≫ ひだりてのくすりゆび

目の前が真っ暗になった。

何が起こったのかを咄嗟に理解することなんてできず、ただただ訳がわからなかった。しかし、とてつもない衝撃が私を襲い、硬いコンクリートの地面に叩きつけられたということだけは鈍い頭でも理解できた。
いったい何が起こったのか。何が私を襲ったのか。その答えを確認するべく、身を起こそうと力を入れてみた……のだが、私の手足はぴくりとも動いてはくれず、その身体は地に伏したまま何の変化もない。無事に動くのは目と思考だけ。
そういえば何も感じない。倒れているはずだというのに、何の痛みも、地面のごつごつとした感触も、夏のうだるような暑さも、何も感じられない。

これは一体全体どういうことだ…?

ふと視界を上にスライドさせると、ガードレールに突っ込んだ一台の車が見えた。その運転席から流れる尋常じゃない血の流れも、赤くなったフロントガラスも、砕け散ったガラスの破片も、取れかかったバックミラーも。
そして、見てしまった。
そこに写る自分の姿を、己の身から流れる痛いほど鮮やかな赤色をした命の証しを。
見てしまった。
能がそれを処理してしまった。
理解してしまったのだ。
自分の置かれている状況を。その非日常性を。

身体が動かないはずだ。

何も感じられないはずだ。

私の身体はとっくに人間としての機能を喪っていたのだから。血は流れ過ぎた。私も、あの運転手も、もう助からないだろう。
寒い。何も感じないはずなのに。夏だというのに。とても寒い。寒くて寒くてたまらない。
耳の奥に聞こえる命の音は、私から流れ出た命の量と比例してか小さく弱い。
白と赤の車が私と車の近くに停車した。しかしもう遅い。眠くて眠くて仕方ない。目を閉じればきっと、深く寒い暗闇がすぐに私の意識を連れていってくれるだろう。
それを解っていて敢えて目を閉じないのは、私があの車を知っているから。
車に乗っている人を、確かめたいから。

どうか、どうか車に乗っている人物が私の予想している人じゃありませんように。あの人が運転席から連れ出されませんように。

私はそう、もう動かすことができない左手の薬指に強く祈った



[ひだりてのくすりゆび]

彼女じゃないと、彼女は無事だと、そう自分に言い聞かせ担架に乗せられた人を見た

運び出されたのは女性。担架から滑り落ちた左手にきらりと光って見えたのは、二週間前に二人で買った私と揃いの指環。

目を、閉じた

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