結局なまえを見つけることができないまま時間が来て、黒子たちとの待ち合わせ場所に向かう。もうすでに待っていた黒子達はオレを見ると歩み寄ってきた。
「なんか赤司君、疲れてる?」
桃井にそう問われて首を振る。
「大丈夫だよ」
「ほんと? 忙しいみたいだから心配」
「ありがとう、本当に大丈夫だ」
それじゃ店でも入ってからゆっくり話そうということになって、みんながそれぞれ行きたい店を口々にあげていく。結局近くの居酒屋に入ってすぐに大騒ぎが始まった。それを見て思う。中学校の時の騒ぎっぷりはまだましだったのだと。あれに酒が入るとこうなるのかとぎゃあぎゃあと騒ぎ合う同級生を見て頬を緩めた。何も、変わらない。
暫くそうしてどんちゃん騒ぎを繰り返した青峰は、そのうち何杯目かのビールを持ったまま机に倒れこんでぶつぶつと文句を言いはじめる。
「あーくそ、もう休み終わりじゃねえか……」
「お盆休みなんてあっという間っスよ」
「学生のころは夏休み長くて良かったよな……。でもあれだろ、今日は帰りにバスケしてくんだろ?」
早めの夕飯なので、食べ終わってもまだ外は明るいだろう。バスケをすることはできるはずだ。青峰の言葉に全員で頷いて、それから飲酒をしてからのバスケというのはどうなのかという話になった。
「判断力低下してます、絶対」
「黒ちん、敵チームにパスしないでよね」
「善処します」
そうして二時間ほど飲食をしてそのままバスケットコートに向かう。その際にも視界が彼女を探してしまう。たった三日前から傍にいただけだというのに、今はあの騒がしいキンキン声が聞こえてこないと不安で仕方がない。だから、だろうか。全員で久方ぶりにバスケをして、楽しかったはずなのにそのまま終わらせることができなかったのは。そろそろ帰るか、時間があるやつは飲み直しにいくかとコートをあとにする全員を引きとめる。不思議そうにオレを見る彼らにゆっくりと口を開いた。
「なまえのことを……、オレがいなかった間の、彼女のことを教えてくれないか」
唐突に尋ねたオレに、全員が目を丸くして足を止めた。
「何でもいいんだ。頼む」
「なんで、急に……?」
桃井が言った。本当にそうだ。突然なにを言っているんだ。それに、今更じゃないか。好きだとあんな書き込み一行見ただけでこんな気紛れを起こしたのだとしたら本当に下らない。卒業から夏まで五か月ある。新しい学校と新しい環境、なまえが新しく恋をするには十分な期間で、最後まで彼女がオレのことを好きだったとは確信できないのに、それでも知りたかった。懐かしさの意味が、そこにあると感じた。
「知りたいんだ」
「……でも、そんなこと言われても。あたしはあんまり一緒にいることはなかったからな……。でも明るくて、優しい子だったよね。あたしはすごく好きだったよ。クラスも違うのに、何回も助けてくれて、それなのに次の瞬間にはもうそれをケロッとした顔で忘れたみたいに走り出しちゃうの」
それは中学校のときの話だけどと桃井は笑う。
続けてみんなもそれぞれ印象を述べたが、やはり大抵は「元気」だとか「明るい」、「ばか」という言葉に満ちていた。それでも誰一人冷たい顔はしない。ああ好かれていたのだなと思ったところで黒子が言った。
「僕は、同じ高校でしたし、同じ部活でしたから、必然ときみの知らない彼女を知っていると思います。こんなことを、僕が言うのは間違っているのかもしれません。だけど伝えなければきっと彼女の想いはいつかみんなに忘れられてしまうだろうから、今言っておきます」
黒子はオレをまっすぐに見て続けた。
「なまえさんは、赤司君のことが大好きだったんですよ。いつも赤司君の話ばかりして、赤司君がしてくれたことを本当に嬉しそうに話すんです。きみの好きな物、嫌いな物、たくさん知っていました。高校一年のあの状況の中でも、まっすぐに向かい合おうとして、だからバスケ部に入ってたくさんバスケのことを勉強したんですよ」
