ベンチの両端


「赤司君?」

 その声にハッとして、声の主のほうを見た。水色の透き通った綺麗な色の目が心配そうにこちらを見つめてくる。
 赤司は、やってしまった、と頭を抱えたくなった。

 隣にテツヤがいるのに、上の空だったなんて………!

 赤司は小さくため息をつく。少し前に考え事なんてしていた自分を殴ってやりたい。きっと赤司が上の空だった時も、黒子は一生懸命話しかけてくれていただろう。

「あの、何か考え事があるなら、僕がいても迷惑だと思うので……もう帰りますか?」
「迷惑じゃないよマイエンジェルテツヤ」
 ……テツヤがあまりにも変なこと言うから変なテンションで本音を言ってしまった。テツヤの視線が痛い。
「そ…それなら、いいんですけど…」
 そう言って前を向く黒子。それを見て赤司は息をつく。
 赤司のさっきの変なテンションについてはなにも言ってこないようだ。ほっと安心する。

 今、赤司と黒子は公園のベンチに座っている。ひとつのベンチに二人で座ってはいるが、二人の間には距離がある。二人とも、ベンチの両端に座っているのだ。だから間がすごく開いてしまっている。
 これが心の距離だとでも言うのか…!!
 思わずギリッと歯を食いしばる。すると、赤司の歯の音に気づいた黒子がバッとこちらを振り向いた。とても心配そう、というより、若干恐怖を感じているような表情の黒子。まるで「僕、悪いことしちゃいましたか…?」とでも言うような…。
 赤司は勘違いをさせてはいけない、と思い、最高の笑顔で黒子に手を振った。それに対して黒子もひきつった笑顔で手を振り返してくれた。
 テツヤ可愛い!マジ天使…!!
 写メりたい、という気持ちを何とかこらえる。今このタイミングで写メなんて撮ったら、さすがにひかれてしまうだろう。そう思ったからだ。…もちろん黒子にはすでにドン引かれているのだが。

「あの…赤司君…」
 控えめに声をかけられる。少し怯えたようにも見えるが、決して自分に怯えているわけではない、と確信している。…もちろん赤司が勝手にそう信じているだけで真実はわからないが。
「なんだい?」
 短く答え、黒子の声に耳を集中させる。すると、黒子は小さい声で話し始めた。
「なにか悩み事があるなら…もし良ければ…僕に教えていただけますか…?」
 黒子の言葉にわずかながらも赤司は目を見開いた。少し、驚いたのだ。まさか黒子がそんなことを言ってくれるなんて思ってもいなかった。
 黒子は赤司に対しては基本受け身で、赤司に何かしてほしい、と求めたことはなかった。赤司が言うことに必ず頷いて行動をする、というのが、いつもの黒子だった。
 それなのに、今回は。赤司の悩み事を、教えてほしい、というのだ。さすがに驚く。
「なんで突然?」
「なんでと言われましても……赤司君の力になりたいんですよ」
 少し恥ずかしそうに言う黒子を見て、赤司は思わずポケットの中の携帯に右手を触れさせた。
 すっごく写メりたい!!でもこんなに良いところで写メなんて撮ったら、雰囲気ぶち壊しもいいところだ…!
 赤司は手を携帯から離し、ゆっくりポケットの中から出す。そして、何事もなかったかのように真剣な顔をした。
「そうか、ありがとうテツヤ」
 そう言って柔らかく微笑むと、黒子も照れたように笑った。

 …が、問題はここからだ。
 おそらくここで悩み事を話して、黒子と一緒に悩みながら答えを導きだす、というのが普通の展開なのだろう。だが。

 僕、悩んでなんかないんだよなぁ…!!

 赤司が考え事をしていたのは事実。しかし、悩んではいない。ずっと黒子について考えていた…いや、正しくは黒子に対しての気持ちを心の中で呟いていただけだった。それは、黒子が近くにいるときでもそうでないときでも、いつでも、だ。
 さすがにこの場で「僕、ずっとテツヤについての思いを心の中で呟いていただけなんだテヘペロ!」なんて言っても、ドン引かれるだけだ。というか、若干気持ち悪い。
 これは何か悩み事、というものを嘘でも考えたほうがいいのだろうか。
 赤司はそう考えて唸る。
 
「…もし話しにくければ、別に無理しなくても…」
 赤司の無言について、自分には言いづらい悩み事を抱えているのでは、という考えにたどり着いたのか、黒子は申し訳なさそうな表情をした。
「人間、誰にも話したくない悩み事の一つや二つくらいありますよね。無理言ってすみません」
 ち、ちがうんだテツヤ…!
 ぺこりと謝る黒子にそう言いたかったが、否定したところで話せる悩みがなければ、説得力に欠ける。むしろ、大きな誤解を招いてしまう可能性だってある。
 これは慎重に言葉を選ばなければ…。
 赤司はまた悶々と悩み始める。すると、

 パンッ!

