嫌いじゃないは、当てはまらない
「おーい、いーづきくーん?」
約1mとそう遠くない――――……むしろかなり近い距離にいる相手を、わざとらしく大声で呼んでやる。ご丁寧に『君』付けまでして。
当然、ソファに寝転がって雑誌を読んでいた彼は、俺の声をきいて、不快そうに眉を顰めた。ソファから上半身を起き上がらせると、不機嫌だ、というオーラを隠そうともせずに、彼はこちらを睨みつけてくる。
「……何」
「ちょっとちょっと、そんな怖い顔しないでよ!!」
ほら、笑って笑って!と笑顔を促すように自ら満面の笑みを見せてやる。しかし、伊月は溜め息を一つ吐くと、くだらないと言わんばかりに再びその体をソファへと委ねようとした。……これはやばい。もう一度寝転がったら、きっと俺の話を聞いてもらえなくなる、かも。
「あー!待ってよ、待ってってば!!」
寝かせまい、と伊月の上半身が倒れ込もうとしている場所に無理矢理俺の身体を捩じ込ませる。……よし、これで伊月が寝るスペースはなくなった。ほっ、と安堵の息を零す。
「……なんなの葉山。さっきから煩いんだけど」
「いたたっ、ちょ、俺を押し潰そうとすんなって」
……俺の肩に背中をぐいぐい押し付けて、俺ごとソファに倒れ込もうとしているらしい。遠慮のない力加減が、伊月の本気を表している。
「つーか!!『なんなの』って!!俺はさっきからちゃんと用件を伝えてる筈ですけど?!」
俺がそう言えば、伊月はまた溜め息を吐いた。そして、俺を押し潰すことは諦めたのか、足を床に下ろして座り直すと、こちらに視線だけを寄越す。
「……だから、その話はさっきから嫌だって言ってんじゃん」
「でもさぁ……!」
「しつこい」
もう話しかけるな。そう言っているのだろう。伊月は俺を一度睨みつけ、その場から去るために立ち上がった。……勿論、それを俺が黙って見送る筈がない。今伊月が言っていたように、俺は『しつこい』奴なんだ。
俺から離れていこうとする伊月の服の裾を、ぐい、と引っ張る。
「…………なんで、伊月は嫌がるの?」
―――――……今日、一緒に外に出ることを。
小さくて、頼りなくて、弱々しい声だったと自覚はある。でも、寂しくて、悲しい、なんて感情がそうさせてしまったのだから仕方ない。
外に行こう、と今日俺が伊月に言ったのは何回だったか。とにかく数え切れないほど言った。そして、その度に全て『嫌だ』『無理』と断られた。
これが、普通の日だったら、俺だってこのあたりでいい加減諦めていたと思う。いくら俺が『しつこい』奴だと言っても、伊月を不機嫌にしてしまったら機嫌を直して貰うまで大変だからだ。
でも、今日は、伊月が俺を睨み付けるまでになっても、しつこく誘い続けた。勿論、それには理由がある。
「だって今日、クリスマス、だよ?」
一年に一度の大イベント。恋人同士、イチャイチャと手を繋ぎながら、一緒に食事をしたり、夜のイルミネーションを見たり。誰だって夢見ることだろう。
そして、伊月という恋人のいる、人生の勝ち組だと言えよう俺は、当然今年のクリスマスこそ、そんな夢のようなことができる、と思っていた。……それなのに。
「クリスマス?だから外でデートしなくちゃいけないの?」
目の前の俺の恋人は、どうしてか俺の夢の実現に協力してくれない。
「じゃあデートじゃなくてもさ?せめてケーキ一緒に買いに行こ?」
「一人でいってらっしゃい」
「もー!それじゃあ楽しくないんだって!!」
つれない態度の伊月に苛立ってしまい、思わず立ち上がってそう叫んだ。伊月は俺が大声をあげたことに一瞬驚いて目を見開いたが、すぐに険しい顔をした。あー……どうしよ、涙出てきそう。
「ねぇ何で……?俺のこと、嫌いになった……?」
声が震えた。自分が、こんなにも伊月に嫌われることを怖がっていただなんて。思わなかった。
