カーティスのことでアンジェラと議員がもめた後、アンジェラが悔しそうにどこかへと向かってしまった。だが、何となく次に彼女が起こす行動は読めていた。議員に言われた通り、カーティス本人を連れて無実の潔白を証明するのだろう。

追おうとしたレオンの耳にバタバタと駆けてくる足音が届いた。

「ケネディ捜査官!」
「何だ?」
「我々は救急隊ですが…」
「!」

やっと来たのか、とレオンは思ったが口には出さないでおいた。
ハニガンが出してくれた、重傷のディアナを特務機関内の救急棟へ搬送する救急車のことだろう。彼らが到着するよりも早くにディアナの傷の痛みが軽減していることはもちろん知らないだろう。

さてどうしようか。

「レオン?」
「ディアナ、救急隊が到着したらしい」
「…乗った方がいいのかな…?」
「その方が恐らく安全だとは思うが…」
「レオンはアンジェラを追って行くのよね」
「ああ。今の彼女の状態だと何が起きるか分からない。本人は至って冷静に見えるが、中では信じられていない気持ちの方が強いだろう」
「わかった」

何が分かったのだろうと疑問に思い、思わずじっとディアナを見つめてしまう。レオンの視線に気づき、ディアナは苦笑した。

「特務機関内に行くわ。レオンもクレアもいない中で、こんな状況だから、一人でいる方が危ないと思う」
「そうしてくれると安心だ」

ふっと表情が緩むのが自分でもわかった。
レオンはディアナの頭に手を置いて優しく撫でる。ディアナにとっては慣れてしまった行為らしく、初めは頬を赤くしていたのに、今となっては嬉しそうに微笑むだけで、からかい甲斐は正直半減だ。
それでも、彼女に触れることを許されていると思うと否応なしに嬉しさはこみ上げる。そして無駄な期待も。きっとクリスはもっと彼女に触れることができるだろう。いつか彼を越えて行ければ―――レオンはそう考えている。

「じゃあ、行くね」
「ああ」
「気をつけてね。怪我しないで…」

救急隊の方へ足を向けようとしながらも、ディアナはレオンの目を見つめて心配が前面に出ている声を出した。任務があれば常に死と隣り合わせのクリスを見送って来たこともあるのだろう。
凛々しい表情もあれば、こうして可愛らしい表情も見せる。レオンからすれば嬉しいことこの上ないものだ。心配するということは、それだけ自分のことを気遣っている証になる。

「“約束”はちゃんと覚えておいてくれ」
「…うん、楽しみにしてる」

これだけでも正直、レオンは幸せを感じた。
確実に、一歩一歩先へと進んでいるような気がするのだ。はっきりは言わないし言えないが、この約束は要はデートだ。次の休み(がいつくるのかは分からなくなりそうだが)に、二人で、どこかに出掛ける。

約束は時に人を強くする。
レオンは確実に強くなれるタイプの人間だ。

「では、我々が責任を持って搬送致しますので」
「引き続き、調査の方をよろしくお願い致します」
「ああ、頼んだ」

救護服を着た二人は、ディアナを支えるようにして敬礼をした。レオンは頷き、ディアナたちの姿が見えなくなるまで見送ることにした。次第に小さくなって行く彼女たちの姿に、早く終わらせようという気持ちが生まれてきた。

レオンも背を向け、自らが進む方向へと歩き出した。


* * * *


レオンとは、怪我が酷かった先ほどよりもすんなり別れられた。やはり、先ほどは怪我で不安だったのだろう。自分もまだまだ弱い部分が多い、そう思いながらディアナは少し体調が悪そうに歩いていた。そうしないと怪しまれてしまうからである。通報時は明らかに大怪我だったはずの人間が、30分程で普通に歩いている光景はおかしいのだ。

救急車というには何だかちょっと違うような車に乗せられ、脈を測られる。特に問題はなく、鼓動も安定しているためにここには問題はないだろう。
その間にもう一人が痣の部分を見て、触ったり圧したりしてどのような痛みかを聞いてくる。しかし痛みは大してない。それでも見た目が真っ青な痣のために、痛そうな素振りを見せる。骨はやられていないと手当をしてくれている隊員は言った。まあその通りだろう。

