10.斜め45度未来空間


何かが変わったか、と問われれば俺は首を横に振ることしかできない状況に陥っている。
夕刻の落ちていく空を眺めながら、ホームルームが早く終わるのをぼんやりと待っていた。
目が覚めた時、あの堕天使は姿を消し、羽の一枚すら残っていなかった。
もしかするとあれは全部、俺の妄想から生み出された夢だったのか。その可能性もありそうで、俺は一人頭を抱える始末となった。
馬鹿馬鹿しい非現実論に耳を傾けた自分が愚かだったのかもしれない。

「雨甲斐君、ちょっといいかな」

チャイムの音と同時に教室を飛び出そうとした俺に声をかけてきたのは、このクラスの学級委員長だった。はきはきと物事を言い、面倒見もとても良いクラスの誰もが一目置く少女である。
ちなみに、俺は彼女と言葉をかわしたことはほとんどない。
いや、どちらかと言えばその芸能人の様なオーラに押し負けた俺の方から避けていたのだが。

「…なに」
「ほら、これいつもの。桐傘君にお願いね」

差し出されたのは先程ホームルームで配られた数枚のプリントだった。
桐傘君にお願い、その言葉で俺は曖昧だが事を理解する。
梓は今日学校を休んでいた。理由はわからないが、詮索するのも野暮だと思い俺は何も連絡をしなかった。
俺と梓が幼馴染であることを知っているクラスメイトは少なくない。
つまり、これを家の近い人物に届けさせようという話になったのだろう。とんだ迷惑である。

「あいつに届ければいいんだろ」
「うん。…それと、毎日同じことばっかり言って雨甲斐君にも悪いんだけど、桐傘君に早く学校に来れるよう励ましてあげてね。詳しい事情は私も知らないけど、私から声を掛けるよりも雨甲斐君の方がきっと良いと思うから」
「……え?」

彼女は、何を言ってるんだ。
そうだ、「いつもの」と言われた時にも違和感を感じた。
俺は梓にプリントを届けに行ったことなど一度もない。逆なら何度もあるが。
それに、彼女と話すのもこれが初めての様なものだ。なのに毎日同じことを言っている、とはどういうことだ。
学校に来れるように?誰が?
…梓が?

「何の話だよ、それ…」
「えっ何って…」

俺の顔を見て、彼女はきょとんとしていた。まるで「何故そんなことを今更聞くんだ」とでも言いたげに。

「だって桐傘君、もう三週間も学校お休みしてるじゃない」





××××××××××××××

それは随分と気味の悪い話だった。
梓は三週間前、つまりは今月に入る前から学校に一度も足を運んでないのだと彼女は言っていた。
最初は何かの冗談かと思い、俺は先週梓と学校に来たことを話したが全く信じてもらえなかった。
それどころか他のクラスメイトまでこぞって彼女と同じことを口にするのだ。
「梓は三週間前から学校に来ていない。学校で姿を見た者は誰一人いない」、と。
焦る気持ちが募り、慌てて楓や杏に連絡を回した。勿論、梓本人にも。
しかし、梓の事情に関しては楓も全く知らなかった。
何より一番背筋の凍ったのは、杏から来たメールの内容である。

「先週雪那が倒れた日?うーん、確かに美術室には行ったけど、梓さんは一緒じゃなかったよ。」

俺達が星羅に会いに行った日。あの時、その場にいたのは俺と杏、そして柚葉の三人だけだったというのだ。
噛み合わない。誰の記憶の中にも、三週間の梓と関わったものはない。いや、まるでそこから梓の存在だけが抜け落ちてしまったような状況になっている。
どうして居ないんだ梓。俺だけはしっかりと、梓との記憶を覚えている。
しかし、俺が美術室に行く前に梓と交わしたメールの履歴は一つも残っていなかった。

「皆の中から…ここ三週間の梓の記憶が、消えたっていうのか…?」

あり得ない。そんなことあり得るわけがない。それこそ非現実的な力でも働かない限りは、そんなこと…。

「……まさか…」

ふと、俺は自分のスマートフォンの待ち受けに表示された赤いアプリのアイコンに気づいた。こんなもの、いつダウンロードしたのだろうか。覚えがない。
恐る恐る指を滑らせると、その赤い色は画面いっぱいに広がった。真ん中に白い文字で「Date 1」と表示されている、それ以外はまるで飾り気のないもの。
こんないかにも達の悪そうな画面には、見覚えがある。
そうだ、これは…。

「ようやく開いてくれたね、雪那!」
「っうわああっ!?」

スマートフォンから大音量で少年の声が流れた。恐怖のあまり端末を地面に落としてしまう。

「もう一日目が始まって11時間と37分も経ってるよ。何しているんだい。勿体無いじゃないか」
「な、なんだよ…お前、シルヴァーノなのか…?」

画面から相変わらず聞こえて来る声は、昨晩であった少年と同じもの。間違いなくシルヴァーノだった。

「ああ、これは僕と電話が出来るんだよ。僕も忙しいからね。君とばかり会っていられないんだ。だから何かあったらこれで連絡してよ」
「お、おい待て…!!」

端末を乱暴に手に取り、通話を切ろうとしたシルヴァーノに声をかけた。両手の震えが止まらない。
やはりあれは夢じゃなかったのか。

「梓は…梓を何処にやったんだ!?お前の仕業だろ!?」
「あずさ?僕は知らないよ。だってこの世界に来てから何もしてないし」
「さっきからこの世界って…何のことを言ってるんだ…梓を返せ!!」
「頭悪い子だなあ。仕方ないから説明してあげるよ」

怒鳴りつける俺を宥めるように、シルヴァーノは話を進めた。

「此処は君が送るはずだった次の日の平行線、つまり同じようで違う仮想世界さ。
本当の君はアスタリスクループを開いたあの時から何一つも動いていない。まあ、周りのあらゆる存在だけがそのままこのif世界に移動してきたって思えばいいよ。
そして、ここは僕…シルヴァーノの生み出した仮想世界ってことさ」
「仮想、世界…?」
「そう。元の世界とはほんの少し、過去や未来が異なる世界。ここで君自身が現在をシミュレーションして、どうあるべきかを見直して行くことができるのさ。まあ簡単に言えば、中途半端なスタートの人生ゲームだね」

シルヴァーノの仮想世界。此処にある全てものが、現実を模したハリボテだというのか。
仕組みはなんとなく理解できたが、それなら梓はどうして居ないんだ。

「梓は…何処に…」
「この世界は君の願いに沿って形成されている。もしかしたらその時に、何らかの原因でその…あずさ?って奴は居なくなったんじゃないかな」
「ふざけるな!梓の居ない世界なんて望んでいない!今すぐ元に戻せ!」
「君が望んでいなくても、周りはそうとは限らないじゃないか」
「えっ……」
「まあ、ゆっくり考えてみるんだね。…いや、少しだけ急いだ方がいいかもしれないけど」

じゃあね。という別れの言葉と共に、シルヴァーノとの連絡は途絶えた。
冷や汗が止まらない。
急いで荷物をまとめ、俺は梓の家へと向かうことにした。




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