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あのころ。
まだみんなが笑いあって中学生活を謳歌していたころ。

 なまえはバスケのことなんて全然知らなかった。「八対八で戦うんでしょ」と言って誇らしげな顔をするくらいには全然知らない。そんな彼女がどうしてあの日、オレにバスケをしようなんて言ったのだろうかと考えていた。なまえがオレに勝負をしかけてくることは多々あった。それは、大抵オレが何か別の要件に追われていたり忙しくしていたりする時。なまえは将棋やチェスなど時間がかかることばかりやろうというから、時間はいつもなくなったけれど、逆に心は急ぐことをしなくなった。彼女の前で取り乱して急ぐ真似はしたくなかったし、できなかった。

 やはり、彼女はよく見ていたんだ。それからたぶん、オレのことを理解していた。

 きっとあの日も、なまえはオレに気休めだとしても、休息を与えようとしていたんじゃないのか。ばかなやつだ。そんなことしなくても(されなくても)あのときは、何も変わらなかった。それは分かっている。だけど楽になれただろうか。行って、彼女とバスケをして、下らない話をすれば楽に。答えはもう二度と分からないままだった。


 「征十郎!! お昼を一緒に食べましょう!!」

 中学二年の春、あいつは鼻のあたまに絆創膏という間抜けな顔でオレの前に弁当箱をずいと突き出した。見れば、鼻以外にも傷だらけだった。今度はなにをしたのか。尋ねると、ふんと強く鼻息をはいて腰に手をそえたなまえが答える。

 「けんか!」
 「何故?」
 「わたしがきれただけ!」

 それで歩いていたら征十郎がご飯食べているのが見えたから来たのと前後の文章がまったくつながらないことをなまえは言った。

 「部活のメニューを組んでいたんだが……」
 「でもひとりで食べるよりふたりのほうが楽しいでしょ」

 ほらほら今わたしは征十郎と一緒だから楽しいですよ〜嬉しいですよ〜寂しくないですよ〜、ふざけた風に言うなまえに何を言っても無駄だろうと判断して彼女が座る分の席をあけてベンチをつめた。どかりと横に腰かけたなまえはどうやら荒れているらしい。唇をとがらせて勢いよく弁当を食べ始める。頬にはひっかききずがふたつ。それにそっと手を伸ばせば、なまえはびくりと震えて丸い目でオレを見た。

 「な、に?」
 「女の子なのに、顔に傷をつけるもんじゃない」
 「傷があってもなくてもわたしの顔はたいして変わらないから良いの」

 あとで聞けば、どうやらなまえは桃井にちょっかいを出していたグループにひとりで突っ込んで行ったらしい。そこで女生徒と口論になって最終的には殴り合いにまで発展したようだが、本当に馬鹿なのに正義感だけは人一倍というか、なんというか。見てみぬふりができないなまえにため息をひとつつけば背中を叩かれて幸せが逃げるから吸ってと言われた。

 「征十郎、わたしといると溜め息ばっかり。つまんない?」
 「そんなことはない。元気だなと思っているだけだ」
 「そうそう元気いっぱいだから今度のマラソン大会、紫原と競争するの。先にゴールしたほうがお菓子三日分もらえるんだよ」
 「女子の方が男子より走る距離が少ないだろう、あれは」
 「それはハンデだよ、ハンデ。足の長さの」
 「性別じゃないのか」

 たしかに紫原の方が、なまえより身長もうんと高いから足の長さも全然違う。だがハンデはそこなのか。性別の差からくる体力を考慮するんじゃないのか。考えてしまって笑いがもれると、なまえはきょとんとしたあとに顔をくしゃっとさせた。


