上下高校のジャージを着て外に出るという行為は、何故だかいけないことでもしているようで、足を踏み出す度に心臓が煩くなるような感じがした。辺りを不審なまでに見回しているうちに、ドラッグストアへと辿り着く。

「…いらっしゃいませー」

 やはりまだ明け方あたりだからだろうか。入ってすぐのレジのところに、少し暗そうな青年が一人、今にもどこかへと消えていってしまいそうなほどか細い声で、お馴染みの挨拶をした。それに反射的に小さくお辞儀をすると、すぐに目当てのものがある場所へと足を進める。起きたばかりの頃よりは足取りもしっかりしてきて、一人で歩けるほどまでにはなっていた。しかし、身体全体にのしかかる重みは消えることはない。
 えーっと……風邪薬……。
 特別頻繁に来るわけでもないドラッグストアだが、天井から吊るされている案内の看板を見れば、すぐに風邪薬のある所を見つけることができた。数種類ある中から無難に今まで服用していたものと同じものを手に取る。
 あとは何もいらない、かな。
 周りをぐるりと見回すが、他に必要そうなものは見当たらない。静かな店内にはどうやら伊月と店員一人しかいないようで、レジへと向かうために歩けば、伊月の足音だけが響いた。

「いらっしゃいませー……」

 またあの店員の声がきこえてきた。他にもお客がきたらしい。
 こんな明け方にわざわざドラッグストアに来るなんて、俺みたいに突然風邪でもひいたのかな。
 そんなことを一度考えるが、特に気に留めることもなく、商品棚の間を通り抜けようとした。その時。



 目の前を、よく見覚えのある顔が横切った。



 さらりとした黒髪に、特徴的な眉毛。見間違えるわけがない。まさかこんなところで会えるだなんて考えてもいなくて。思わず嬉しくなって、笑みが零れる。棚の間から飛び出して、その背中を追いかける。

「はなみ……」

 そこまで言ったところで、はっとした。急いで棚の陰に身を潜める。ちらりと顔を覗かせてその後ろ姿を確認すれば、彼はこちらの存在にまだ気づいていないようで、そのまま奥へと向かっていった。伊月はほっと胸を撫で下ろす。
 さすがにこの格好じゃ笑われるよね……。
 自分を改めて見下ろせば、誠凛のジャージが目に入る。さすがに大学生が着るべきものではない。それに、大学に行く時は出来るだけ服装には気を遣っているつもりだ。 それが、ドラッグストアでたまたま会ったら高校時代のジャージ、だなんて。こんな姿を見られたら、幻滅されてしまう。
 なんとか花宮にバレないようにしないと……。
 花宮より先に会計をするのは危険だ。会計している間に花宮に背後をとられたら、もうバレたも同然だろう。そうならないためには、伊月が花宮の背後につかなければならない。
 伊月は花宮の背中を追い、近くの棚に身を隠す。棚から少しだけ顔を出し、花宮の様子を窺えば、彼は酔い止めの売っている所で立ち止まり、難しい顔で陳列する薬を見つめていた。そんな彼の姿にさえ見惚れてしまう俺は、重症かもしれない。
 薬を手に取るその手付きや、薬に向ける視線に心臓がいちいち飛び跳ねるのを感じながらも、彼の様子を覗き見る。花宮は購入すると決めたらしい薬を一つ手に取ると、細身のコートのフードについているファーを揺らしながら、再び奥の方へと歩き始めた。ドラッグストアの中をぐるりと大回りに一周し、レジへと向かうのを見届ける。
 あとは花宮が出ていくのを待つだけ……。
 レジから死角となる柱に寄りかかりながら、時間がすぎていくのを待つ。手に持った風邪薬をぼんやりと見つめながら待っていると、ふと一つの疑問が浮かんだ。
 そういえば、何で花宮はわざわざここのドラッグストアまで来たんだろう……?
 花宮の家は決してここから近いというわけではない。花宮の家の周辺にも他に二十四時間営業のドラッグストアがあったはずだ。
 薬を買うだけなら近場で済ませられただろうに、どうしたんだろう。
 そんなことを悶々と考えていると、「ありがとうございましたー」という声が聞こえてきた。どうやら会計が終わったらしい。少しして柱からレジのほうを覗き見てみると、もうそこには花宮の姿はなかった。
 良かった、バレずに済んだ……。
 ほっと息をつき、自分のものを購入しようと柱の陰から出た、その時だった。




「伊月?」



 背後から、声が掛かった。その声は、何度も聞いたことのあるもので。絶対にここにいるはずのない人物のものであった。



「は、花宮……?」


 何で、さっき店出ていったはずじゃ……。
 振り返れば、不審そうにこちらを見つめる花宮の姿。伊月はほぼ反射的に風邪薬を自分の後ろへと隠した。彼の手にはここの店のビニール袋がぶら下がっていることから、会計はちゃんと終えていることがわかる。

「何で花宮がここに……?」

 顔を引き攣らせながらそう尋ねれば、花宮は気まずそうに視線を逸らした。

「……お前が寝坊とか間抜けなことして遅刻したら笑えねえと思って、お前を起こしに行こうかと……もちろん酔い止めを買いに行くついでにな」
「え、それなら電話とかでもよかったのに」

 思ったことをそのまま述べれば、花宮は明らかに動揺したように言葉をつまらせた。唸りながら視線をさ迷わせるが、返す言葉が見つからなかったのか話題を変えるように「つーかさ」と言った。