オレが帰省することを知ったとき、なまえは黒子のところに走って行ったらしい。そしてたくさん相談を受けたのだと黒子は言った。どうやってオレと会えばいいのか。どうやって接しようか。どうやったらオレが喜ぶか。笑ってくれるか。楽しんでくれるか。そんなことをきゃあきゃあ言いながら話していたんですよと言われて視線を落とす。コートのはじには、雑草。
「だから、あの日きみがバスケットコートにすら行かなかったと聞いた時は驚きました」
「怒ったか?」
「当然です。その件に関しては、僕はまだきみを許していませんよ」
「ああ、そうだな。ありがとう、黒子」
「許してほしいなら、ちゃんと向き合って進んで下さいね」
「善処するよ」
先ほどの黒子の言葉をまねると、彼は小さく微笑んだ。それから行こうと言って歩き出した全員に、オレはもう少し残っていく事を告げた。「店で待っているのだよ」「赤ちん、はやくね」、そんな言葉を聞きながら、だんだんと暗くなるコートに立ち尽くす。やがて彼らの話し声も聞こえなくなって、風の音だけが聞こえるようになったころ、そっと口を開いた。
「オレの事が、最後まで好きだった?」
ややあって返事があった。
「うん、そうだよ。やっぱり征十郎には隠し事できないね」
気配はあった。ここでバスケをしている間から、なんとなく近くにいるなとは感じていたんだ。振り返ればやっぱりそこになまえは立っていて、だけどその顔はいつもの明るい笑顔ではなく、昨夜と同じように泣き出しそうな悲しそうなものだった。
「どうして消えていた?」
「うん……、もう時間みたいなんだ」
「時間……? 何年もずっとお前はそのままだったんだろう?」
「でも、今年は征十郎に会えた。一緒に過ごせた。たくさんたくさん楽しいことができた。たぶん、思い残すことはもうあと一個だけなんだ」
それさえ済ませれば、きっとわたしはもうここから本当にいなくなるんだと思う。
なまえはそう言ってふっきれたように笑った。そして彼女はまたオレにお礼を言う。
「ありがとう、征十郎」
「オレは何もしてないよ」
「お家に連れて行ってくれたよ。一緒に寝てくれたし、公園にも行ってくれた。……バスケだって、してくれた。あはは、すっごく嬉しかったんだよ? 付き合ってもないのに恋人みたいだなーって思えた三日間だったから楽しくてしょうがなかった。最後にこんな良い思いできるなんて思わなかったよ。やっぱり征十郎最高」
ねえ。
ねえ、征十郎。
「友達になってくれてありがとう」
「うん」
「下らない話に付き合ってくれてありがとう」
「オレの方こそ、ありがとう」
「ブランコ乗ってくれてありがとう」
「楽しかったよ」
「バスケの約束も、守ってくれてありがとう」
「あの時、答えてやれなくてすまなかった」
「ううん、ううん、いいの、勝手にやったことだもん」
そう言っているのに、なまえの目からはぽろぽろと涙が零れはじめる。やがてくしゃりと顔を歪めたなまえは両手を顔で覆って泣き始めた。
「もっともっと、」
「ああ」
「いっぱい遊びたかった。馬鹿なことで笑いあいたかったよ。帰りに寄り道してアイス食べたかった。誠凛と洛山の試合、見たかったよ。征十郎とももっとバスケしてみたかった。京都案内してほしかったよ、映画とか、水族館とかも征十郎と行ってみたかった。言いたいこと、たくさんあった」
「聞くよ、どれだけ長くなっても全部聞く」
「だめだよ、時間ないもん。だから征十郎、一番聞いてほしいことだけ聞いて」
溢れる涙を止めもしないでなまえはオレを見て、あの懐かしい、優しくて、胸が締め付けられるような笑顔を浮かべた。
「征十郎、バスケ、しよ」
それを見て、聞いて、ようやくオレも受け入れた。そんなはずはないと目を逸らしてきた自分の気持ちを、受け入れることが出来た。手を伸ばして、彼女を掴む。だけど、昨夜みたいに上手くいかなかった。もうなまえに触れることはできなかった。手は空を切って彼女を通り過ぎる。だけどそれがあまりにも悔しくて、なまえに上を見る様に言った。素直に顔をあげた彼女の唇に、自分のそれを重ねる。触れたかどうかなんて分からない、意味もあるのか分からない行為だったが、止めることなんてできなかった。そこにはやはり、温度はなく、今度は感触すら存在していなかったのだけれど、驚いたようにオレを見るなまえに笑う。
