un bel homme


男の子が見えた。
一人、呆然と黒い空を見上げている男の子が見えた。

後ろから見ているために表情はわからない。だが、状況からして良くないものだとはすぐにわかるものだった。
暗い中でもまるで光り輝いているような銀の髪が印象的で、千里は思わず魅入られていた。
彼は細身の刀をきつく握りしめていた。ひらひらとこの場にそぐわないほどの軽さで鞘についている紐が揺れている。

「       」

何か呟いたようだったが聞こえなかった。
哀しい響きがあったように思えた。



場面が変わって、千里は今度は流れが急な、崩れかかった場所にいた。
そこで見えたのは互いの剣をぶつけ合う赤と青の青年たちだった。髪型が違うために始めは気付かなかったが、ほとんど同じ背丈、反転したように同じの顔のつくり、動きまで似通っている。双子だ、とすぐに合点がいく。

スクナとヒコナも双子でそっくりだ。あの愛犬たちも白い体にそれぞれ青と赤の首輪をしている。

「俺たちがスパーダの息子なら」
「受け継ぐべきなのは力なんかじゃない!」
「もっと大切な―――誇り高き魂だ!」

赤い人の方が諭すように言った。
二人は剣を弾き合い、距離を取った。
何が起きているのか全くわからないが、自分が今さっき見た男の子は一人だったはずだ。どちらがその男の子なのかわからない。この光景はきっと先ほどの続きなのだろうから、恐らくどちらかの男の子だ。

「その魂が叫んでる―――あんたを止めろってな!」

指を差した赤い彼の目には、熱い決意があった。
青い彼を止めるために来たのかとそこで千里は理解した。青い彼がせんとしたことは世界にとっては良くないことなのかもしれない。

青い彼はそれを聞くと嘲笑するように笑った。


「悪いが俺の魂はこう言っている―――もっと力を!」

双子の行く末を見なければいけないような気がして、動かないでギュッと拳を握りしめた。

「双子だってのにな―――」
「双子―――そうだな」

ああ やっぱりそうなんだ

そこで視界が真っ暗になる。また場面が変わるのかと割と冷静に思ったが、眠気もないのに瞼が落ちる。
あんな場面を見て眠れるわけがないじゃないか―――そう文句を言っても「眠れ」と言われているようで逆らえなかった。



-Une rencontre avec un bel homme-



足場が崩れ、重力に従って落ちたときの浮遊感が体にまだ纏わりついているようで気持ち悪い。

―――そもそも私死んだんじゃないの?

千里はやけにはっきりしている意識に疑問を持った。あの高さから後ろに落ちて無事だとは思えなかった。
周りも暗くてよく見えなかったが、暗闇に慣れてきたのか段々と辺りがはっきりしてくる。潔く体を起こせば、ばしゃりと水が動く音がした。

水の中に落ちたのかと起きたばかりのぼうっとした頭で考える。身につけているもの全てに水が染み込んでいるようで冷たいし寒い。体温がどんどん奪われていく感覚があり、くしゃみも一つ出た―――ぶえっくしょん。可愛さの欠片もないが聞いている人もいないだろう。

「…寒い……っ?!」

ぼそっと呟いて自分の格好を確かめると、おかしな色が目に入った。目が見開かれる。
もう一度見直すが、やはり色は変わらない。

白衣が赤く染まっていた。
あまり濃くはなく、ピンクに近い色であるが、それでも千里を狼狽させるのに十分だった。

「血?!」

怪我をした記憶はないのにと思って腕や足を見てみても、傷はない。あの高さから落ちて寧ろこれだけ傷がないのもおかしいが、混乱している千里は気付いていない。

足を見た時に自分が浸かっていた水も見えた。そこで納得した。ああ、水が赤かったのね。

「違う違う」

そうではない。水が赤いなんておかしいにきまってる。水分で赤いものなんて血以外には絵の具をとかした水くらいなものだ。ここにある大量の水が絵の具をとかしたものだとは到底考えられない。それに、血のあの独特の鉄の臭いもない。

周りを見渡してみると、墓石のようなものがいくつかあることに気がついた。円のようになっている場所で、円状に建っている柱や像は全て傾いてしまっている。像はどことなく神々しささえ感じさせるもので、この暗闇にはミスマッチだった。

そして水の中に体半分が浸かってしまっている白い物体が倒れていた。息を呑み、バシャバシャと水が跳ねるのも気にせずに走り寄る。水の中に手を入れて抱き上げると青い首輪が目に入った。

「スクナ!」

愛犬のうちの片方が気を失っていた。
もう一匹の愛犬、ヒコナがいないかと慌てて見回すが、姿は確認できない。

「なんで―――」

一緒に落ちたはずなのにいないとはどういうことなのだろう。頭をガンと殴られたような衝撃だった。まさか、と最悪のことが浮かぶが、大きく頭を振って否定した。そんなわけない。絶対にない。

とりあえずスクナを持ち上げ、この場所から何とか出なければと考えを巡らせてみる。が、閉鎖されたように行く場所が見当たらない。同じような場所がいくつも見えるくらいで、物音もしない。不気味の一言に尽きた。

運良く肩に引っ掛けたままの矢筒の中に、矢が10本残っていた。後は落ちてしまったらしいし、拾う気も起きなかった。弓は自分が寝ていたところにあり、一度その場へ行き、スクナを下ろして肩に引っ掛ける。そしてまた体を持ち上げた。
今襲われたりしたら終わりだなあとどこかのんびりと構えていた。

それよりも、あの神社に現れた化け物は一体何だったのだろう。他の人には見えていなかった…というか他の人がいなかった。今のように。あんなもの、おとぎ話やゲームの中でしか見たことがない。

隣の円状のところへ足を踏み入れた。水はここも同じで赤く、墓石が建っているのも同じだった。墓場なのだろうか。
音もなく誰もいないところを歩き続けることに不安を感じてしまう。

「……スクナ?」

腕に抱いていたスクナが身じろいだ。爪が肩に食い込みそうで少々痛いが目を覚ましたことがわかり、千里はホッと息をついた。もがくスクナを下ろすと倒れていたとは思えないほどに元気だった。少し駆けた後、千里の傍らに控えるように止まった。
赤い水に浸かっていたために赤く染まってしまった体が痛々しく映った。

「…帰ってシャワーでも浴びなきゃね」

行こう、と言って千里は弓を掛け直し、また水の中を進み始めた。