1.とある日常


『唐突に、世の不条理を嘆きたくなる。
この世界はどうかしている。望んだものは手に入らないし、全ての人間に平等に人生など与えられていない。神なんて唱えるだけ時間の無駄で、天使も悪魔も空想の中の産物でしかないのだ。
此処にいるのはただの人間。そう、人間だけだ。七つの大罪をその身に纏う人間達。なんてくだらない、くだらない世界だ。
しかし、そんな世界に落とされた惨めな人間達に我々は救いの手を与えよう。
心配しなくていい。答えは自分で見つければいい。我々はその手助けをするだけだ。

ようこそ、アスタリスクの輪の中へ。』





「雪那、何してるんだ?」

ぼんやりと眺めていた画面の前に置かれた大きな手のひらに、現実に引き戻される。
怪訝そうな顔で見上げると、見慣れた顔の男がニヤニヤといやらしく笑っていた。

「…なんだよ梓」
「いやだって、さっきからスマホからずっと目を離さないからさ。こんな真昼から何読んでるんだよ、お前」
「お前こそ何アホな想像してるんだよ。…ネットで見つけた小説投稿サイトで、話題になってる文なんだと」
「ふーん。見せて見せて」

ひょこっと机から身を乗り出してくる彼を宥めながら、雪那は飾り気のないスマートフォンを手渡した。
彼はクラスメイトの桐傘 梓。雪那とは幼馴染だが、どちらかと言えば腐れ縁という方が妥当な関係である。
感情表現の苦手な雪那とは正反対で、とても表情豊かで明るい性格をしている。まあ、悪く言えばただ煩いだけなのだが。
不意に手元が寂しくなったので、雪那は傍にあった菓子パンの袋を開け、それを一口齧った。
時計の針は昼過ぎを指している。もうすぐこの時間も終わりだ。午後のホームルームはクラスで後期の役員決め、だったような気がする。
全くこの上なく面倒だ。そんなもの参加しなくても勝手に決まるだろう。わざわざ自分が参加する必要はない。
菓子パンをくわえながら鞄を取り出し、いそいそと教科書をしまい込んでいると、梓が急にスマートフォンを目の前に差し出してきた。
小さな画面に映されていたのは、先程雪那が見ていた小説の一部だった。

「これ、アスタリスクループの話じゃん」
「…アスタリスクループ?」

何処かで聞いたことある名前だ。
…そういえば先日、妹の杏がアスタリスク何とかと家で騒いでいた気がする。

「雪那知らねえの?最近噂になってる妙なサイトだよ。
なんでも『あなたに人生与えます』ってキャッチフレーズが冒頭に出てきて、アスタリスクの数だけ別の人生を送り直すことが出来るってやつだよ」
「…何処の漫画の世界だよ」
「そうなんだよな。あり得ないと思うだろ?
でも実際に人生を送り直した奴がこの学校にいるって話になって、それから大騒ぎになってるんだよ」
「…誰だよ、そいつ」
「えっと確か…ああ、そうそう。隣のクラスの玄条 星羅だよ。ほら、後期からウチに転校して来た女の子。頭も良いし美人だし、全国模試でもいつも上位にいるっていう話だぜ」
「ふーん…」

玄条 星羅。数日前に少し梓から聞いたのを覚えている。
異国人とのハーフの少女で、とても容姿端麗、おまけに成績優秀と非の打ち所がない完璧な人物だ。
凡才の自分にとってはなんとも羨ましい存在である。

「玄条は人生やり直したってことか?」
「さあな。でもあれだけ天才ならやり直したって言ってもおかしくなさそうだけど」
「馬鹿馬鹿しい…そんな噂、きっと誰かがそいつを僻んで広めてるだけだろ」

天才が疎まれるなんてよくあることだ。そんな噂、数日もすればすぐ別の話に塗り替えられる。
そっかあ、と梓は残念そうに溜め息を吐いた。

「でもさ、人生を送り直せば…過去にやったことも全部無しに出来るんだろ?いいなあ」

唐突に、梓の声音が重々しいものに変わる。
悟ったように振り返ると、梓は先程までの明るい表情とは打って変わった、罪悪感を孕んだ弱々しい笑みを浮かべていた。
苦渋に満ちた記憶が奥底から蘇り、されどそれを掻き消すように雪那は首を振った。
梓の表情に怒りが沸々と煮えたぎるのを必死で抑えながら、手元にあったノートで思いっきり彼の頭を叩きつける。梓の悲痛の叫びが教室に響いたが、そうでもしないと気が収まらなかった。

「ってえ!!何するんだよ雪那!」
「その顔、気持ち悪いからやめろ」
「ひどいな!」
「あ、まずい。昼休み終わるな…じゃあ俺、帰るから」
「えっ雪那、午後の授業出ないわね?」
「出ない」
「役員決めは?」
「もし俺の名前が出されるようなことがあれば全部却下しておけ。…まあ、あり得ないと思うけど」

イヤホンを耳にかけ、それをケータイに装着する。
スルスルと画面を切り替えると、耳元からアップテンポの音楽が聴こえてきた。
梓が何か言っているが、音楽のせいで聴こえなかったことにする。
スタンと椅子から立ち上がると、鞄を肩にかけ雪那が急ぐように教室を出た時だった。

「あ…っ」

急いで廊下に飛び出したため、視界に入った金髪に気づくのに数秒遅れた。ざわざわと周りの視線がこちらに集中する。
気まずい雰囲気の中で空気を読まず流れ続けるロックミュージックがなんとも憎い。
音量を一気に下げると、雪那は目の前で尻餅をついた少女に慌てて手を伸ばした。

「わ、悪い。前見てなかった」
「い、いえ…私こそ、ごめんなさい」

弱々しい掠れた声で、その少女は言った。
顔を真っ赤にし、差し出した手を見ようともせず一人で立ち上がる。
そこで雪那は初めて、ぶつかった人物が誰なのか理解した。

「玄条…」
「す、すいません…!」

落ちていたノートを拾い上げると、玄条星羅は俯きながら走り去って行ってしまった。
涙目になっていた赤い瞳が随分と印象的だった。
…なんだか、申し訳ないことをした気がする。

「おい、ホームルーム始まるぞ!教室に入れ」

廊下の奥の方から教師の声が響き渡った。
出くわしたらまずい。確実に教室に引き戻される。
逃げるように、雪那は慌てて玄関の方へと走って行った。




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