猫舌なら冷ましてあげましょうか



「明日のお昼、一緒に学食行かない?」

 昨日、突然伊月がそんなことを言ってきた。いつもなら、コンビニでおにぎりやパン等、簡単に食べられるようなものを買って、その辺で適当に昼食を済ませているのだが。
 …なんでわざわざ学食?
 そんな疑問が浮かび、思わず伊月の言葉に眉を顰めたが、話を聞いてみれば、明日は午後入ってすぐの授業が、先生の都合により急遽休講になった、とのこと。伊月はいつもその午後からの授業のために、移動しながらパン等昼食をとっているのだが。明日は時間ができたため、これを機に一度学食を経験してみたいそうだ。
 俺はもともとその時間には授業の予定を組み込んでいなかったため、断る理由はない。一人で簡単に昼食をすませて図書室に籠るより、伊月と一緒にゆっくり昼食をとった方が楽しいだろう。

「……別に構わねえけど」

 興味なさげに素っ気なくそう言ったが、実際、俺の心は。





 お祭り状態だった。





 何故、俺がそこまで喜んでいるのか。それにはもちろん深い理由がある。
 俺と伊月の通っている大学は、学食において、他の学校よりも秀でている、と一部の間で噂となっていた。別に、メニューが豊富だというわけでも、高級食材を使っているというわけでもない。この学校と他との違い。それは。

 
 とにかく、でかいことだ。


 それだけのことか、と大抵の人は思うだろう。ごはん大盛りを頼むのと同じようなものだと思うだろう。俺も、ずっとそう思っていた。でも、俺は聞いたのだ。静かな図書室で、彼女持ちらしい男子生徒二人が、小声で話しているのを。
 どうやらその男子生徒は彼女と一緒に学食で食事をしたことがあるらしく、その時のことを自慢げに話していたのだ。男子生徒曰く、「小さい口で、大きい餃子を一生懸命食べようとしている姿が可愛い」…らしい。
 餃子なんかで萌えられるのかはよくわからないが、自分の好きな人だったらどんな大きいものを食べていようと可愛く見えるのだろう。
 だから、俺もいつか伊月にでかいもんを食わせてその様子を見てみたい、なんて思っていたのだ。そんな時にこの大チャンス。そりゃあ、喜ぶに決まってる。

 ……つか深い理由とか言ったけど、特に深くもないっつか、下心でしかねぇが。


















「………で、何でお前はラーメン食ってんだ?」
「ふぇ?」

 食堂の端の二人席。向かいに座った伊月は、麺をくわえながら視線だけこちらに寄越した。若干上目遣いになっているのが無意識なのかと思うと恐ろしい。あざとすぎる。

「だから何でラーメンなんだよ」
「何でって言われても。……ラーメンの気分だったから?」
「いやそうじゃなくて……」

 口の中の麺を飲み込んでから、伊月は俺の問いに少し悩む素振りを見せて答えた。でも、俺がききたいのはそこじゃない。そういうことじゃない。長い溜息をつけば、伊月は不思議そうに首を傾げた。

「どうしたの、花宮?」

 俯く俺に優しげに声をかけてくる伊月。そんな伊月に俺はたまらず拳を作った。ふるふると震えるそれを机の上に叩きつけ。




「ラーメンとかでかいのどんぶりだけじゃねえか!!!」
「え……」




 叫ぶ俺に訳が分らないといった様子で伊月は再び首を傾げた。もちろん俺だって自分に言いたい。何を訳の分からないことを言っているのだ、と。


「い、いや、でも入れ物が大きいだけじゃなくて、ちゃんと量も多いと思うよ?」

 一生懸命考えてくれただろうその返事をきき、なんだか申し訳ない気持ちになってきてしまった。

「え、えーっと……花宮は太麺になってることを期待してたの?」
「……あーうん、もういいわ、うん、じゃあそういうことで」
「なにそれ」

 笑って伊月は再び俺からラーメンへと視線を戻した。箸で一口分の麺を掴んで持ち上げる様子をぼーっと見つめていたら、伊月が不満そうな声をあげた。

「……あんまり見られると食べにくいんだけど」
「はぁ?別に食う時に人の視線なんざ気にする必要ねえだろ」
「いや、気になるんだって」

 伊月は持ち上げた麺をスープの中に戻し、箸から一旦手を離す。こちらを非難がましく睨んでくるのを、俺はわざとらしく頬杖をついて見つめ返した。それでも負けじと睨み続けてくる伊月に自然と口角があがる。
 あざとい伊月も可愛いけど……強気な伊月もこれはこれで可愛いよなぁ。
 思わず、ふっと笑うと、伊月がびくりと肩を震わせて、視線を落とした。その顔がじわじわと朱に染まっていくのを見ながら、俺は、へえ、と呟く。

「んだよ、なんか変なことでも想像したのか?」
「は?!そんなんじゃないってバカじゃないの?!」
「声でけーよ」

 他にもたくさん人いるだろ、と視線で教えてやれば、伊月ははっとしたように周りを見回した。何事かとこちらに視線を向けてきた近くの人たちに小さく謝罪を述べ、一段落して吐息を漏らし、恥ずかしそうに俯く伊月を俺は「ふはっ」と笑った。

