4.白個室の少年


あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
近くの公園で雪那達はいつものようにサッカーの練習をしていた。けれども、その日は夕日が沈んで辺りが暗くなっても雪那はなかなか帰って来なかった。
夕飯はすっかりぬるくなっていた。
息子が心配になったのか梓さんのお母さんから連絡がきて、いよいよ落ち着きを無くしてきた母さんと一緒に帰りを待っていた僕は、黙ってもいられず一目散に外へ飛び出した。

三人がいたのは、近くの交差点。野次馬の視線の先に彼等を見つけ、僕は言葉を失った。
泣き叫ぶ雪那と梓さんと、梓さんに抱えられて目を閉じたまま動かない楓さん。
左目からは、赤くて黒い何かが、実写映画やホラーゲームで嫌というほど見た、しかし現実のものである、楓さんの血が、ポタポタと流れていた。
助けてくれ、助けてくれ、と泣き叫ぶ兄の姿。それから救急車のサイレンの音。
力が抜けて崩れるようにその場に膝を付き、目の前の現状を受け入れるにはまだ幼すぎた瞳から、生温い何かが零れ落ちた。

それは二年前の、ある秋の出来事。





アスタリスクループの話をした翌日、雪那は少し様子が変だった。
もしもあんなおっかないサイトに手を出そうものなら冗談じゃないぞ。しかしまあ、アクセスしただけでは何も起こらないらしいので、今のところ心配は無さそうだが。
毎日見かける学生服とは違う、赤いシャツに黒い帽子の私服雪那。コーディネートは正直イマイチであるが、別にデートに行くわけでもないし大目に見ておこう。
ちなみに雪那に彼女はいない。女の子に興味が無いって話を一度していたが絶対嘘である。
以前梓さんが持ってきた謎の雑誌を二人で楽しそうに読んでいたのを僕は知っているのだ。
知らず知らずのうちに秘密を知られているなんて勿論彼等は知らない。僕の情報網を甘く見てはいけないのだぞ。と、意味もなく得意気な視線を送ってやると、雪那はこちらを一瞥し、「なんだよ」と鬱陶しそうに目を逸らした。
電車に揺られて二つほど駅を通り過ぎる。改札を出たすぐ目の前にある白い建物に、今日は二人で用があるのだ。

「アイツ、いるのかなぁ…」

雪那がいやらしいほど大きな溜め息を吐く。
嫌だったの、と聞くとそういうわけじゃ、と欠伸を噛み殺しながらの返事。
どうにもこうにも、今日の兄はいつも以上に頼りない。

「ほら、そんなぼんやりしてたら置いていくよ…もしかして雪那、寝不足?」
「昨日…アスタリスクループについて色々調べてたら朝だった」
「…馬鹿なの?」
「うるせぇ」

こんな残念兄貴のことを一瞬でも心配した自分の方がとても残念な気分になってきた。

「それで、何か新しいことはわかった?」
「まあ、少しだけ…」

雪那はそう言いながら、ポケットにしまい込んでいたケータイを取り出した。
慣れた手つきでスライド画面を意のままに操る。

「確かメモったはず…ああ、そうそう。アスタリスクループを使うと堕天使に会えるそうだ」
「…何処の厨二漫画だよ」
「しかもその堕天使、三つ子でイタリア人らしい」
「ツッコミ所だらけだよ…」
「そいつらがアスタリスクループの管理者と繋がっていて、アクセスした人間を導くらしい」
「うん、そんなゲームありそうだね」
「買うか?」
「声優次第かな」

どちらにせよ随分と現実離れした話である。
まあ、元々「人生送り直す」という目的の為運営を続けている謎のサイトだ。そのような設定が盛り込まれていてもあながち不思議な感じはしないが、聞けば聞くほど夢物語にしか思えない。

「この話、実際に堕天使に会ったとかいう奴が書き込んでて、あまりに人が集るからスレ立ってた」
「えっそんなに?」
「どいつもこいつもあり得ないとか言うわりに楽しそうに食いついてるのな」
「堕天使ねえ…なんで天使でも悪魔でもないんだろう」
「知らん。元は天使だったんじゃないか?」
「なにその闇堕ち設定。くっ萌える」
「やめろ」

なんて話しながら歩いていると、気がつけばもう目的地の部屋の前に着いていた。
深呼吸を始める雪那の一歩前に出て、コンコンとノックをする。
扉の向こうから「はーい」と聞き慣れた声が返ってきた。

「楓、いるのか?」
「ああ、雪那?入っていいよ」

扉を開けると、狭い個室で楽しそうにボールを蹴っている眼帯の少年がいた。楓さんだ。
雪那の幼馴染で、梓さんと揃って三人、中学の頃からの部活仲間である。
僕も時折彼等の練習を覗いていたのでそれなりに仲は良い。

「お前またサッカーの練習してたのか」
「うん、暇だし」
「やるなら外でやって来いよ」
「母さんに見つかったら煩いんだよ。もうすぐ来るとか言ってたから部屋にいないと」

それにしても、と楓さんはボールを隅に置き、壁に立てかけてあったパイプ椅子を二つ持ってきた。

「検査入院してただけなのにわざわざお見舞い来てくれるなんてね」
「まあ、一応」
「ねえ楓さん、いつ退院できるの?」
「来週だって。それまで待ってくれればすぐ遊びに行ったのに」
「べ、別にいいだろ」
「雪那ってば優しいね」
「喧しい」
「いつも通り素直じゃない」
「黙れ」

