シオンさんに、そろそろ任務に出ていたアイオロスさんとサガさんが戻ってくるから、彼らからある文書を受けとってきてくれと頼まれ、十二宮の入口まで迎えに行く。空は晴れ渡っていて、少し暑いがからりとした風が心地いい。きっと今日は洗濯物がよく乾いているのだろう。洋服やシーツのついでに枕も干してくれば良かったかな、なんて考える。
そういえば最近デスマスクさんに教えてもらってショックだったことは、布団や枕を干した後の良い香り、…幼いころ母さんが太陽の香りだと教えてくれた、あの匂いはダニの死骸やその他もろもろの匂いだったということだ!なんてことだ、ということは今まで私はダニの死骸の香りを肺いっぱいに吸い込んでいたというのか。これはひどい。きっと今日干してきたシーツも太陽の…、いやダニの死骸やその他もろもろの香りがするのだろうな。なんだろう、以前はあんなに好きだった干した後の香りが嫌いになってきたぞ。いや、逆の視点から考えてみよう。あの香りは、ダニがちゃんと滅菌されたということを表す手っ取り早い方法であって…、
「あ」
そんなことを永遠と考えていると、遠くからサガさんとアイオロスさんが歩いてくるのが見えた。黄金聖衣が太陽の光できらりと光って、遠目から見てもとても綺麗だ。彼らも私に気づいてくれたようで、サガさんは片手を上げて挨拶をしてくれる。一方アイオロスさんはというと、物凄い勢いで私に向かってかけてくる。スペインの闘牛士の気分はこんなものだろうか。正直ちょっと怖い、と身体を引いた瞬間物凄いスピードで飛びかかられた。
「わあーっ!」
「なまえ!ただいまのハグだぞ!!」
「子供ですか、貴方は!ちょ、いたた!」
ぎゅうぎゅうと加減を考えずに抱きついてくるアイオロスさんの背中を離してくれとたたく。うう、飛びかかられる瞬間が、まったく見えなかった。なるほどこれが光速か、なんて少し違うだろうことを考えながら離れるように促せば、彼は仕方ないといった顔で離れて、すぐに笑った。
「ただいま」
「おかえりなさい。それから、お疲れ様です、アイオロスさん」
「ありがとう。じゃあなまえもお帰りのハグを、」
「ふざけていないで、伝書を出して下さい。ここで受け取りますよ」
「冷たいなあ」
「それを持ってきてくれとシオンさんに言われているんです!早く提出に行かないとシオンさんが待ち飽きて仕事しなくなっちゃうんですよ!最近よく逃げるんですから」
「シオン様だってたまには息抜きをしたいだろう」
「ええ、まあその頻度が一時間に一回という驚異的な数でなければ私も文句はないんですけどね」
そんな話をしながら、彼から伝書を受け取る。それを折れないようにファイルに仕舞ってから、顔を上げればアイオロスさんのすぐ後ろに歩いてきたサガさんが見えた。彼はアイオロスさんを見るなり溜め息をついて口を開く。
「アイオロス、お前は黄金聖闘士としても落ちつきという物を学ぶべきで、つまりお前の行動には…」
「そんなことを言って、サガ。お前だってカノンと毎朝大喧嘩をして双児宮を壊しているじゃないか」
「…あれは、あれだ」
「なんだそれ」
「何はともあれ、なまえ、ただいま」
「おかえりなさい、サガさん。お疲れ様です」
「ああ、ありがとう」
そういって微笑んだサガさんは私の頭を撫でてくれる。
「えへへ、ありがとうございます」
「なまえ、私とサガの扱いが大分違わないかい」
「だってサガさんは優しく撫でてくれますけど、アイオロスさんは押しつぶす勢いでハグしてくるじゃないですか!そのうち潰れて死んじゃいますよ!!」
「愛の重さだな」
「貴方の頭の中はお花畑ですか」
きりっとした顔で答えたアイオロスさんにそう言えば、サガさんが笑った。そしてすぐに教皇宮の方向を見上げて、言った。
「シオン様の小宇宙が不機嫌になってきた」
「ええっ、そんなことまで分かるんですか」
本当に小宇宙というものは便利だな。私もちょっと練習してみようか。でも、沙織ちゃんに以前コツを聞いたけど結局訳が分からなかったんだよなあ。もしかしたらむいていないのかもしれない。
「…………、じゃあシオンさんがお仕事から逃げる前に、私はこれを提出してきますね」
「ああ、私たちも一緒に行こう。任務の報告をしなければならないから」
サガさんがそう言って微笑むと、アイオロスさんも笑顔になって私の左手をとった。意味が分からずに彼を見上げれば、アイオロスさんは実に楽しそうに笑った。
「手をつないでいこう!」
「え、子供と引率者的な感じですか」
「アイオロス、あまりなまえを困らせるな」
「なまえが恋人繋ぎのほうが良いと言うならそれでもいいぞ」
「そういう意味じゃない!」
「引率者と子供でお願いします」
「つれないな」
