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 いつか、なまえは言っていた。
 「おとなになったらね、一軒家買ってね、子どもは二人でしょ、あと犬と猫を一匹ずつ欲しいな。玄関では金魚飼うんだよ」
 彼女はそれをオレに対して言ったのか、そうでないのかは分からない。(きっと未来像のなかにオレはいなかったと思う) 叶うと良いなと、オレは当たり障りのない言葉で答えたんだ。この先どうしたいのか。考えることをどこかで恐れていたのかもしれないが、お互いに真面目に進路の話を相手にするようなことはなかった。そんな曖昧なままのお互いの態度と気持ちが、こういったあいまいな環境を生んだに違いなかった。


その夜、夢を見た。
中学校の頃、まだ一緒にいたころの夢だった。お昼ご飯を食べた後の春の教室のカーテンを、風が優しくゆらし、穏やかな日差しを遮る教室の中になまえと青峰の笑い声が響く。

 「えっやだ〜赤司君の好きな人ってばおしとやかな人なの!? ってことはずっと一緒にいる女の子の私って実は自分で気付いてなかっただけで超おしとやかだったり!?」
 「自分で気付かない事実なんてねえ」
 「なにそれどういうこと」
 「つまりお前は赤司の好みの正反対だってことだ」

 その言葉になまえが悲鳴をあげ、青峰が爆笑するのを聞く。騒がしい昼休みの教室の喧騒にも紛れない程度に騒ぐ二人は、何故か本を読むオレの前に座っていた。

 「じゃあちょっと見てて、おしとやかなわたし、いきます!」
 「おう、やれやれ!」
 「あら征十郎さん、何を読んでいらしって? まあ難解な本ですこと。さすが征十郎さんですわ」

 また青峰が爆笑する。一方なまえのほうは大真面目だったらしく、何故笑われたのか分からないとばかりに目を白黒とさせる。夢だ、遠い夢。今はもう手の届かない場所にある過去、それをどこか遠い目線でそれを眺めて考えた。見渡せば、そこは中学一年のころの教室だった。たぶん、彼女と付き合い始めてすぐのころのことだったと思う。オレは、なまえと青峰のことを放って本を読んでいる。たしか、いつもこんなだった。一体どうしてなまえはいつもオレの傍にいようとしたのだろう。我ながら不思議である。なまえもなまえだ。これでは明らかにオレより青峰と親しい。

 だけど、暫く過ごしていて分かったことがある。
 なまえはあれでかなり周囲を気にかけている。青峰の変化に、そしてオレの変化にもいち早く気が付いたのはなまえだった。気づいた時には、そしてバスケ部でないなまえにはどうすることもできなかったが、それでも細やかなサポートをされていたことを知る。気を張り詰めているオレの前ではわざとふざけて息抜きをさせようとしてきたり、青峰に真剣勝負を挑んでみたり。明るく騒ぐのは、いつだって他人のためだった。それがきっと彼女も自分でも分からなくなっていったのだろう。結果として常に騒がしい女になってしまったわけだが、それでもやはり空気は読んでいて、場の雰囲気を正すのはいつも彼女だった。いじめられている男子の前でわざと間抜けな真似をして自分が笑いの対象になっていじめを失くしたり、理科室で死んでいた、ちゃっぴーと彼女が呼んでいた金魚を中休みに半泣きで埋めていたり。優しかった。その優しさが、幼馴染や友人という立場で隣にあるのが当然となっていたオレは、気づきもしなかったんだ。その努力の陰で、なまえが苦しんでいるかもしれないなんてことは考えもせずに、当然だと思ってそれを享受し、見逃してきた。

 「僕」は、時折彼女にとても冷たくした。鬱陶しいとすら思ったことがあった。彼女はそれでもめげずに笑っていた。

 「ねえねえ、交換日記やろうよ」

 ノート買ってきたんだよと言って笑ったなまえが始めた日記も、読まずにいることが多かった。時折気紛れに読んでみると、相変わらず下らない話のオンパレードで、僕は何も感じずにそれをもとの場所に戻した。だけど、今なら分かる。どれだけなまえが心をおってオレが楽しめるような文章を書いていたのかが。だけど、それに対する自分の対応はあまりにもぞんざいだった。なまえは、泣いただろうか。分からない。オレの前で彼女はついぞ泣いたことはなかった。いつでも笑顔を浮かべて明るく元気に過ごしていた。

 彼女は相変わらず二人で歩くときはオレのすぐ隣にぴったり寄っていた。手をつなぐこともあったし、そうして距離が縮まって行っても、きっと心はまったく近づいてなかったんだろう。オレが、応えなかったからだ。応えたくなかったわけじゃ、なかったんだ。たぶん、今なら分かる。オレはたぶんなまえに甘えていたんだろう。吐き出し口になってくれていることにも気づかずに、今のままで良いんだと考えていた。良いはずないのに。

 大切だった、はずなのに。

 ああ、そうだ。
 オレは認めなきゃいけない。彼女が大事だった。本当に。
 いつからかなんてもう覚えていない。きっと、出会ってすぐのころからずっと、その優しさに惹かれていたんだろう。


 「征十郎」

 征十郎、征十郎って、そうやって笑ってオレの名前を呼んでくれるなまえが。オレのためにたくさんのことをしてくれるなまえが。だけどそれを悟らせない様に行動するなまえの気持ち、オレの傍にいてくれた彼女が。

 だけどそれが当然だと思っていたから(オレたちが当然と思って受けている恩恵はたいてい当然ではなくとんでもない幸福だということをまだ知らなかった)、大切だと思えなかった。受け入れられなかった。

 高校一年の夏、帰省したオレに会いに来たなまえはあの明るい笑みを浮かべていた。
 「1 on 1しよう、五本先取で!」
 なにをしようとしていたのか分からない。たぶん、またいつもの彼女なりの「息抜き」だろう。どうしていかなかったのか。応えてやらなかったのか。あんなにもなまえはオレのことを想ってくれていたのに。そう後悔したってもう遅かった。オレは行かなかったし、なまえは行こうとして事故にあって、それで死んだのだ。車に跳ねられて、避けられた事故で。痛かっただろうか。苦しかっただろうか。聞くのは怖いと逃げたところで、彼女はもう生きて帰ってくることは無いし、オレに笑ってくれる事も無い。受け入れられるはずなのに、改めて思い出すと胸が苦しくなった。ああ、吐きそうだ。今までろくに考えてもこなかったのは、きっとこうなるのが分かっていたから、なんだろう。

 脳裏をよぎるのは、最後の日にいつもの笑顔を浮かべていたなまえの顔だった。

 (まるで走馬灯だ)
 (だれのものかは、わからなかった)

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