雪那は楓さんにお見舞い品として持ってきた果物を押し付ける。と、そのまま無言で病室を出て行ってしまった。
あらら、と楓さんが苦笑い。

「怒ってる?」
「照れてるだけだと思うよ」
「だよね」

彼がこうやって誰かをからかうのは昔からで、所謂ドSのカテゴリーに当てはまる人物だ。
別にマゾヒストなわけじゃないのだけれども、何故か特別弄り甲斐のある雪那はいつも楓さんの標的にされていた。
そんな二人を眺めて僕はまあ色々な意味で満足するわけで。

「ところで杏ちゃん、最近雪那達は元気?」

包丁とリンゴを取り出したかと思えば、にこりと笑って差し出された。剥け、ということらしい。
彼はドSの他に王様気質があるらしい。ゲームなら絶対落とすのは難しいキャラだ。チャレンジする気は無いが。

「元気だよ。雪那は最近あるサイトに興味持ってるみたいで昨日もずっとそればっかり調べて寝不足になったんだって」

素直にリンゴを受け取りのんびりと剥きながら、楓の質問に答えた。
サイト?と楓は首を傾げる。

「アスタリスクループって、楓さん知ってる?」
「ううん、知らない」
「人生を変えてくれるっていう噂のサイトなんだって。設定がものすごく漫画風味なんだけどね」
「へえ。それ、実際やった人っているの?」
「さあ…あ、でもウチの学校に一人そんな噂されてた子はいたけど…」

そう言えば、その子はなんて名前だっただろう。雪那の同級生で、転校生の女の子。
ええと、確か…

「玄条、星羅だったかなぁ…」
「え…玄条さん?」
「楓さん知ってるの?」
「知ってるも何も…この間から向かい側の部屋に玄条さんって人が入院し始めててさ。随分変わった名字だなーって」
「それ、楓さんも人のこと言えないよね」

浜に木綿と書いて「はまゆう」なんて読み方、初見でわかる人は少ないだろう。
ちなみに僕は普通にはまきめんって読みました。ごめんなさい。

「女の子だった?」
「ううん、男の人だったよ」
「なんだ、じゃあ違うのかなぁ…」

しかし、玄条なんて名字の人物はなかなか見かけることがない。

「玄条星羅さん、何か関係あるのかな…」

扉の向こう、反対側の部屋をじいっと見据えた。

「…ところで雪那、いつ戻って来るんだろう」

兄の名前を言われ、そういえば居ないと思い出すかのように我に返った。
いい加減帰って来てもいいころ、だが。

「遅いねぇ…何処寄り道してるんだろうあのバカ…」





×××××××××××××

…おかしい。
トイレに行こうと思って病室をを出て、それから再び楓達の元に戻ろうとした時だ。

「待って」

凛とした声に呼び止められ、腕を掴まれ、何かと思い振り向いた先の意外な人物に病院の外へ連れられ今に至る。
少女の金髪が日に照らされ鮮やかに揺れた。
まさかこんな場所で彼女に会うことになろうとは。

「何の用だよ、玄条」

くるりと俺の方を向き直った玄条星羅は、以前廊下ですれ違った時とは全く違う、好戦的な目つきでこちらを見ていた。
改めて見ると本当に顔立ちの整った少女である。アニメや漫画で正体不明の謎の美少女が転校してくるなんてベタな展開はよくあるが、まさに彼女はそんな人物であった。
が、問題は何故こんなに睨みつけられているのかということである。もしかしてこの間ぶつかったことを怒っているのだろうか。

「星羅、でいいわ。玄条って名字、あまり好きじゃないもの」
「友人でもないのに呼び捨てにしろと?」
「嫌ならいい」

ふいっと顔を背けられる。
なんだコイツ。以前会った時とはまるで別人だ。まさか二重人格か。

「ねえ、貴方に聞きたいことがあったの。父さんのお見舞に来ていたのだけれど、まさかこんなところで会えるなんて」
「父さん?」
「ええ仕事中、足の骨を折ってしまってね、今入院してるの」
「へえ…」

彼女の家庭事情など全くもって興味が無かったが、とりあえず相槌だけは打っておいた。

「ところで、ねえ貴方、アスタリスクループを知ってる?」

聞き覚えのある名前にピクリと身体が反応する。
やっぱり、と星羅は笑った。

「貴方の周り、アスタリスクが潜んでいるわ」
「は…何言って…」
「信じないかもしれないけど、私はアスタリスクの所持者が誰かわかるのよ」
「アスタリスクを所持…?なんのことだよ」
「今は、わからなくていい。いや…これから先も知らなくていい」

星羅は何かを考えるように俯いた。
暫くして顔を上げると、黒真珠のような瞳と真っ直ぐに目が合った。

「いい、これは忠告よ。アスタリスクループに関わったらダメ」
「は…なんで…」
「人生を変えようなんて、考えちゃダメなのよ。あれはそういうことが出来るサイトじゃない」
「じゃあ何なんだよ」
「あれは…と、とにかくダメなの!いい!?絶対だからね!?」

星羅はそう言い放ったかと思うと、俺に背を向けその場から走り去って行ってしまった。

「は…って、おい!?」

言うだけ言って置いて行くってどういうことだよ。
俺の呼びかけも虚しく、彼女の姿は眩む日差しの中に溶けて見えなくなってしまった。


[ 18/53 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -