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 昔、幼馴染がいた。
 近所に住んでいる女の子で、歳は同じ。小学校は別だったが、よく帰り道で会ったために自然と顔見知りになり、そこからは人懐こい彼女のほうから声をかけてくるようになっていつの間にか友達になっていた。彼女はよく食べ、よく寝、よく笑い、よく遊んだ。勉強はあまりしない。が、興味のあることや楽しげなことに関する知識は同年代の誰よりも深かっただろう。蝉や何かの虫については青峰と激論を繰り広げられる程度には知っていたし、芸能人については黄瀬と深い会話をしていた。どこにでもいる、明るいただの女の子だった。

 母は、彼女との関係について何も言わなかったが、父はあまり歓迎していなかったように感じる。
 彼女の家は、本当に一般的な家庭で、心のどこかでオレが憧れていたような生活をしていた。

 時々彼女は悪戯をした。ある時はそれで夜中にこっそり家を抜け出してオレのところに来たこともある。会うつもりはなかったらしい。窓際にこっそり花を置いて帰るという作戦を思いついて実行しただけだ、と、彼女は言ったがよく分からない。それの目的も理解できないが、結局その作戦はオレがまだ起きていて窓の外に目をやったことから失敗した。あの時の顔といったら。

 「征十郎、お花あげる」

 家の人間にばれないようにか、小さな小さな声で彼女は言う。

 「こんな時間に何を考えているんだ」
 「綺麗だったから、早くあげたいって思って」
 「でも、何があるか分からないぞ。またあのくらい道を家まで帰るんだろう」
 「大丈夫、わたし足早いし近道も知っているから。それに、最近空手やり始めたんだよ。だから征十郎に何かあったらわたしが守ってあげるからね」

 きひひと口元を押さえて笑った彼女には呆れて何も言えなくなった。だけど女の子をこんな時間に一人で帰すわけにもいかないので、送ってやろうと窓から抜け出そうとしたオレをなまえは止めた。「大丈夫、征十郎のほうが心配だよ」、「オレは男だよ」、「でも空手やってないでしょ」、なんて、始めたばかりの空手の腕をどうしてそこまで確信できるのか。

 だけど彼女はもう何も聞かずに小走りで庭を戻っていくところだった。慌ててその背中に声をかける。

 「なまえ」


 なまえ。
 オレの幼馴染の、友達の名前。彼女は振り返り、長い髪がふわりと宙を舞った。

 「おやすみ、なまえ」
 「うん、おやすみ、征十郎」

 そのままなまえは踵を返し、オレの家を立ち去った。
だけどそんなことはこれっきりではなかった。オレの家に来たのはそれが最初で最後だったが、彼女は時折夜中に家を抜け出していたようだった。中学校でバスケ部に入って夜にランニングをしている時、たまに公園や人気のない道に一人でいるなまえを見かけた。危機意識が足りていないのだと、なんど言い聞かせながら一緒に家に帰っただろうか。

 あの時も確かそうだ。
 中一の夏が深まりつつある、蒸し暑い夜。ランニングの途中に偶然ベンチに座ってぼんやりしているなまえを見つけたんだ。呼びかければあいつはすぐにオレを見て、それから小さく微笑んだ。


 「……なまえ?」
 「あ、征十郎」
 「こんな時間に一人で何をしているんだ」
 「散歩、散歩だよ。怖い顔しないで」
 「何があるか分からない物騒な時代だぞ。少しは自分の身を顧みろ、何かあってからでは遅い」
 「うん、そうだね」

 いつも、なまえはそうして笑うだけだった。何を考えていたのか、結局聞くことも理解してやることも無かった。家に何か事情があったのか、それとも何か別の理由があったのか。それはもうきっと永遠に分からない。もっと早く聞けば良かったのだろうか。分からない。オレはあの日もそれ以上言うことは無く二人で家路に着くことを決めてしまった。