彼はこういったことを言いだすと止まらないから仕方がないと、私も笑って手を握ればアイオロスさんが歩き始めた。私はファイルを抱え直して慌てて続く。
「………」
「…サガさん?」
「…ファイルを持とう」
「あ、ありがとうございます」
私の手の中からファイルを取った彼を見上げる。背後の青空と同じ青い色の目と目があった。
「どうしました?」
「…いや、その…」
「おい、二人とも、早くしないとシオン様の首が伸び過ぎてキリンになるぞ」
「ええっ、シオンさんってそんな特技を持っているんですか!」
「ああ、しかもそのキリンのように長い首をぐるんぐるんと振り回して敵をなぎ倒していくんだ」
「アイオロス、なまえをからかうのは止めないか」
溜め息をついたサガさんが先に進むよう指示する。アイオロスさんがサガは真面目すぎるとかなんとか言いながら階段をのぼりはじめた。それを追った時、ふと誰かに右手を握られた。見れば、大きくて少しだけ荒れた手。誰の、なんて分かりきっている。サガさんだ。ふと目があった彼は、困ったように視線を泳がせて、最終的に駄目だろうかと呟いた。何だろう、今ものすごくこの人が可愛く見えた。
「え、や、もちろんサガさんもどうぞ!私なんかの手でよければどうぞ!!」
「ありがとう」
途端に物凄く綺麗にふわりと笑ったサガさんに頬が熱くなって慌てて前を向いた。きっと今頬に手を当てたら熱いのだろうと思ったが彼らと両手を繋いでいる今の状態ではそれを確認することはできなかった。赤い顔は恥ずかしいから見られたくないなあなんて考えた瞬間、ある意味すばらしいタイミングで少し前を歩いていたアイオロスさんが振り返り目があった。
「なまえ、顔が」
「な、なんともないです」
「…サガ!!なまえは渡さないぞ」
「いやいや、貴方は突然何を言い出すんですか。訳分からないですよ」
「フン、アイオロス、お前には負けん」
「サガさんも乗るの止めてくれませんか」
本当に仲が良い二人だと笑いながら歩く。サガさんとアイオロスさんはその後もしばらく言い合いをしていたが、次第に静かになった。ふわりと乾いた風が吹き抜いていって心地良い。
「あ、今晩は何が食べたいですか?」
「作ってくれるのかい、なまえ?」
「ええ」
シオンさんが今回の任務はかなり難しいものだったと言っていた。だからこそサガさんとアイオロスさんの黄金聖闘士二人が派遣されたのだと。私は、彼らの任務の内容を詳しく知らない。シオンさんが知らなくて良いといって、厳しく情報を規制しているからだ。そして、その内容を知らないのは私だけじゃなくて、女官さんや兵士さんはもちろん、その任務に当たらない他の聖闘士の皆さんも同じだ。だから私は彼らの任務の内容を知らないが、それでも何をしているか、というのはなんとなくだが分かってしまう。それと同時に、絶対に漏れてはいけない危険な情報も含む様な仕事をこなす彼らを素直に尊敬している。だからこそ、こうして任務から帰ってきたら、私にできる精一杯のことで迎えてあげようと、そう思うのは自然なことだった。
「なんだっけ、この間、なまえがシャカとデスマスクと作っていた…」
「ああ、ええと、カレーだったか?」
「ええ、あっていますよ、サガさん。えへへ、インドのカレーと日本のカレーって結構違うから、シャカさんと作り方でかなり論争になりましたよ。…じゃあ、カレーで良いですか?」
「ああ、頼む」
笑顔を浮かべたお二人に私も笑顔を返す。いち、に、さん、三人手を繋ぎ並んで階段を上る。
「なまえ、聞いてくれ。昨日の宿で報告書を書いていたら、後ろからのぞいてきたサガがああだこうだと文句をつけまくってきたせいで、まったく捗らなかった」
「あれはお前の書き方が悪い!そもそもアクセント記号を忘れるなどお前は幼児か!」
「一個書き忘れただけだろう!」
わあわあと昨日の任務の報告書について騒ぎ始めた元気な二人に苦笑する。まあとにかく無事に帰ってきてくれてよかったと握る手に力を入れれば、しっかりと握り返された。それに、自然と頬が上がる。
「サガさん、アイオロスさん」
「なんだ?」
「なんだい」
「お仕事、本当にお疲れさまでした」
そう言えば、二人は少し目を丸くしたけれど、すぐに笑みを浮かべてくれた。どうして目を丸くしたのか、私にはよく分からなかったけれど、それはともかくサガさんが頭を撫でてくれて、アイオロスさんが私に飛びかかってくるまで、あと数秒。
手を繋いで行く
(あ、見てください。向日葵が綺麗ですよ)
(なまえのほうがきれ…)
(アイオロスさん、そう言ったジョークはいらないです)
(そうだぞ、アイオロス。なまえはどちらかというと可愛い派だ)
(貴方も何を言い出すんですか、サガさん…)
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