ウィルファーマの車から次々と下ろされてゆくものを呆然とクレアが見ていた。彼女の近くにはフレデリックが立ち、その様子を静かに見ている。 バタバタと駆けて行く音だけがその場に大きく響く。 「どうしてあなたが…」 突然後ろから現れたフレデリックにクレアは声が出ない。昼に見た時は、彼はタクシーを捕まえて空港の外へと出て行くところだったように思われた。それが、何故今この場所にいるのか。クレアの頭の中は一気に混乱した。 「彼がウィルファーマ社の主任研究員だからだよ」 フレデリックの更に後ろからデイビス議員がニヤついた笑みを浮かべて現れた。 この如何にも人の良さそうな人間がウィルファーマだということは嘘ではないかと思われた。まるでクレアにひと泡吹かせてやったとでも言いたげな上院議員は、自分のことでもないのに得意げにフレデリックの隣に立った。二人の身長差と細さの対比ができるほど、クレアは落ち着いていられなかった。 「紹介しよう、フレデリック・ダウニング君だ。彼こそt-ウィルスのワクチンを開発した人物だよ。君もあのウィルスのことはよく知っているようだがな」 何と言うことだろう。 頭を何かで殴られたかのような衝撃だった。クレアは信じられないものを見る目でフレデリックを見やる。ワクチンがあるだなんて知らなかった。そんな話は一度も聞いたことがなかった。 「じゃあ、こんかいのターミナルビルの感染は…」 「まさかウィルファーマ社が作った薬物がばら撒かれたとでも思っていたのかね?そんな馬鹿な話しはありえんよ。彼らが作ったのは、あくまでt-ウィルスのワクチンだ。これ以上感染を広げないためのものだぞ!」 ディアナは議員のその様子に反吐が出るような気がした。 そんな大切な情報は先に流すべきではないのか、と感じている。t-ウィルスは最早世界的に知られている人災ウィルスである。そのワクチンを作るというのであれば今回のデモも起きなかったかもしれない。起きていたとしてもそこまで大きな騒ぎにはなっていなかっただろう。 「でも…」 「本当だよ、クレア」 まだ何か納得できない様子のクレアだったが、ディアナの隣からレオンが一歩進み出た。クレアはディアナがいることに目を大きくしたが、レオンの言葉に、やはり信じられないという驚きが表情となって浮かんでいた。早足でレオン、ディアナ、アンジェラの元へと近づいてくる。少し憤りが見える。 「知っていたの?」 「ああ、こんなに早く認可されるとは思ってなかった」 「じゃあ…インドで行われた臨床試験というのは…?」 「t-ウィルスを手に入れたテロリストが引き起こした事故だ。グランデ将軍が支援しているとされるグループだが、全員が感染したため、詳細は分かっていない。合衆国政府は、インド当局の要請を受けて、ウィルファーマで極秘に開発したt-ウィルスを近隣地域に投入した。結果は成功だった。感染の拡大は、最小限に食い止めることができた…」 レオンは知っていたのだ。大統領下にいるのだから当たり前といえば当たり前だった。 t-ウィルスは感染が早い。そしてたった少しの傷でも感染を引き起こす。被害の拡大が早すぎる。 ウィルスに対処するためには、ディアナのような特殊な人間を除き、ワクチンの接種が必要になる。 「…極秘に開発したのは、ばれたらそれを狙われるから…?感染しないのであれば脅す意味がないし、t-ウィルスをなかったことにできてしまうから?」 「…そうだ。その見解が政府内でも大多数だった」 ディアナの考えにレオンは同調した。 秘密裏に開発されたものにはそれなりに理由がある。直前まであった“先に言えば大きな被害にならない”という考えは、ある意味では正解であり、ある意味では間違っているということだ。 「じゃあどうしてそのワクチンをここでも使わなかったの?!ターミナルに入る前に打っていれば、グレッグも…!」 アンジェラがあまりに冷静に言葉を紡ぐレオンに掴みかかった。その顔は何にぶつけたら良いのかわからない怒りに満ちていて、美しい顔が歪んでいる。仲間を失うことがどれだけ大きいことか、改めて感じざるを得なかった。 胸倉を掴んで力任せに揺すっても、鍛えられたレオンの体は動かない。ディアナも声を掛けようとしたが、何と言って良いのかわからなかった。 「テラセイブの告発がなければそれも可能だったのですがね」 もうひとつ、やけに冷静な声がアンジェラの言葉を遮った。フレデリックがディアナたちに近づきながら、説明をする体勢に入っていた。 ディアナは彼の心のない目を見て、再び悪寒が走るのを感じた。何故周りの人々は彼の危なさを感じ取らないのだろうか。そして、テラセイブを馬鹿にするような話し方―――それが一番、許せない。 「あの告発さえなければ、予定通り国の認可を取り付け、国家備蓄として…ワクチンを12時間以内に届けられた」 「そんな―――それじゃあ、すべて…私たちのせいね…」 クレアが顔を反らし、ぽつりと呟いた。 激昂していたアンジェラもその言葉に、力が抜けたようにレオンの胸元から手を下した。 テラセイブが悪いと思っている民間人はいなかった。それはディアナもアンジェラもきっと同じで、透明性のないものを疑ってしまうのは人間の性だ。ときにやりすぎることもあるけれど、同じ民間人として、彼らは最大限にやれることをやってくれていた。 「その点は否定せんよ」 議員が言ったことに、反論できる者はなく、ただただそこに静寂が走るばかりだった。 → |