「あとは報告だと後頭部からの出血があったということですが」
「あ、はい…」
「失礼します」

後ろに回られ、隊員は髪を分けて傷の部分を探す。しばらくして動きが止まったところから考えると傷を見つけたらしい。

「瘡蓋にはなっていますね。脳震盪を起こしましたか?」
「ええ恐らく。瓦礫が当たった後の記憶がしばらくないので」
「今は特にないですか?」
「騒動のせいで痛みが飛んでしまったみたいです」
「気持ち悪さや視界がぼやけるということもありませんか?」
「今のところは…」

こんなに尋ねられるのは久し振りのことで、病院嫌いのディアナには応えるものがあった。何でも記録され、どこかにその情報は流されているのではないかと過剰なまでに構えてしまう。
隊員はカルテであろうものに懸命に書きこんでいる。

「痛み止めを打っておきましょうか」
「え…」

どうしよう―――ディアナの動きがぴたりと止まった。
痛みはなくなった。痣が痛々しいだけで、傷の痛み自体はもう体から抜け切っているような気がしている。
痛くないところに痛み止めを打ってしまってはまずいのではないか。何かショックでも起きないだろうかと心配になる。両親は医学に深い理解があるが、ディアナ自信は医学を学んだことはないために不安に駆られる。

レオンなら何て言うだろう、レオンなら―――。

固まってしまった思考を必死に動かそうとする。冷静でいつも的確な答えを出す彼なら何と答えるだろうか、もっと考えるのよと数秒の間フル回転で出した答えは

「…痛み止めは、ケネディ捜査官が打ってくれました…」

だった。
嘘をなかなか付くことができないディアナからすれば尤もらしい理由だった。

一瞬ぴたりと器具を扱う音がやみ、ディアナは安堵の息をつき、下を向いた。良かったこれなら大丈夫そう―――そう思った矢先、体が後ろに傾いた。
ギリギリと上から力を入れられる感覚は、空港の廊下でのゾンビとのやりとりを彷彿とさせた。

「なっ、何ですか?!」

何が起きているのか分からず、やっと押し倒されていることに気付き、慌てて抑えつけられている腕に力を入れて覆いかぶさる隊員を退けようとした。思った以上にディアナの力があったことに驚いたらしく少し力が弱まったが、すぐに今まで以上の力を入れられる。容赦のない力の入れ方に骨が軋んだ気がした。

「いた…っ?!」
「黙っていれば良かったのに、流石というところなのか」

ぞわりと背中を何か悪いものが駆け抜けた。
共にどこかへ行ってはいけないと本能がアラートを鳴らしている。

「あなたたち誰なの…?!」
「知ったところで絶望するだけですよ」

その答えだけで、ディアナには彼らがどこから来たのかが理解できてしまった。本当に目の前が真っ暗になるような感覚がした。

彼らはウィルファーマから来たのだ。
ずるずると自分の腕から力が抜けていくのが分かる。レオンは特務機関から寄越された救急車だと言っていなかっただろうか。彼が嘘をつくとも思えない。隊員の顔を見たくなくて横に顔を向けると、縛られて気を失っている男二人を見つけてしまった。彼らが本当の隊員で、ウィルファーマから来た今動いている二人に襲撃されたのだろう。

誰かがディアナに関わる指示を出している。それはきっと彼なのだ―――。

思い至った人物の名前を言おうと口を開いた次の瞬間、口元を覆うように何かが押し当てられた。甘い臭いが襲って来て吐き気が生まれるが、口は布で塞がれたままのために開くことはできない。生唾ばかりが口内に溜まっていく。

「―――う、っふ…」

数十秒としないうちに今度は頭痛がしだす。クロロホルムの特性だと存外に冷静な脳内が推測を立てるが、体はそろそろ限界だった。視界も霞みだし、隊員の姿がぼやけ出す。クロロホルムは数分吸引すると気を失ってしまう。暴れようにも足には男が乗り上げているし、両手とも頭上で抑えつけられたまま動かせない。為されるがままというのがまさに相応しい状況だった。

抵抗したい気持ちと裏腹に、ディアナの目は閉じていった。

レオンとの約束は守れないかもしれない―――漠然と、ディアナは思った。




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