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列車の規則的な揺れを心地良く思いながら窓の外を眺めた。


ギリシアの夏は晴れが多い。

今日もいつものように真っ青に晴れ渡った空をしばらく眺めた後に、隣で腕を組むアイオロスさんをちらりと見た。いつも開かれている意思に満ちた彼の青い瞳は今、瞼に隠されている。

カタタン、カタタンという単調な音だけが響く静かな車両の乗客はどうやら私たちだけのようだ。静かな車内。

そんな車内でアイオロスさんは先ほどからそうしている。
どうやら眠っているらしいが、それは非常に珍しいことだった。


アイオロスさんが私に気を許していないからなのか。
それとも他に理由があるのかは知らないが、ともかく彼は私の前で眠ることはなかった。


それが、今日はどうしたことか。

もう一度アイオロスさんをちらりと見てみた。
やはり、眠っている…と、思う。

「…………」


なんて珍しいことがあるのだろう。

明日はアテネで雪が降るかもしれない。
夏のアテネで雪。異常気象だ。
だがそれ以上に私の隣で眠りこけるこの人のほうが異常だ。


熱でもあるのか、…または具合が悪いとか?
それとも目を閉じて眠っているふりをしているのか、考え事をしているのか。


なんの気なしに彼の頭に手を伸ばした。
そのまま柔らかな髪を梳いてみる。彼は、何も反応しない。


本当に寝ているんだ!

そう気づいた瞬間、なんともいえないむず痒い感情が胸に湧き上がった。緩んだ頬をそのままに、さらに髪の毛に指を絡ませてみようとしたとき突然手首を握られた。


「ひぃっ!」
「私の髪に何かついているのか、なまえ」
「アアア、アイオロスさん!!」

気が付けば、開かれていたターコイズブルーの瞳に私が映し出されていた。
渓谷のような皺がアイオロスさんの眉間に刻まれる。


「お、おきっ、起きていたんですか!」
「せっかく気持ち良く眠っていたのに、君のおかげで目が覚めた」

小さく溜め息をついた彼が肩を竦めてそう言う。
私が謝罪を述べると手はすぐに放された。行き場を無くしたそれをぱたりと膝の上に落とす。


カタタン、カタタンと規則正しい列車の音。
そしてアイオロスさんがペットボトルの蓋を開ける音。

「…ペットボトルのペットってなんの略だか知っています?動物のペットとかじゃなくて…」
「ポリエチレンテレフタレート」
「…その通りでございます」

寝起きで機嫌が悪いのか、なんとも恐ろしい雰囲気を纏ったアイオロスさんに気まずくなり適当な話を振ったが一瞬で終わった。いやまさかアイオロスさんが「なんの略なんだ?ええっそれは知らなかったぞ良いことを知れたよあっはっは」なんて言うとは思わなかったけれど!
それでも少しは話を逸らし、この雰囲気を破壊できるんじゃないかと思ったのだ。ものの見事にそれは失敗することになったのだが…。


腹黒い彼のことだ。
気持ち良く睡眠をとっていたのなら、それを邪魔した私にあの手この手で仕返しをしてくるかもしれない。そんな恐ろしい目にはあいたくなかった。

よし、今のうちに謝っておこうと彼のほうを向く。

「…あの、アイオロスさん」
「なんだ、なまえ」
「せっかくお休みだったところを起こしてしまったことは申し訳なく思っています、なので仕事中に背後から撃たれるのは遠慮したいなあ、なんて思っているんですが」
「撃たれたいのか」
「撃たれたくないって私言いましたよね?」
「望むのなら好きな数だけ弾丸を撃ち込んでやろう」
「あれおかしいな、会話が通じない!」

くつくつと笑ったアイオロスさんを見た。

綺麗な色の目と視線が絡む。


「なんだ、なまえ?」
「…眠っていたんですか?本当に?」

私の言葉にアイオロスさんが眉を寄せる。


「…なまえ、まさか君は私が睡眠をとらずとも生きていける化け物だと思っていたなどと言わないだろうな。私だって睡眠くらいはとる」
「でも、今まで私の前で眠ることはなかったでしょう?」