「……花宮のせいだからな」
「なんでだよ、人のせいにすんのはよくねえだろ?」

 俺がそう言って笑ってみせると、伊月は何か言いたそうにこちらをじとりと見つめてきたが、少しして視線を外すと、呟くように言った。

「……花宮が突然優しく笑うからいけないんでしょ」
「は?」

 何を言っているんだこいつは。
 口からでた声はかなり素っ頓狂なものとなってしまった。本気で意味がわからないというように顔を顰めれば、伊月は顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。一体なんなんだ。
 さっき自分がしたことを思い返すと、確かに伊月可愛いなと思って笑ったかもしれないが。それが伊月の何かしらのツボにうまく入ったというのか。

「あれか?ギャップ萌えとかいう奴か?」
「そういうこと言わなくていいから!!」

 ニヤニヤと笑いながら言えば、伊月は怒ったように頬を少し膨らませた。きっと本気で怒ってはいないのだろう、ちょっとした照れ隠しだ。俺は、意識的に先ほど伊月のツボに入ったらしい笑みを浮かべ、伊月を呼ぶ。




「お前があまりにも可愛いからさ」
「……っ変なこと言うなバカ!!」





 ものすごい勢いで真っ赤な顔を逸らされたら、楽しくなってしまうものだ。次は何をしてやろうか、と企んでいると、伊月が視線だけをこちらに寄越して、口を開く。

「っていうか、花宮さっきから一口もラーメン食べてないよね?お腹空いてないの?」
「ん?……いや、腹は減ってる」

 伊月の質問に一度自分のどんぶりへと目を向ける。できあがってからそれなりに時間が経っただろうに、未だ湯気が立っている。それを見ると無意識に眉間に皺が寄った。

「早く食べないと伸びるよ?……それともラーメン嫌いだった?わざわざ俺に合わせてラーメン買ったとか?」
「そういうのじゃねえよバァカ。嫌いなもんわざわざ頼まねえから」

 俺の返答を聞いて不安げな表情は和らいだが、代わりに怪訝な顔をされる。じゃあ何で、とでも問うように、こてん、と首を傾げられるのには俺も弱い。……伊月がそれをわかってやっているのかどうかは謎だ。
 多少情けない話ではあるが、隠す必要もないし、黙っていてもいずれはバレることである。俺は溜息混じりに「実はさ」と言った。











「俺、猫舌なんだよ」
「……………」









 暫しの沈黙。ぽかん、とした顔で見てくる伊月と目を合わせているのがなんとなく気まずくなって目を逸らそうとした、その時。

「……ふっ……くくっ………」

 伊月の肩が小刻みに震えだし、ついには堪えきれなくなったように声を出して笑いだした。

「ちょ、てめっ…何笑ってんだよ!!」
「だ、だって、さ、花宮が、ね、猫舌、とか」

 笑ったためか少しばかり乱れた呼吸の中、伊月はそこまで言った。一度呼吸を落ち着けて、伊月は改めてクスり、と笑う。

「いやぁ、なんか、花宮可愛いなぁって」
「はぁ?!」

 今度こそ本当にわけがわからない。猫舌だと可愛いのか?猫舌と可愛いはイコールで結ばれるべきものなのか??第一、猫舌のこっちの苦労をわかってほしい。熱いものを気づかずに口に含んでしまった時のつらさを理解していただきたい。

「あー、だからラーメン冷めるの待ってるの?」
「そうだよ悪いかよ。……ったく人のこと大笑いしやがって……」
「ごめんってば」

 笑いながら謝る伊月を一度睨みつけてから呆れたように溜息をつく。すると、伊月が「あ」と小さく声をあげたのが聞こえた。








「じゃあ俺がふーふーしてあげよっか?」
「……はい?」





 聞き返すが伊月はそれに答える様子を見せずに、俺のどんぶりを少し引き寄せた。
 なんだ……?これから何が起こるんだ……?
 わからないまま、伊月を凝視していると、伊月はこちらの視線に気づいたようで、楽しそうに笑った。しかし、すぐにどんぶりへと視線が戻り、箸の先がスープの中へと入っていく。それは一口分ほどの麺を捕らえ、持ち上げられた。そして、伊月はそれを自らの口へと近づけ。





 ふー、ふー、と息を吹きかけはじめた。





「えっ、おま、な、何やってんだよ?!」
「何って……花宮が食べやすいようにふーふーしてるだけだけど」
「ふ、ふーふーって……息吹きかけることか?!」
「え、何、花宮知らなかったの?」

 こうやって息を吹きかければすぐに食べられるくらいまでに温度下がるよ、なんて言いながら再び麺に息が吹きかけられた。

 いや、ちょっと待て。これは、これはまずい。

 思わず喉がごくりとなる。
 目の前の伊月が、俺の麺に息を……そしてそれが俺の口の中に入るのか……?!
 それを想像すれば、すぐさま、かあっと体温があがっていくのを感じた。これは駄目だと首を振る。

 何も考えるな、無心、無心……。

 そう思うが、麺に息を吹きかける伊月の姿が視界に入ると途端に無心でいることができなくなる。伏せがちな目や、すぼめられた小さな口、微かに朱を帯びている頬。
 それを見たら、もう。










「…俺、腹いっぱいだわ……」
「え?腹いっぱいって、まだ一口も………って、どうしたの」



 机に突っ伏した俺を心配する声がかかったが、俺は顔をあげることができなかった。
















「やっぱこの学校の学食………半端ねえ……」









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