでは消えて行った。ただそれが聖域の人間たちに比べて少し分かりにくいというだけで、無表情というわけでは決してなかった。例えるのなら夏に比べて味気のない色合いの冬にだって真っ白な雪が降り、クリスマスには町が赤や金でカラフルに彩られ、からりと乾燥した淡い色合いの青空がどこまでも続くのと同じだ。
無味乾燥なんてありはしない。

そして、なまえの表情は虚偽でも仮面でもなく本物だった。


「……」
自分の考えに納得して、ふうと吐いた息は白かった。
最近よく冷え込んでいると思ったが、もうそんな季節かと自分の吐いた息が空気に溶けるのを眺めて気が付いて呟く。


「もう冬か、息が白いぞ」
「暦の上ではとっくに冬ですよ、アイオロスさん」

そう隣で答えたなまえは、まるで雪だるまのような状態になっていた。
しっかりとコートを着込み、マフラーをぐるぐると巻いて鼻の下まですっぽり顔を覆っている。頭には毛糸の帽子、小さな手は両方ともコートのポケットに突っ込まれている。まるでシベリアから着の身着のまま聖域にやってきてしまった人間だ。


「なまえ、それは少し着すぎじゃないか? 聖域はまだそんなに寒くないのに」
「出かけると言ったら沙織お嬢さんがたくさん着せてくれました」
「今からそんな状態で、これからもっと寒くなったらどうするんだい」
「……家から出なくなります」
「有り得ない、そんなのは不健康だ!」
「アイオロスさんこそ、薄着過ぎです」

見ていて寒いと呟いたなまえが片手でマフラーを僅かに赤い鼻の頭までかぶせる。その際に手を擦り合わせて、すぐにポケットに戻した。全身で寒さを体現するなまえを見下ろしながら、ふと何となしに彼女の頬に手を伸ばすと冷たさに仰天することになった。


「なまえ、ちゃんと生きているのか!?」
「生きています」
「だが頬が氷みたいに冷たい」
「アジア人は欧米人より体温低いんです、だからでしょう。それに私、体温低いんです」

淡々とそう答えた彼女が早く帰ろうと言って歩き出す。

しばらくその背中を眺めた後に訪れた思い付きに従い、後ろから小さな体を抱きしめてみた。やはり温もりらしい温もりは感じられず、何故こうも体温が低いのだろうかと唇を尖らせたところになまえが振り返った。

「……なに、しているんです?」
「凍死寸前の人間の体を温めるには人肌が一番だと、以前アンドロメダが言っていた」
「貴方達、一体どんな日常会話しているんですか」

そもそも凍死しそうな気配もありませんと彼女は呆れたような顔で表情に見合った声を漏らしたが、それでも耳が僅かに赤く染まっていた。

彼女の溜め息も白く、やがて空気に溶けて消える。それは確かに美しいもので、だからこそどこか勿体なく感じ発生源を塞ぐべく彼女の唇にキスを落とす。そうすれば面白いほど素早く白かった頬に朱がさした。表情はほとんど仮面のように変わらなかったが、僅かに引き締められた唇は彼女が恥ずかしいと感じた時や照れたときによくする表情だった。なまえはそのままの表情で極めて単調な声色で言う。


「アイオロスさん、往来のど真ん中で何を考えているんですか?」
「温まるんじゃないかと思って」
「……もう十分です」

なまえはそう言って腕の中でそっぽを向いた。しかし赤いままの頬には愛嬌があったし、彼女が本気で怒っていないことなど見ればすぐに分かる。だから調子に乗ってもう一度頬にキスをしたら今度は私の頬を引っ張られた。


「往来でこういうことをするのは止めて下さい!」
「往来でなければ良いのか?」
「そ……、そういう問題じゃ、ないです」

想像したのかどうかは知らないが、私の言葉にぼんっと顔を赤くしたなまえに笑えば、口元をさらに一文字に引っ張った彼女がじっと私を見上げた。どうかしたのかと見下ろした瞬間、私の肩に手をかけて背伸びしたなまえの唇が頬に触れる。

「!」

自分からのスキンシップを苦手とするなまえがそんなことをするのが信じられず、驚きを覚えながら彼女を見つめると、なまえは何故か真っ赤な顔で誇らしげに私を見上げていたためつい噴き出した。


「な……、なんで笑うんですか!」
「なまえの顔、林檎みたいだな!」

その林檎色の顔で、何故か誇り高い笑みを浮かべているのだ。
冷静になって見れば見るほどつい笑いがこぼれてしまう。

散々笑った私になまえは気分を害したかのように、ぐるりと背を向けて歩き出してしまう。しかしやはりまだ頬は赤いままだった。むしろさっきより赤くなっている。怒っているのではなく、照れているのか、それとも恥ずかしいかのどちらかだ。分かりづらいなんてことはない、こんなにもなまえだって感情豊かだった。赤や橙に色を変えた木々の下を通って彼女の後を慌てて追う。


「待て、誤解だ、なまえ」
「何がですか」
「馬鹿にしたわけではない、可愛いという意味だった」

背中に投げかけた言葉に、なまえがぴたりと足を止める。
そして顔を両手で覆うと消え入りそうな小さな声で呟いた。

「だから……、なんで貴方はそうやっていつも……」

困ったような声で呟いたなまえはそのまま帽子で耳をすっぽり覆って隠し、マフラーの布を巻きなおした。表情を隠そうと躍起になるなまえにさらに笑みが零れる。


「照れなくても良いのに」
「少し黙ってくれませんか、アイオロスさん。……寒いですし、もう帰りましょう」 

ぐるぐる巻きのマフラーの下に表情を隠したなまえはそう言ったものの、私が隣に行くまで待っていた。丁度隣に立った時にようやく彼女も帰路へと足を向ける。
それに対し、私が穏やかな気持ちで先ほどと違う種類の笑みを浮かべたことに、なまえは気が付いたのだろうか。


仮面なんて虚飾だ。
いくら偽装しようと仮面を張り付けたところで、仮面はいずれはがれるものなのだ。
もしも仮面がはがれずとも、その下の表情を行動や声色から知ることは難しくない。

ならば元から仮面など身に着けていないなまえが冷たい女性ではないということを知られるのもそう長い時間を必要とはしないだろう。(何故なら彼女はこんなにも可愛らしい!) ただそれがこうして確認できただけで私は満足だった。


その後、彼女が選んだのは静かな道だった。
それでも決して無音ではない。時折木々が風に揺られて音を立て、遠くで鳥がピーピーと鳴いている中に二つの足音が混ざり込む。再度吹いた風がひゅうと音を立てて通り抜けて行った。


「ああ、やっぱり寒い、すっかり冬だな」
「……でも暦の上では、もうすぐ春なんです」
「なまえ、まだ年も明けていないんだが」
「私の体内カレンダーに寄ると、もう春です。むしろさっき春になりました」

そう言った彼女の頬はやはり赤い。

彼女を見下ろした私を、なまえも見上げた。彼女はマフラーから覗いた顔に薄い笑みを浮かべて、ポケットから手を出すと私の手を取った。そのままコートのポケットに一つ増えた手が戻される。じんわりとした温もりを掌に感じるのと同時に、黙って俯き気味になったなまえの耳がまだ赤いことに気が付いて胸が温まった気がした。


なんだろうか。
何故だか分からないが、確かに彼女の言うとおり、ものすごく爽やかな小春日和の気分だ。

「春だな」
「春ですね」

二人で呟いた声が太陽神の齎す恵みの中で溶けた。

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