「どうして……!!」
頬を殴られ、驚いたオレと、憤る黒子。彼のもとに誠凛のマネージャーがかけよってきてやめなさいと怒鳴ったり、洛山のチームメイトたちが呆気に取られているのも目に入らないくらい、続けられた言葉は衝撃をもってオレに届いた。
「なんで半年もあったのに、気付きもしないんだ! 彼女は、君がいない間もずっと待っていたのに、どうしてそんなにも無関心でいられたんだ……!! 来ていないのかって、当然じゃないですか! みょうじさんはお盆休みの日に、車にはねられて……、それで……!!」
何を、言われているのかなんて分からなかった。コートを照らす、強すぎる光に目がくらむ。
車にはねられて、それで?
その後も何かを言われていた気がしたが、何も耳になんて入ってこなかった。突然そんなことを言われても信じられるはずもない。何も気にせずに過ごしてきたこの半年間、彼女はもうこの世にいなくなっていたなんて、信じられるものか。幼い頃からずっと一緒に育ってきて、いつも笑っているなまえを見て来たんだぞ。そんな彼女の笑顔が、もうどこにもないなんて、
「……、」
ふと、目が覚めた。部屋は薄暗く、恐らく真夜中であろうことを知る。
彼女の夢ばかり見ていたせいか、無意識に目がなまえを探す。すぐに見つけることはできた。なまえはオレの腹の上に跨って覗き込んでくる。
「おはよう、征十郎」
「……まだ夜だ」
「うん、真夜中」
どうして目が覚めたのだろう。いつもならこんな変な時間に起きるようなことは無いのに。やはり疲れから体のリズムが崩れているのか、それとも。見下ろしてくる彼女の顔は、陰になっていて見えづらい。それでも完全な暗闇というわけではないからうすぼんやりと表情を確認することが出来た。あの頃には見た事も無いような、感情の抜け落ちたような目。当然か。あの頃とはもう違う。彼女はこの数年間を笑って過ごすことはできなかっただろう。誰にも知覚してもらえずに、たった一人でバスケットコートで過ごしてきたのだとしたら、それはあまりにも長すぎる冷たい時間だったろうから。
がたがたと窓が強い風に揺られ、雨音がひっきりなしに響く。
その中で、なまえはぽつりと小さな声を漏らした。
「昼間、征十郎を、殺したいのかって……聞いたよね」
「……そうだな」
それに対する言葉はなかった。彼女はなにも言わずに両手をオレの首に伸ばして掴む。相変わらず体温の感じられないその手に目を閉じた。
「オレを殺す?」
「殺せるよ」
「じゃあ、やってごらん」
我ながら馬鹿なことをしていると分かっている。だけどどうしてだか自然と体が動いた。暫く首に手を添えられたまま、沈黙が続く。だが突然頭を叩かれた。
「っ、なにを、」
目を開けたオレが見たのは手を振り上げてそのままボコボコと殴り掛かってくるなまえの姿。意味が分からない。首を絞めるのではなく殴り殺すことにしたのかと思ったが、さすがに彼女の顔を見てそうも言っておられずにその手を掴んで引き寄せて押し倒した。
「なまえ」
「っ、ばかやろー、征十郎のばかやろう」
オレの下で」何故か大号泣するなまえは両手を掴まれてもなおじたばたと暴れる。あまり物音をたてられると家の人間に気づかれるのではとも思ったが、こんな真夜中だ。きっと誰も気づきやしない。
「ばーか! ばかばかばかばか!」
「心外だな」
「なんで抵抗しないんだよ! ほんとに死んじゃうかもしれないのに! わたしはもう死んでて、征十郎はわたしが征十郎を恨んでるんじゃないかって考えてるのに、どうして!」
ばか、とまた言われた。ようやく彼女が怒り始めた理由を理解する。殺される可能性があるのにオレがなんのアクションも取らなかったことが気に入らないらしい。だが、そんなことを言ってなんになるのか。そもそも何故なまえがこれほどまでに取り乱すのか、理解できずに黙って彼女を見下ろしていると耐えかねたのかなまえが叫ぶ。
「幸せだったかって聞いたら、幸せだったって答えたくせに……!!」
それからなまえはさらに大泣きをした。
外の雨にも負けないくらいの大声でわんわん泣いて、大粒の涙をいっぱい零した。
「……それはキミの幸せの秤じゃ、きっとはかれないものだ」
「久しぶりに会ったのに、まだ征十郎ほんとに嬉しそうに笑ったりしないし気を使うようなことばっかりだし! 相変わらずバスケ馬鹿だし! なんにも変ってない! ほんと、なんにもだよ!」
あれから何年経ったと思っているのとなまえは泣きわめく。
「幸せの秤とかわけわかんないこと考えなくたっていいんだよ! 征十郎がしたいようにして、それで征十郎が笑っていられるならそれで良いんだよ! あの日だって、来てくれなくたって良かった。ただちょっとでも約束していることを覚えていてくれて、征十郎が考えなきゃいけないたくさんの大事なことに対して気が楽になってさ、もしもほんとうに気紛れで遊びに来てくれたなら一緒にバスケして、楽しいって思ってくれれば良かったの!」
「あの頃のオレは、バスケを楽しいとは感じていなかったよ」
「だからわたしとバスケするんだよ!」
もう支離滅裂だった。幽霊だというのに鼻水まで出ているし、本当になんなんだと呆れながらティッシュを顔面に押し付けた。そうすれば自分でずびびと鼻をかむ。
「わたし、征十郎とバスケしたって絶対負けるじゃん!」
「当然だな」
「でもわたしは征十郎とバスケできて楽しいじゃん! 征十郎は勝って楽しいじゃん! ウィンウィンじゃん!」
何がウィンウィンなのか、さっぱり分からない。だけど、ようやくあの日なまえがオレをバスケに誘った理由、それからオレにだけしか見えない状態になってまでこうやってこの世界に残っていたのかが分かった。オレを恨んでいる恨んでいない関係なしに、それでもやはりオレのせいなんじゃないか。
「オレは、なまえに心配をかけていた?」
いじめっこの中に突っ込んで行くなまえ。
いじめられっ子を助けようとして自分が笑われ者になる女の子。
ふざけたことばかり言いながら、人一倍他人のことを考えていた、オレの友達。
「心配ばっかだったよ! 何が楽しくて生きてるのか分かんなかったし!」
「楽しいから生きるんじゃないよ、生まれて来たから望まれた場所まで生きるんだ」
「楽しまなきゃ損じゃん! 同じ時間を生きるんだったらつまんないより楽しい方が絶対良いもん! だからバスケしてたんでしょ、それなのにバスケまで楽しめなくなるとかふざけてるじゃん!」
どうして征十郎が楽しんじゃだめなの。
どうして征十郎ばっかり責められるの。
「なんで、自分を軽視するの……。なんで相談してくれないの、」
「すまない」
謝った途端、丸められたちり紙を投げられる。
「そうやってすぐ謝って良い顔して! 征十郎なんてだいきらいだ!」
言うや否や、なまえは消えた。本当に目の前から見えなくなったみたいに消えた。
「……なまえ?」
ふざけているのか。早く出て来い。というか消えることができたならさっさと言え。驚くから。隠れるな。
そうやって何度声をかけても、なまえはもう姿を見せなかった。
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