 手を繋いで帰りましょ、なんてなまえはにこにこ笑いながらオレの手を掴んだ。そのままぶんぶんと振りながら歩き出す。しかし、そうかと思えばすぐにその手を離して手でハートの形を作ると夜空に掲げ、言った。

 「ハートの中にあるからあの星は恋人座ね」
 「……あれは白鳥座じゃないのか」
 「え、そうなの」

 良く知ってるねと間延びした声で言いながらも、そんなことは彼女にとってはどうやらどうでもいいことだったらしい。今度は別の位置を見つめて「あれは何座にしようかな」と話し出す。

 「そうだ、こんどは征十郎が決めてよ」
 「良いよ、なまえが決めてくれ」
 「えー、なんでもいいからさ」

 正直な話、何座にするかなどを適当に考えることはできなかった。何も、思い浮かばなかった。だからこそ口を閉じると、なまえはオレの手を改めて握り直すと空いている手で空を指差して笑った。

 「じゃあね、あれは便座でこっちは餃子」
 「そうか」
 「ねえ征十郎」
 「なんだ?」
 「……、……ありがとう」

 あの時なまえは何かを言いかけた。だが言いよどんだあと、理由の分からない礼を口にする。

 「いつも一緒にいてくれて、ありがとう」
 「そんなこと……幼馴染なら当然だろう」
 「そっか……。じゃ、これからも一緒にいられるかな」
 「キミが望むのならね」
 「うぇ〜じゃあ100年間望んじゃお」

 茶化すように彼女は言ったし、オレも笑った。だけどそれは叶わなかった。そんなことはもうよく分かっている。事実から目を背けるほど愚かではないつもりだった。

 高校一年の夏。お盆に京都から帰省したオレを待ち受けていたように彼女はオレにバスケで勝負を申し込んできた。「1 on 1、五本先取ね! 明日コートで待ってるから!」、なまえが高校に入ってから誠凛のバスケ部のマネージャーになったのは知っていたが、本人がバスケの初心者なのは知っていたし、自主練もしたかったオレは、行かなかったんだ。返事もしていなかったから、なまえが本当に来ているかも分からないし、そもそも行ったところで練習にもならないのは分かっていたから。いつもなら約束にオレが遅れると、「待機なうnot大輝なう」とか「遅刻15分目なり」とかふざけたメールがはいるけど、その日はそれすらなかったからきっとお前も来なかったのだろうと勝手に判断して家に帰り、そしていつも連絡をしてくるのはお前のほうからだったから、こちらから連絡をすることも為しに休みを終えて京都に帰った。

 あの夏の日、オレがいかなかった約束の日、お前が事故にあっていたと聞いたのは、冬、ウィンターカップが終わってからだった。

 試合が終わって、ふと黒子にマネージャーであるはずのなまえが来ていないことを尋ねた時、あいつは目を丸くして、それから顔をぐしゃりと歪めて頬を殴ってきた。知らなかったのか、いや、それにしてもどうして半年の間一度も、連絡しなかったんだと。半年の間、よくもそれだけ彼女に無関心でいられたものだとあいつは怒った。オレは、何を言われたのかよく分からなかった。なまえが、夏、あの日、もう四か月も前に死んでいて、来ていない? 信じられるはずもなかった。突然死んだと言われて信じられるような人間ではなかった。風邪だってひいたことがない、殺しても死ななそうな女子だったのに。


 ああ、でもそうか。だからあの日は何もメールが来なかった。

 例えば、あの日オレが約束通りバスケをしに行っていたら、何か変わっただろうか。いや、変わらない。待ち合わせに向かう途中に居眠り運転の車に突っ込まれたって聞いたから、待ち合わせをしていたら駄目だったんだ。なにをしていても、きっと変えられなかった。はっきりと断るか、それか日付を変えておけば。黒子の言うとおり、オレは彼女にきっと無関心だったんだろう。友達だったしとても大切に思っていたはずなのに、どうしてそんなことになっていたのかは、もうよく覚えていない。

 だというのに、彼女は何故かあのときと変わらない姿でこうしてオレの前に立っている。

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