あぁ、俺って馬鹿だな……クリスマスにこんなこと聞いて。もし本当に嫌われてたら、この場でお別れになるんだろ?クリスマスにそれは……さすがに辛すぎる。いや、クリスマスじゃなくたって、いつだって。
じわりじわりと目頭が熱くなってくる。
……伊月を失ったら、俺は……俺はどうすれば……。
「…………葉山」
滲む視界の中で、伊月が一歩、こちらに近付いてきたのがわかった。
「葉山は、その質問の答え、俺になんて言って欲しいの?」
「え……」
ほろりと落ちた大粒の涙によって、視界がはっきりした。目の前の伊月は…………少し複雑そうな顔をしていた。
「そ、そりゃあ、嫌いじゃないって……言って欲しい、けど……」
「残念。俺はそんな答え言うつもりないよ」
……ってことは……。
恐れていたことが、これから起こるらしい。一番言われたくないことを、伊月に言われるらしい。
今までで一番幸せなクリスマスになると思ってたのに。―――……まさか、最悪のクリスマスになるなんて。
「……伊月。その答え聞くの、今日じゃなくてもいい?」
「……まあ、俺は構わないけど」
少し心の準備がしたい。……あわよくば返事をきかずに現状維持って形で一生を終えたい、なんて思っているあたり、本当俺は図々しいというか、馬鹿というか。
まぁ、そんなこと無理なんだろうけど……。
「えーっと……俺どうしたらいいかな?……今日は、もう帰った方がいい?」
さすがにショックを受けたばかりのこんな気持ちのまま、一緒にはいられない。一度自分の中で整理しないと、いつも通り振る舞える自信がない。……伊月の気持ちを無視して、最後にと欲望のままに動いてしまう可能性だってゼロではないのだ。
伊月だって、せっかくのクリスマスを嫌いな奴と一緒にいたくないだろう。もしかしたら、他に好きな奴がいて、そいつと一緒にいたいと思ってるんじゃ……。
「何言ってんの葉山。ケーキ食べたいんでしょ?俺も食べたいから買ってきて。あ、クリーム少なめの奴ね」
「え」
…………今、こいつは何と言ったか。
ケーキを、買ってこい、と?俺に??
「え、俺……伊月の家戻ってきていいの?」
「うん……逆に何でお前はそんなに帰りたがってるわけ?今日俺ん家泊まってくって張り切ってたの、葉山じゃないか」
「そりゃそうだけど……」
伊月の考えていることが全くわからない。
何でそんなに嫌いな奴と一緒にいたがるのか。俺のこと、哀れんでる?クリスマス一人にするのは可哀想だからって?それが優しさって言うんなら、伊月はかなり残酷な奴だ。
何も言えずにいる俺に、伊月は訝しげに眉を寄せた。
「……クリスマスは誰だって好きな人と過ごしたいと思うもんじゃないの?」
「え?!勿論俺も好きな奴と過ごしたいよ!!」
ほぼ反射で、叫ぶようにそう答えていた。少ししてから、ちょっと熱くなりすぎたかと恥ずかしくなった……が、それと同時にあれ、と思う。なんとなく違和感を覚えて、首を傾げる。
心の中で、伊月の先程の言葉が、数度繰り返された。
『……クリスマスは誰だって好きな人と過ごしたいと思うもんじゃないの?』
誰だって………ということは。
それは、俺だけじゃなくて……………。
「い、伊月は俺のこと嫌い、なんだよね!?」
思わず伊月の両肩をがしりと掴んで勢いよく問う。僅かな希望の光を、見つめながら。
伊月は、突然のことにきょとんと目を瞬かせた。
「え、何、突然どうしたの……?」
「さっき俺のこと嫌いになったかってきいた時に……!」
その言葉に伊月は暫し考え込むように視線を落とした。
「あー……『嫌いじゃない、とは言わない』って話?」
「そう、それってつまり、俺のこと嫌いってことでしょ!?」
「……なるほど、そっちにいったか。さすが馬鹿葉山。……嫌いだとも言うつもりはないって」
