今日の講義は午前のみ。其れから定まった目的地も持たずフラフラと行き交う人の波に揉まれながら街を漂って時間を潰し、空が赤を含み出した頃漸く夕飯の買い物を済ませ家路に着いた。

徐々に慣れ、親しみも涌いて来た私の部屋へと導く此の階段を、普段と何ら変わりなく一歩一歩と踏みしめながらも、持ち上げる足の重さで本日の歩行距離を知った。


「よォ。」
「―っ、……。」
「ンな解りやすく無視しなくても良くね?」
「…………。」
「放置かっそういうプレイなのかオイ」

貴方の言う通りですよ。別にプレイだとかそういう意味じゃないんですけどね、コレっぽっちもそんなつもりはないんですけど、えぇ微塵もないですとも。唯、無視って辺りは大正解ですよ、大当たりですおめでとうございました。

そんな事を脳内で呟きながら、自分の部屋の扉に凭れ立つ彼の前を目も呉れずに足早に摺り抜け、早々と自分の部屋へ身を隠した。

越して来た極初期には鍵を開けるという単純な行為でさえ多少もたついていたのに、日々繰り返す事に寄る成果はこんなにも目に見えるものなのかと、そんな実感を抱えながら自分の学習能力のなさをも痛感した。別に無視する必要なんて無い筈なのに。

でも先日の玄関先でのあの光景は思い出すだけでムシャクシャする。あんなに綺麗な女の人に抱きつかれて、丁度帰宅した私に見られて焦って弁解なんて。

「ちょ、おまっコレ違ェからっ。何でも無ェからコレっ」
「酷いわ銀さんったらコレ扱いなんてっ!そうやって思う存分私を蔑めば良いじゃないっ」
「煩ェっ離れろっつ−のっ!つ−か無視すんなコラぁぁあっ」

あの時何故か必死に攻防戦を繰り広げている彼を横目に、私はもう来ないでくださいと立ち入り禁止令を発令し、其れと同時に彼と話す機会もなくなった。

彼女が居るなら彼女の家にご飯食べに行けば良いじゃないの、と、そう思うとやんわりと怒りが込み上げて来た。何より、彼と出会ってからというもの、何時でも簡単に振り回されて、勝手に動揺して。そんな自分が酷くバカらしくなった。

其れなのに、調達してきた物を一つ一つ冷蔵庫にしまっていると、彼しか飲まない彼の為のイチゴ牛乳が買い物袋から姿を見せた。無意識とでもいうのだろうか、或いは習慣というものだろうか。此れには本当に毎度驚かされる。

手を付けられる事のないイチゴ牛乳のパック3つ目と暫し見つめ合った後、其れは無言で冷蔵庫の中へ収納された。


彼が此処に来たのであればきっと今は食後のテレビ鑑賞タイムだろう。彼が陣取るテレビ前、其処はテレビを見るには打って付けで、今は自分が其処に寛げば良いのにまるで其の時であるかのように私は少し離れたソファの上で。

視界に広がるこの空間には何時も後方から眺めていた横たわる背中が、残像のように朧気なのに確かに居座っているような気さえして。

頭を支える腕が疲れないかと思い差し出していたクッションが今は私の膝の上にあって、「コレ、どうぞ」という私の其れに「あぁ、さんきゅ−」と受け取っていた声も酷く鮮明に耳に残っていて、その時さながらに聞こえて来るような。

――私、どうかしてる。

半ば呆れて洩れ出た溜め息に次いで埋もれるようにソファへ背中を預ければそっと目蓋を落とした。

―コンコン。コンコン。

嫌気さえ注したからあらゆる思考を脳内に巡らせぬよう完全に回路を遮断したというのに。私の頭をノックする音なのか此れは。なんて事が過る辺り、本当に故障してしまったのではないかと思った。