「お前こそ何でここにいんの?しかも……」

 花宮はそこで言葉を止め、視線をずらした。その先を追うと。

「あっ……」

 花宮がここにいるという衝撃が大きくて、つい忘れていた。


 今、自分が、高校のジャージ姿だということを。


 ぶわっと顔に熱が集まり、慌てて口をパクパクとさせる。

「えと、あの、これは……!」
「何で誠凛のジャージ?そういう趣味でもあんの?」
「違うって!!」

 必死にそう叫べば、花宮は心底楽しそうに顔を歪ませた。
 ああもう、こういう時は本当にいい顔するんだから……!!
 きっ、と睨みつけるが全く動じない花宮。ニヤニヤとしながら伊月の格好を舐めるように見てくるだけだ。

「……花宮いつから俺がいることに気付いてたの?」
「俺が店入ったときから、って言ったらどうする?」
「ちょ、ずっと気づかないふりしてたってこと?!」
「そりゃあ、ご趣味の時間を邪魔するのもよくねぇかなってさ」

 ……相変わらず悪趣味。だから悪童って呼ばれるんだ。
 しかし、このままでは何か変な勘違いをされたままになってしまう。それだけは避けたくて、とりあえず口を開いて抗議しようとする。

「別に俺好きでこういう格好してるわけじゃなくて、ちょっと色々あって……しゅ、趣味とかそんなんじゃなくて……」

 何を言えばいいのだろうと言い訳を探していると。ふと花宮が表情を消していることに気付いた。さっきまでの楽しそうな表情から一転、そんな顔をされてはさすがに伊月も動揺を隠せない。

「花宮……?」

 名前を呼ぶと、花宮は眉をぴくりと動かした。こちらの声はしっかり届いているらしい。
 一体どうしたっていうんだ……?
 訳が分からなくて首を傾げていると。



「ひゃっ……」


 何の前触れもなく、花宮の冷たい手が伊月の頬に触れた。突然のことに思わず肩を大きく揺らす。
 花宮の手は、そのまま頬を優しく撫でてきた。ひんやりとしていて、気持ちがいい。思わず目を細めると、するりと首筋まで手が下りてきた。体温がその手にじわじわと奪われていく感じがするのさえ心地がいいと感じてしまう。その時。

「伊月、熱あんだろ?」
「え…?」

 気が付けば、花宮の表情は不機嫌なものとなっていた。むすっとしている彼を目を丸くしたまま見つめていると、盛大にため息をつかれる。

「あー……ったく。ここにお前がいる時点でその可能性を考えなかった俺が馬鹿だった……」

 独り言のように呟かれた言葉を聞き、なんと返すべきか考えていると、不意に腕を掴まれた。それに驚きを覚える間もなく、ぐいっと引っ張られ、自然と彼の胸へと飛び込む形になる。彼の香りがふわり、として、熱で高い体温がさらに高くなったように感じた。

「えと……花宮……?」
「ジャージの下、なに着てんの?」

 いつもよりいくらか優しげなその声に、身体中の力が少しずつ抜けていくのがわかった。

「すぐに家戻るつもりだったから……パジャマ」
「お前バカだろ……朝とか一番冷える時間なんだから、もっと厚着してこねえと。風邪ひいてんならなおさらだ」

 そう言って、ぎゅう、と力強く抱きしめられる。彼の体温を近くで感じて、嬉しくなるとともに安心する。伊月も花宮の背に腕をまわし、抱きしめ返す。

「ごめん……今日の旅行行けそうにないや」

 他の人たちもいるとはいえ、やっと一緒に遠出できる最大の機会だった。それなのに、それをこんな形で逃してしまうのが悔しくて。伊月は花宮の首筋に顔をうずめる。

「サークルの皆には花宮からも直接言っておいて。一応、先輩には俺からもメールしておくけど……」

 声が震えていることに気付かれないように、笑い混じりにそう言うと。

「何言ってんだよ。そんなの無理に決まってんだろ」

 思いもよらぬ花宮の返答に、え、と顔をあげると、花宮と目が合う。すると、花宮の頬が少しずつ赤くなっていくのが見えたが、後頭部をぐいっと引き寄せられてしまい、その表情が見えなくなる。


「お前一人置いて行けるわけねえだろバァカ」


 耳元で囁くように言われ、顔から火が出そうになる。熱すぎて、暑すぎて、気を抜いたら蒸発してしまいそうなほどに体温が上昇する。

「……お前が風邪ひいてんのに二日も遠くで泊まるとか気になって楽しめねえし……。つか、伊月が行かねえなら俺が行く意味もねえから」
「え……?」

 どういうことかと尋ねるように声を上げれば、呆れたようなため息が聞こえてきた。

「普通気付くだろ。……伊月が行くって言わなかったら最初からこんな旅行行く気なんざなかったんだよ」

 恥ずかしいこと言わせんな、と小突く代わりなのか、頭を軽く撫でられる。

 なんか俺……ものすごく幸せ者……?

 滅多に思っていることを口に出さない花宮がこんなに色々話してくれるのは、まだ起きたばかりだからなのか、伊月が風邪をひいているからなのか。それとも。
 花宮のほうから、距離を縮めようと歩み寄ってくれているからなのか。
 何故かはわからないが、花宮の素直な気持ちをきけて思わず嬉しくなる。



「じゃ、いつまでもここにいても仕方ねえし、さっさと風邪薬買って帰るぞ」
「え、あ、うん」

 ぱっと切り替わったようにそう言われ、ぴたりと密着していた身体が離れていき、少し寂しく感じる。何事もなかったかのような花宮の態度に若干拍子抜けしながらもとぼとぼと彼の後ろをついていく。するとそんな伊月の様子に気付いたのか。花宮がニヤリと笑った。


「伊月」
「な、何?」

 またからかわれる……?
 そう思って思わず身構えると、不意に手をとられた。




「二泊三日。付きっきりで看病してやるから覚悟しとけよ」





 そう言ってレジの方を向く彼の耳が赤くなっていたことに、同じく耳を赤くしていた伊月が気づくことはなかった。





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