≫ 「愛してる」

はしれ、はしれ


伝えるんだ。好きって

息が上がる。耳障りな呼吸音が鼓膜を叩く。でもそんなこといちいち気にしてなんかいられない


はしれ、はしれ、はしれ、はしれ、はしれ、はしれ、はしれ――!


いつもの坂道を駆け下りて見慣れた並木道を突っ走る。次第に呼吸が落ち着いてきた。所謂ランナーズハイにでも突入したんだろう


あと2つ、あと2つ信号を越えれば彼女に会える―!


あと少し。そう思うと自然と走るスピードもあがる。そうだ。はしれ!!
2つの信号を越えて彼女がいる病院に駆け込む

診察受付と無駄に開放的な広いロビーを突っ切って真っ直ぐにエレベーターホールへ突っ込んで、一番近くにあったエレベーターの上ボタンをひたすら連打。我ながら余裕がない行為だと思ってる。階段を使おうとも考えたが、ここまで全力疾走してきたせいで足が重く、思うように膝が上がらないのでその選択肢は却下した

『チン!』と到着を告げるベルが鳴り、その重い鉄扉がゆっくりと左右に開く。空いた隙間に体を滑り込ませ、誰も乗らない事を確認し四階のボタンと閉のボタンを押す

エレベーターの中で乱れた呼吸を整える。足は疲労と乳酸が溜まってガタガタ震えてる。階段を選ばなくて正解だったな。と、今になって自分が下した決断が正しかったことが解った。きっと階段を使って4階まで登っていたら、途中で足がつって転んでいただろうという事が安安と目に浮かぶ。病院に見舞いに来て怪我をするだなんて、まるで笑えない冗談は回避できたようだ

『チン!』とエレベーターのベルが鳴り二重の厚い鉄扉が左右に開く。扉の上の画面にはオレンジ色で4と光っており、アナウンスも四階だと告げた。どうやら本当に四階に着いたらしい。扉が開ききるのを待っていられず、半身になってエレベーターから降りた

彼女の病室まで走りたい気持ちを抑え、若干急ぎ足になりつつも、一歩一歩踏みしめるようにしっかりと歩く。病院内はよっぽどの事がない限り走ったり騒いだりしてはいけない。それは誰もが知っている当たり前の常識だ。それに何度も言うが、今は足の疲労がピークで走ると転びそうなのだ。痛いのは好きじゃない

病室に向かう途中、いつものようにナースステーションの前を通過した。毎日毎日飽きることなく彼女の病室に通っていることもあって、というよりそのせいなのだけれど、この階の看護師さん達にはバッチリ顔を覚えられている

カウンターに座っていた一人の看護師と目が合うと、笑って「毎日ご苦労様。今日は手ぶらなのね」と声を掛けられ、此方も笑って「急いでたから花は買えなかったよ」と返し歩を進める


花は買えなかったけど彼女は許してくれるだろう


コートの左ポケットに手を突っ込み中の感触を確かめる


ある。大丈夫。だいじょうぶ…


彼女に伝える言葉には無駄な飾りっ気なんて何一つとしていらない。これ以上遠回りをするなんてごめんだ。いつだって、彼女は真っ直ぐに思いを述べてきたんだ、私が逃げてどうする

いくつもの病室の前を通り過ぎ、突き当たりの病室へ黙々と足を運ぶ

425号室

彼女の病室の前に着いた。扉の横に書かれた彼女の名前を指でなぞり、最後にもう一度。左手でポケットの中の感触を確かめて扉を開く

病室の中に入るとまず目にはいるのは、見舞いに来る度に彼女へ贈ってきた沢山の花達。そういえば看護師さんがまるで花畑のようだ、と笑っていたっけ


「いらっしゃい」


と、彼女が入り口で立ちっぱなしだった私に声を掛けた


「今日は何の花を持ってきてくれたの?」


なんて、笑いながらまた言葉を投げる


「看護師さん達笑ってたよ?日を追う毎に花が増えてくから」


色んな季節が混ざった花畑みたいね。とクスクス笑う彼女に思わず笑みを溢し、言う


「今日は花を買ってないんだ。貴女にどうしても伝えたいことがあってさ。急いでたから買えなかったよ」


笑って、ベットの横に置いてある椅子に腰掛ける


「伝えたいことってなあに?」


そう私に訊ねる彼女の瞳はとても穏やかで、視力が、光が失われたようには見えなかった


「好きだよ」


私は、貴女に恋をしました


少しの静寂の後に聞こえたのは、彼女の泣き声だった


「泣かないでよ」

「泣いてないよ」

「泣いてるよ」

「泣いてないってば」

「どうして意地張るの?」


彼女は溢れる涙を止めようと、溢すまいと。必死に目を擦りながら、私に叫ぶように訴えた


「私もう目が見えないんだよ!?君の顔を見ることも、同じ景色を見ることもできないんだよ!?」


必死になって叫ぶ彼女がただただ可愛くて、愛しくて。私は己が相当重症であるのを悟った


「いいよ。それでもいい。私は貴女が欲しい。私が貴女の目になるよ。貴女の隣でずっと支えるから」


それじゃあ、だめかな?


目を擦る手を握り、いまだに流れ続ける河を優しくせき止める


「私が貴女を支えるから、貴女は私の隣で、私の事を支えてくれないかな」


流れ続ける河はいまだに止まる気配はなく、頬に添えた手は彼女の手によって包まれた
彼女の濡れた両の瞳に私を写し、次に何を伝えるべきかを考える


「愛してる」


左ポケットに入った指輪は暫くの後に受理された

その時も、彼女はまたぱたぱたと大きな泪を流し、静かに泣いた

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