「これで、最後?」
「うん、さいご。わたしの最後のわがまま」
「分かった。やろう。シュートで良い?」
「うん……、ブロックする」
青峰たちが置いて行ったバスケットボールを拾い上げて、ゴールに向かって投げる。飛び上ったなまえの指先がわずかにボールに触れたように見えたがシュートは決まる。こちらを見たなまえがにっと口端を釣り上げた。
「ナイスシュート」
「なまえ」
「なに、征十郎」
「遅くなったけど、いうよ。あの頃は気づけなくて、考えもしなかったからこんなに遅くなってしまったけど、ちゃんと言うから聞いてくれ」
改まった頼みに彼女はわずかに不安になったようだった。困ったように眉を寄せてそれでも頷いたのを見て笑ったまま言う。
「好きだ。オレも、なまえが好きだよ」
どこが、なんて分からない。いつからかも分からない。ずっと傍にいて、それが当然だったから考えたことも無かった。だが、ようやく気付けた自分のなかにある気持ちだけは本物だった。彼女が好きだ。好きだ。好きだ、
こんな時になるまで気づかないなんて、本当に間抜けな話だが。
草むらの陰で何かの虫がリーリーと鳴く声を聞いていると、なまえはまた止まった涙が溢れ出て来たようだった。それでも笑ってばかと呟いた。
「言うの、遅いよ」
「すまない」
「ほんとだよ、やーいやーい」
「日記も読んだ」
「うそ!? なんか恥ずかしい! 変な事書いてなかった?」
「変な事しか、書いてなかったよ」
「ぎゃー!」
「オレは、ほとんど返事をしなかった」
「えー、でもわたしがやろって誘ったんだし」
「だから、今度はオレが書く番だ」
その日あった事。嬉しかったこと、つらかったこと。楽しかったこと。笑った事。なんでも良いから書くよ。
「お前の返事がなくても書くから、きっと読んでくれ」
「……うん、分かった。読むけど、あんまり無理して書かなくて良いよ」
慣れないことすると鼻毛が伸びるからねとふざけて意味不明のことを言ったなまえは、笑ってはいたがやっぱり大号泣だった。脱水症状になるんじゃないかと心配になるほどの涙だったが、それでも真っ直ぐにオレを見ていた。その姿がだんだんぼやけてくる。ああ、本当にいなくなってしまうと感じた。
「ね、征十郎。元気でね。怪我とか病気しないでね。つらいことあったらちゃんと泣いて、楽しいことあったら笑って。それで素敵なひとと恋をして、黒子君たちとバスケして、きっと幸せになってね。約束だよ、やぶったら嫌だからね」
「善処、するよ」
「そんなこと言って〜。でも、もう心配なんてしないよ。だって大丈夫でしょ? 今はもう、黒子君たちと一緒なんだもん」
それが、もう自分がいなくても平気だという意味にとれて胸が僅かに痛んだ。
「……なまえ、お前は会いに来てくれてありがとうと言ったが、オレのほうこそありがとう。お前はオレを困らせてばかりと言ったが、そんなことはない。オレはなまえに会えて良かった。三日前、ここで会った事だけじゃない。中学校のころから、出会ってくれてありがとう。オレを友達だと言ってくれてありがとう。優しくしてくれて、好きになってくれてありがとう」
「ばーか、当然だよ! わたしは征十郎の友達なんだからね!」
なまえは、そして空気に溶けるような初めて聞くような声で微笑みながら言った。
「征十郎、だーいすき」
さよならも、またねも、別れの言葉は何一つないまま、彼女は空気に溶ける様に消えた。バスケットコートから、オレたちの過ごしたこの街から、この世界から、いなくなってしまった。残ったのは蒸し暑い夏の夜と、虫の鳴き声だけ。
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