冷静に考えてみれば、この後方に位置する壁の向こうは例の彼の部屋であって、此方を伺うかのように断続的な音をさせている犯人は容易に検討が付く。(というか、こんなにも物音が伝わるとは心外だ)

徐に振り返り、白い壁へ鋭い視線を送りながら、鳴り止まない音を目の前にどうしてくれようかと悩む。
きっと此れは彼の策略なんだ、のってやって堪るかと思いながらも、されるがままである事も何処か口惜しいような。

すると、突然音のリズムが変わり、耳に届いた其れは。

コンコンコン、コンコンコン、コンコンコンコンコンコンコン

「三三七拍子ぃぃいっ?!」

あまりの彼のおふざけ具合につい大きめの声を出してしまった。のるまいと思っていたにも関わらず嵌まってしまったと、大きな溜め息を吐き、酷く項垂れた。

ゆっくりと立ち上がりベランダに向い外に出れば室内の其れとは大きく差のある生温い空気が身を包んだ。
柵に頬杖付き、もう完璧に夏だなぁ、なんて思いながら姿の見えない虫達の声へ耳を傾けて居ると隣の戸の開く音と着火音、それから紫煙が届いた。

「飲むかァ?」

仕切り戸を越えて差し出された缶ビール。

「…結構です。」

一言そう断りの言葉を送れば、「やっと口利いてくれた」と柔らかい声色が。表情は見えなくとも、きっと彼はあんな顔をしてるんだろうな、なんて、遠くを往く車のライト達を見ながらそんな事を思った。

「―――煙草、吸うんですね。」
「あ?知らなかったかァ?」
「知りませんでしたよ。というか、貴方の事知ってるのは“坂田銀時さん”っていう名前だけだもん」

本当に、お互いの事知りもしないのだから。そんな小さな事だって。貴方に至っては、私の名前さえ知らないんでしょう。

でも、「お前が煙草嫌いだとアレだと思って結構気にしてたからなァ」と言う其れは何故か嬉しかったりした。

「別に嫌じゃないですよ?平気です。だってトシも、あ。」
「―――、…ふ−ん。なら良いんだけどよ」

うっかり出てしまった其の名前。だって煙草と言えば彼のイメージが強すぎて。「何だよ彼氏かァ?」なんて要らぬ冷やかしを食らうかと構えたけれど彼の反応は至って薄かった。ホッとした反面、やっぱり興味一つ持たれてないのかと再確認してしまった。

「…あ−、腹減った。空きっ腹にビールは染みんだぞコノヤロー」
突然何だ、当て付けか、と思いながらも「ご飯食べてないんですか」と問うと、「手作りの美味い飯食いてェなぁ−…」と、全く以て人の話を聞いてないようだ。

多少はまたもや掌で操られてると自覚はありながらも、それでも私は彼にこう言ってしまうのだ。

「…あの、表、開けますから。夕飯、何か作りますよ」
「でもよォ、もう10時もとっくに過ぎてんぞ」
「何かしたら即通報ですから」
「風呂は?」
「どうしてお風呂?…今からですけど何か」
「一緒に「ヤッパ来なくていいです」
「冗−談だって冗談っ。すんません何か食わせてくださいお願いしま−す」

珍しく時間なんて気にしてくれてると感心させられたというのに、全くこの男は何処までも捉え処が無い。言うなれば、台無しにするのがお得意技か。

「じゃ、あの、どうぞ」

言えば一足先に室内へ。とても冷えた其処を心地良く思った。

何が作れるかなと食材チェックしていると鳴り響いたチャイムの音で玄関へ向かい鍵を開けた。

何故だろう、ゆっくりと開いた戸から見えた彼の姿と久しぶりに向き合い、確実に交わった視線により自分が正常に機能しなくなってしまったような、形の無い何かが私の心の最奥から溢れるような、そんな気がした。


「ただいま」





気が付けばまた貴方を想ってる
(本当は、ずっと前からそんな事、)







080725 憂安

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