<老いた海王類>

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皆が寝静まった夜、名前は一人砂浜に降りたち、今日のことを考えていた。波の音だけが静かに聞こえる。

空には星が幾千にも瞬き、海には水面に反射した月がゆらゆらと揺れ動く。

(人魚かぁ...。)

ぴちゃぴちゃと素足で、打ち寄せる波に触れる。ひんやりとした冷たさが気持ちいい。
懐かしいその感触に、名前は一歩一歩と沖へと進む。足の甲、足首、ふくらはぎと水面が高くなり、膝のあたりに来たころ名前は歩みをやめた。
そして目を瞑る。

感覚を研ぎ澄ませていく。真っ暗な中で聞こえるのは波の音。スーっと足の指の先から、海が自分の身体の中へ入り込んでくる、そんな感覚に陥る。
まるで自分が海の一部になったような。

その感覚が気持ちよく、名前はそのまましばらく海に身を委ねた。

“......戻ってきたか。”

「誰っ!?」

突如、何者か分からない声が頭の中に響く。名前は目を開け辺りを見渡したが、人の影らしいものすら無い。明らかにここいるのは自分一人だった。
しかし先ほど明らかに聴こえたそれは、どこか懐かしく優しい。

“海のほうを見なさい。”

頭の中に響く声に従って沖のほうを見つめると、大型の海王類の姿が見えた。年老いた雰囲気はあるもののその眼差しはしっかりとしており、名前のほうを見つめていた。

「貴方の声なの?」

“いかにも。”

名前は驚いた。海王類と話すことが、初めてだったからだ。普通、人魚は魚と話すことは可能だ。しかし海王類と話せる者はいない。
レイリーの話していた、しらほしだけだ。
そう思っていたのに。どういう訳か、自分も今海王類と話している。

レイリーの話していた通り、普通の人魚ではないということか。まあ、尾ヒレもないのだが...と、名前は思った。

「どうしてここへ?」

“君に呼ばれたような気がしてね。”

早く泳ぐことは得意だから、とその海王類は笑った。

“人魚になりたいのなら、強く望むことだ。”

「え?」

名前は自分の心を見透かされたような、そんな感覚におちいった。

“本当に望めば海は力を借す。”

海王類は名前を後押しするように、そう言ったが本当に望むというのは一見、簡単なようで難しい。
無理だろうという気持ちを消すことは、容易に出来るものでは無い。
戸惑う名前に海王類は声をかけた。

“海を感じてみろ。海と一体になるようなイメージだ。”

それならなんとなく分かると、名前はゆっくり目を閉じた。先程と同じように海に身体を委ねればいい。
潮の香りが漂う中、名前の頭に子供の頃過ごした海の中が思い浮かぶ。そして中でもお気に入りの場所、海の森。

ーーーーーートクンッ。

名前は血が騒ぎ出す、何かが身体じゅうを駆け巡るようなそんな感覚がした。
何が起こったのかは分からないが、気が付くと目の前に人魚の尾ヒレがチラついていた。
自分の意志に従い動くそれは、何度見ても自分の身体と繋がっている。
そして変わりに先ほどまであった人間の足が、無くなっていた。
これは夢じゃないか、と名前は何度も何度も見た。
しかし、どれだけ繰り返そうとも下半身は水に使ったまま、小さなウロコが月の光に照らされてキラキラと輝いている。

“そう慌てるな。”

海王類はそう言うが、この状態で落ち着けという方が無理だ。

ずっと人魚にはなれないと思っていた自分が人魚になっている。そのことは、とても嬉しい。
だが、実際になってみると、もう元には戻れないのかという不安が無いわけでは無い。

「もう私は人間にはなれないの?」

名前は贅沢な!と言われてしまうかもしれないと少しビクビクしながら、その疑問を素直にぶつけた。
すると海王類は大きく笑う。

“大丈夫だ。また海に望めば人間に戻れる。”

“すまないが私は行く。誰か来たようだ。”

“言い忘れていたが青の剣。あれを持つことで力の制御が可能だ。必ず手元に置いておくように...。”

そういうと海王類はパシャリと水音を立てて、暗闇の中へと消えていった。

(青の剣はあの時無くしてしまった...。力の制御ができないって一体どういうこと?どうしたら...。)





(名前のヤツ、どこへ行ったんだ?)

今日はほとんど、あいつの顔を見ていないような気がする。
冥王に何か聞いたか?

(手間かけさせやがって...。)

一通り見て回ったが船内にはいない。ローは甲板に出て辺りを見回す。
すると海の中に人影が見えた。目を凝らしてみると、髪の長い女のようだった。
この島でわざわざ夜に海に入る女名前、一人しか思いつかない。ローは船を降りて、向かうことにした。

距離が近くなるにつれて、その女が名前であることが確実になっていく。

「おい、そこで何して...。」

俺は思わず言葉を失った。名前の下半身は鱗に包まれ、その姿は人魚そのものだ。噂では聞いていたが、まさか実際に見る日が来るとは思いも寄らなかった。

それも愛しい女の。

「ロー...?」

柄にも無く、心臓がドキっと強く拍動した。
男を魅了する人魚。その言葉の意味が、ようやく分かった気がする。

名前は人間の時もいい女ではあるが、人魚の姿はどこか妖しさを放ち、濡れた肌が美貌を際立たせ、ため息が出そうになるほどの美しさだ。
水で濡れた髪でさえ色気が漂う。

流行る気持ちを抑え、一歩一歩と名前に近付く。

「お前どうやって人魚になった?」

「えっと、なんて説明したらいいか...教えてくれたの。年老いた海王類が。」

「海王類?」

名前は今までのことを全て話した。どうやって人魚になったのか、昼間レイリーから何を聞いたのか。





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