それはどうやら図星だったらしい。
一瞬目を丸くして私を見た彼が顎に手を当てて考え込み始める。


「………」
「…ふっ、ふふ、…っ!!いたたたたっアイオロスさん!痛いですっ!」

くすくすと漏れた笑いにこちらを見たアイオロスさんが思い切り私の頬をつねる。必死で彼の腕を引きはがそうとしがみ付けば思ったより簡単にその手は離れた。


「い、痛かったです…!」
「何がおかしかった」
「え、それは、ほら…」
「はっきり言え、三秒以内に言え、でなければこの列車が次の駅に到着するころにこの車両で車掌が女の銃殺死体を見つけることになる」
「言います、言いますから銃を仕舞ってください!」

笑顔で銃を出そうとした彼を必死で止めて口早に言った。


「私の前で眠ってくれるなんて珍しいと思っただけです」
「信用できない人間の前で眠れるものか。それで?」
「そ、それで?…え、えっと、正直に申し上げますと少しは信用して頂けたのかなと思って嬉しくなったといいますか…、あの、アイオロスさん?」

突然固まったアイオロスさんと目が合う。
目を丸くして私を見ていた彼が突然変な顔をすると私の頭を力いっぱい撫でた。
撫でたと言ってもそれは優しいものではない。首の骨が折れそうな勢いで押されながら思い切りかき回された。

「なっ何をするんですか」
「なまえ、君は馬鹿な女だ!私が思っていたよりも、その数倍、いや、数十倍は頭が悪いらしい」
「どういうことですか、それ!」

大袈裟にそう言ったアイオロスさんを見れば、彼は顔を歪め、そして続けた。



「そんなことで嬉しいなど、君は馬鹿だ」


いつもの調子で言われた言葉だったが、アイオロスさんは決して私を見ようとはしない。
いつも人と話すときは目を見て話す彼にしては珍しいことだった。しばらくその様子を眺め、浮かんだ仮説にまたにやける。

「…アイオロスさん」

呼びかけた声に、アイオロスさんはこちらを向くことなく「なんだい」と答えた。眉を寄せながらも答えてくれた彼にまた笑う。


「…照れたんです?」

にやにやと浮かぶ笑みをこらえきれず、口元に手を当てながら問いかけた私に、アイオロスさんは鋭い視線を送ってきた。
慌てて口を噤んで背筋を伸ばし、前を見た。

規則的な列車の音はまだまだ響き続ける。

窓の外はどこまでも続く田園地帯だ。
青い空をぽっかりと浮かぶ白い雲が一つ流れて行った。
しばらくしんとした静寂が私たちの間を満たす。


「なまえ」

やがて私を呼んだ彼に返事をした。

「はい」

アイオロスさんはそれを聞いて、またしばらく口を閉じたがやがてぽつりと聞き捨てならない言葉を呟いた。

「君は本当に馬鹿な奴だな」

いつまでその話題を繰り返すつもりだと彼を見る。アイオロスさんはそんな私のことなど気にせずに言葉を続けた。


「…昨日は任務のせいで夜中まで起きていた」
「…そうですね」
「そして今せっかく気持ち良く眠っていたのに君に起こされた」
「…そうですね」
「だから今から私はまた眠ることにするが、アテネにつく頃に起こせ、良いな」
「そうですね、…え?また寝るんですか?」


私の言葉にアイオロスさんはもう何も言わずに目を閉じた。
さっさと寝息をたてはじめた彼になんとも言えない気持ちを抱く。


信用していない人間の前で眠れるか、だって?

それじゃ、どうして今この人は私の隣で眠っている?


(…ああ)

(私の方が夢を見ているんだ)

そう思い、座席に深く腰掛けなおす。車内放送が次の駅を告げた。
アテネまで、まだしばらくかかるなと考えて目を閉じる。

静かで暖かな午後の列車内と、心地よい規則的な列車の走る音。微睡は一気に訪れた。
ふいに列車がカーブに差し掛かったらしい。体が傾いて何かに頭を預ける形になった。温かい、それ。
窓…ではない。椅子でもないだろう。座席のこんなところに段差はない。それならこれは何だろう。私は何に頭を預けているのだろうか。

その正体を探らなければと思ったのだが、やはり眠気に勝つことはできずにそのまま目を閉じた。


午後、
列車、
窓の向こうにはきっと何処までも続く田園と青い空、

頭を預ける温かな何か、



夢心地。

夏の、ある午後のこと。

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