「で。どういう事か、ちゃんと説明してもらおうか、名前」
分かりやすく機嫌の悪さを醸すトシ。
え−っと、何から話せば良いのか…、その−、ね、色々あるよね世の中。なんて、取り敢えず濁してみようと無理矢理の笑顔を作ってみたものの、目の前で紫煙を燻らす彼は、当然引くつもりなんて更々なさそうで。ひしひしと伝わるこの無言の圧力は相当のものだ。痛くて痛くて耐え難い。

ちゃんと、話します。とポツリ言えば、当然だと煙草を押し消し、帰るぞと私に背を向け歩きだした。どうやらお互い午後の講義には出られそうにないようだ。でも仕方ない、と私は彼の背中を追った。


大学を出てからは、適当に足を進めなかなか口を開かない彼に、何が聞きたいのかと問えば睨まれた。しょうがないから、坂田さんと初めて出会った日の事、今夕飯を共にする事になった経緯を話した。トシは唯々黙って私の話を聞いていた。

「…」
「だから、ただそれだけなの。彼は私のお隣さん」
「名前。」
「ハイ、」
「何でお前はそう人が良いっつ−か何つ−か。無防備過ぎんだよバ−カ」
「…ハイ。」
「あの様子じゃ、うちの学生ってことさえ知らなかったんだろ?ンな訳解んね−男を部屋に入れるか普通。やっぱバカだろ」
「ハイ。もう本当に、返す言葉もありません」
「ちったぁ物事良く考えろ。」
「ごめんなさい。」

彼は昔からそうだ。当事者の私なんかよりもずっと広い目で推し測り、的確な判断をアドバイスとして私にくれていた。一生懸命でいてくれてた。

「……バカヤロー。あんま心配かけんな。」

叱ってくれるのも心配が故。知ってる。解ってたからこそ話せなかったんだもの。
でも、私が敢えて話さずにいた事によって尚更心配かける事になるなんて。申し訳なさ過ぎる。やり場のない思いで俯いてばかり。

そんな時、不意に訪れた頭をくしゃくしゃと撫でる包容力に溢れる手。顔を上げれば、バカ名前、と、ほんの少し表情を緩めて見せてくれたトシにほっとした。
何時もそうだった。彼はこうやって許してくれるんだ。私は此れに何度救われた事か。そう、あの時だって―――。

その反面、これは蜂蜜漬けの罰だと思う。とても甘くて、底抜けに優しい、でも此れ以上ない程に苦しい。
ごめんね。なんて、どれだけ伝えても足りなくて。

「――でも、まぁ、」
「…ん?」
「俺も全く知らねぇような、ホント何も解らねェやつじゃなくて良かったような…、」

至極複雑な表情を浮かべ、ぶつぶつと呟く彼。

「そうでしょう?何故か解らないけど、私も坂田さんじゃなかったらこうはなってなかったと思うよ。私だって、それなりに危険察知能力くらい」
「無ェよ。そんなもんありゃこうなってる訳ね−だろ。」

ちっ、と一つ舌打ちすれば、前言撤回と声を荒げたトシ。アイツには気を付けろと、何度も何度も念を押された。

うん、解った解った、とサラリと返答すると、ホントに解ってんのかよ全く、と少々呆れ顔の彼も、私が笑って見せれば釣られてか、しょうがね−なと、表情を和らげた。


「ところでよォ。も一つ気になる事があんだけど、」

突然何だろうと思ったが、元はといえば其れを聞きたいが為にこうやって連れ出されたのだろうと、そう思い、次の言葉を待った。

「お前とアイツ。どっちが先に住んでたんだ、そのアパート」
「え?」
「だから、アイツが後から越してきたんじゃねぇかと思って、」
「や、私が入った部屋のお隣に挨拶に行ったら坂田さんが、」
「…だよな。」
「うん。」
「アイツが引っ越した−みたいな話聞いてねぇし。引っ越したの、名前の方だもんな」
「? うん。」

はぁ、と盛大に溜息を吐くトシ。どうして?と尋ねても、いや、別に何でもねぇけど、でもこんな事あって良いのかよチクショー、と明らかに“何でもない”という様子ではない。

「ね、気になる!流石に私も気になる。トシが話したくない事は絶対話さないって事くらい解ってるんだけど、でもこんなに解りやすく隠されても」

足を止めてそう言えば、私よりも四、五歩前に出て止まったトシが振り返り、ほんの少し目を丸くした。

頭を掻き、ホントお前には弱ェ、と。

「あのな。」
「うん。」
「だから、」
「うん、」
「…―――。」

私より多く進んだ歩数を引き返し距離を詰め。目の前に来た彼は、続きを待つ私の額を人差し指でトンと小突き、教えてやらねェ、と言った。

「ず、狡い、こんなの!」
「へ−へ−、俺は狡いんだよ悪ィか。大体何でもねんだよ、しつこいぞ」

さっさと足を進める彼。悔しいから直ぐには後を追わなかったが、振り向きもしない彼から言われた「置いてくぞ」という声で、結局私は追い掛ける羽目になった。

「でも、なんか懐かしいね。」
「あ?何がだ」
「高校の時も何度か授業抜け出して」
「アレは違うだろ。サボりじゃね−よ」
「自習は教室で大人しくするものよ?」
「校外学習だ。」
「まぁ、そういう事にしといてあげる」

日差しは強くとも、何故か苦でなかった。そんな事よりも懐かしさの方が心を占めていた。
あの頃の、高校の夏服姿のトシが今隣にいる彼と重なって。

――つい、そっと手を取ってしまった。

「…っ、何、どうした、」
「あ、ごめ、条件反射」

驚いて此方を向くトシを見て、失敗したと、心底そう思った。ごめんねと巧笑を浮かべ離せば彼は、いや、と視線を逸らした。

「なぁ、」
「ん−?」
「別に、繋いでも構わねーけど」

此方を向かずに言うその言葉に、堪らず吹き出した。

「あはは、何それ、ツンデレ?」
「違ェよっ、そんなんじゃねぇよ。だから、」
「?」

その時ふと目についたスーパー。夕飯の事が頭を過った。

「…あのさ、名前、俺達、」
「あっ!ごめんトシ、カレー粉って覚えてて!今日は買い物なしで良いと思ってたんだけど切らしてるんだった。うわ−危ない危ない」
「…。」
「あれ?今何か、」
「いや、何もねーよ。それより今日、俺も名前んとこで夕飯食う。」
「何でそうなるの」
「アイツと二人きりなんて危険だろうが。」
「危険はないけど、うん、おいで。引っ越し後は初めてだね。何なら泊まったら?」
「えっ、あ、イヤ、それはアレだろ色々と」
「何動揺してるのよ。別に構わないわよそれこそ」
「そこは構えよ。」

でもその代わり、カレー粉って覚えててね。帰りにちょっとだけ買い物に付き合って、と言った私に、あぁ、付き合うよ、と一つ返事くれる彼。


彼が隣に居てくれれば、唯の、何気ない会話も見慣れたこの道も色付く。そんな事くらい、ずっと前から知ってる。でも、それでもやっぱり―――。






交わされた口約束は叶わない まま
(ずっと一緒に、と、あの頃の私達は、)





090306 憂安

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