嫌いじゃない、とも、嫌いだ、とも言わない。
他にどんな答えが考えられるか。
馬鹿だと散々言われる頭を馬鹿なりに一生懸命働かせ、そして――――……一つの可能性を、見つける。
「……これ、間違いだったら、すげえ俺自惚れてるだけの、脳内お花畑馬鹿になるかもなんだけどさ」
俺らしくなくて、笑われてしまうかもしれないと思ったけど。俺は、伊月の肩に置いた手を、首筋を通って、頬へと滑らせた。
「……もしかして『好き』とか、『大好き』って言ってくれるつもりなの?」
目を細めて囁くように言う。すると、伊月の肩が大袈裟に揺れた。そしてそのまま、微動だにせず、固まる。
「……伊月?」
ゆっくり呼んでやると、再び肩が揺れた。しかし、今度は視線を俺から逸らしきょろきょろと忙しなく泳がせる。加えて、紅潮していく耳と頬。それを見て、なるほど、と思った。……そうだ、こいつはそういう奴だった。
馬鹿な俺をからかうのが好きで、戸惑ってる俺を心の中で嘲笑いながら、涼しい表情をしている。それが伊月って奴だ。
今回も俺をちょっとからかうだけのつもりだったみたいだけど。それは失敗に終わってしまったようだ。……伊月が思っている以上に俺が馬鹿だったのと、馬鹿だからと油断していたのが、伊月の敗因。
「……俺、初めて見たかも。伊月がこんなに顔真っ赤にしてんの」
「……なんか、葉山が余裕そうにしてんの、すっごいムカつく」
「だって、いつも俺がからかわれてばっかで、こんなの滅多にないからさ。優越感?みたいな」
「馬鹿じゃないの」
伊月の頬をゆっくり撫でてやると、そこがますます熱をもつ。親指を唇に触れさせれば、擽ったそうに息を漏らした。
やっべえ……可愛すぎ……。
思わずそのまま、その唇を奪おうとした、が、その前に最終確認。
「……ね、伊月は俺のこと『好き』?『大好き』?」
恥ずかしがる伊月をもっと見たくて、そんなことを言ってしまう。でも、滅多にこんな姿見られないし、この状況が楽しくて楽しくて……。もしかしたら俺、エスっ気があるのかもしれない。
どんな反応を見ることができるのか。……ニヤついてしまう。
「伊月?答えて?」
伊月の唇に息を吹きかけるようにして言い、その反応を待つ。
「……でも、葉山さっき、答えは今日じゃなくていいって……」
「気が変わった。今聞きたい」
「は、やま……」
腰を抱き寄せてやれば、伊月の顔が面白いほどに赤く染まった。焦った表情が可愛くて堪らない。
「……わ、わかった。答えてやる、よ……」
「うん、言って?」
優しく微笑んで促すと、伊月は。
「愛してる、馬鹿葉山!!」
「えっあ、あいしっ……?!んむっ」
俺が予想していた、『好き』でも『大好き』でもなく。まさか予想もしなかった、最上級の言葉が飛び込んできて。それに驚く間もなく、整った可愛らしい顔が近づいてきて―――――俺の唇に柔らかな感触を落とした。
伊月に愛してると言われたのも、伊月からキスしてきたのも、これが初めてだった。……あんなに顔を真っ赤にして恥ずかしがる伊月を見たのも初めて。
伊月の新しい一面を見れたようで、嬉しくて……さらに愛おしいと感じた。
これがサンタさんからのプレゼントかも、なんて、伊月に言ったらまた馬鹿にされそうだけど。
でも、今までで一番幸せなクリスマスになった、と断言することができる。
そして、来年もまた、「今までで一番幸せなクリスマスになった」と言えるようにしよう、と俺は胸の奥の方で静かに決心したのだった。
「そういえば伊月。何で一緒に外でデートしたくなかったの?」
「え、だってクリスマスっていう聖なる夜に葉山なんかと一緒にいるのを知り合いに見られたら……なんかこう、敗北感?みたいのが……」
「伊月にとって俺ってなんなの」
[memo]
クリスマス2014
葉月の喧嘩はきっと毎度このくらいくだらない。