 「笑った!」
 「え? ああ、うん」
 「わたしね、征十郎の笑顔だーいすき」

 どうもと短く礼を返せば、あいつはさっさと食べ終わった弁当を片付けて膝を抱いた。そして頭をぐでんとさせてオレを見ながら続ける。

 「たまに自然に笑うの、すき。なんかかわいいもん」
 「かわいいというのはよく分からないが……」
 「ほんとだよ、ずーっと見てたい」

 だからきみはもっと笑いなさい、なんて言ってなまえがオレの頬を両手でつかんでぐりぐりと揉んできた。それを見て、あいつは笑う。

 「ぶふっ変なかお!!」
 「誰のせいだと思っている」


 だけどいちいち怒る気にもならなくて、オレが弁当を食べ続ければなまえはきひひと奇妙な声を漏らして口もとを隠した。オレよりたくさん笑うなまえの顔も、嫌いじゃなかったってことをオレはきちんと伝えてやれていただろうか。たぶん伝えられなかったが、それでも彼女はいつも笑っていてくれたから、それだけがせめてもの救いだ。


だけど、それが当然になりすぎていたのが悪かったのだろうか。

あれは確か、冬の入りだったと思う。中学二年の冬、夕暮れの薄暗い中をランニングしている時も、ひとりで公園のベンチに座り込んでいるなまえを見つけた。声をかけると、彼女は驚いたような顔でオレを見てそれからベンチに転がった。日はどんどんと傾いて、公園を夜の帳が包んでいく。その暗がりの中でなまえは丸くなっていた。その行為が理解できず、それでもほうっておけば風邪を引くのは目に見えていたので手を引いて家路につかせる。しばらくは大人しくついてきていたなまえも、やがて、ぽつぽつと雨粒が落ち始めてきたころにオレの手を離して立ち止まった。


「……何をしている?」
「帰るの? このまま?」
「当然だろう」

彼女が何を言いたいのか分からずに眉をひそめると、なまえは顔をしかめたまま吐き出すように呟いた。

「そうやってお家に帰って、いつもと同じように過ごして、これまでと同じ明日を過ごすの?」
「言っている意味が分からない」
「征十郎、最近変だよ。何かあったんでしょ? 嫌な事、あったんだよね。つらくて、楽しくないんでしょ。もうずっと征十郎が楽しそうに笑うところ見てないよ」

次第に強くなってきた雨脚が身体を冷やす。なまえの額には髪が張り付いていたが、彼女はそれをはらいもしなかった。

「なまえに何が分かるんだ」
「分かるよ、小さいころからずっと傍で見てきた」
「いいや、分かっていない。僕はこれからも、今までも、何も変わることなく歩いていくことを望む。お前はそれを理解できない」
「そんなの、本当に望んでいるんじゃない。苦しいのを誤魔化そうとして、自分は強いから大丈夫って思いこんでいるだけだよ。もうひとりじゃ何もできないくせに、どうして誰かを頼らないで自分でなんとかしようとするの? それで征十郎ばっかり嫌な思いをしているの、やだよ」
「思い上がるな。僕は何もお前の考えるような通りの人間ではない」
「強がらないでよ!」

彼女がオレに声を荒らげたのはあれがきっと最初で最後だった。いつの間にかどしゃ降りになった雨の中でもはっきりと通る声で、彼女は息を白くしながら続けた。

「わたしにまで、強がって、嘘つかないでよ……」
「…………」
「わたしにできることだったらなんでもするよ。だから、征十郎、お願いだよ。ほんとに、だってわたし、征十郎が」

彼女はその時何かを言いかけた。だけど「僕」はそれ以上聞くに堪えずに首を振る。


「なまえ、お前の望むお気楽な関係など僕は築けやしない」

それが分かっていたからお前は僕の手を離したんじゃないのか。僕も、されるがままに手を離したんじゃないのか。


「そうしたいのなら、一人ですればいい。僕を巻き込むな」

周囲の空気よりずっと冷たい言葉と同時に、なまえの頬を雨水が滑り落ちていったのを覚えている。あれは、本当に雨だったのだろうか。もう暗くなってしまった夜の歩道での出来事はあまりよく思い出せない。
だから、想像もつかないんだ。なまえはあの日、何を伝えようとしていたのだろう。

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