 音に驚き、その音のきこえた方を見ると、黒子が両の手のひらを合わせていた。どうやら、黒子が手をたたいた音だったらしい。
 どうしたんだ、と声をかける前に、黒子の口が動いた。
「今日はもう、帰りましょう」
「え……」
 その言葉に口を微かに開いたまま静止した。言葉が止まる。
 その間にも黒子は帰る準備を始め、ついにはベンチから立ち上がってしまった。
「では」
 また今度、と言って、黒子は赤司に向かってお辞儀をする。赤司の返事も待たずにくるりと方向転換をし、背を向けられる。
 その背を見て、赤司は奥歯をギリッと噛んだ。
 なぜ、僕は言いたいことが言えない。なぜ、僕は今待ってと言えない。なぜ、僕は…!!


 本当の気持ちを、言うことができないんだ…。


 赤司自身、最近になって気づいた。自分の言葉数が少ないせいで、黒子に妙な心配をさせてしまっていることを。赤司がなにも話さない分、黒子だって普段は口数が少ないほうなのに、たくさん赤司に話しかけてくれるのだ。前日の夜のこと。朝食、昼食、夕食、休みの日にしたこと。どんな当たり前で、些細な事だって、黒子なりに頑張っていろいろ話してくれた。それも……。

 とても楽しそうに。

 本当に、楽しそうなのだ。笑顔を見せながら、赤司に話しかけてくれるのだ。どんな話であっても。
 僕って、テツヤに愛されているな…。
 黒子の小さくなっていく背中を見て、そう感じる。
 ふと、さきほど黒子が座っていたところを見る。
 結構離れて座ってたな…。
 改めて思い、黒子がいたところに少し近づいて座る。また少し近づいて座り直す。また少し。少し……。

 黒子がいたところの、すぐ隣まできた。
 今、この瞬間、こんな近くにテツヤがいたら…。
 そう考えたら、一気に顔が熱くなるのを感じた。顔だけではない。身体全体が熱い。

「テツヤ…」
 唇をわずかに動かして、ポツリと呟く。愛しい人の名前を。
 僕は、テツヤと近い距離で話したことがなかったのか。
 いつも距離をとっていた。もし近かったら、いつも緊張してしまう。
 緊張している姿をテツヤに見られたら……。
 そこまで考えて、あれ、と思う。
 なぜ、僕は恋人の前で、本当の自分を隠そうとしている…?
 本当に好きな人の前で、本当の自分というものを見せないとはどういうことだ。好きな人だからこそ、自分を知ってもらいたいから、すべてをさらけ出すのではないのか。
 赤司は両の手で自らの頬を引っぱたく。パシンッ、という乾いた音が響く。
「よし」
 自分にだけ聞こえる大きさで気合を入れる声を出し、ベンチを立つ。すでに黒子の背中は見えるところになかった。が、そんなこと関係ない。
 テツヤ…!
 赤司は地面を強く蹴り飛ばした。






「テツヤ!!」
 水色の髪をわずかに揺らし、とぼとぼと歩く少年を見つけるのに、時間は大してかからなかった。
 赤司の声に驚き、ビクリと肩を震わせて立ち止まると、ゆっくりと振り返った。
「赤司…君…?」
 なんでここに、と言う黒子の目は、少し赤くなっていた。
 …言わなきゃ。
 赤司は走ってきたために乱れた呼吸を整える。そして、中途半端に振り返ったまま固まる黒子の両手をガシリとつかむ。
「きいてくれ、テツヤ!!」
「え?……はい……」
 わけもわからず、といった様子で、しかし、赤司の話をしっかりきこうと、黒子は目線を合わせてきた。至近距離で目があって、恥ずかしくて思わず逸らしてしまいそうになる。でも、今逸らしたらだめだ、と踏ん張って、黒子と目を合わせ続ける。自分自身の顔が熱い。でも踏ん張る。
 伝えるんだ、気持ちを。テツヤに。知ってもらうんだ。
 
「僕は気持ちをうまく言葉で表現できなくて…テツヤを不安にさせているかも…しれない。僕は、いつも何も話すことができなくて…テツヤにばかりたくさんしゃべらせていたかもしれない…」
 赤司はそこまで言って、一度視線を落とす。
「緊張、してしまうんだ…テツヤがこんなに近くにいると…。今、テツヤに自分から触れてみて…すごく緊張してて…自分が今なにを話しているのかも、正直もう訳が分からないんだ」
 少し手を握る力を強くすると、黒子もぎゅっと握り返してくれる。
 ちゃんときいてもらえてる…。
 そう思い、もう一度目を合わせる。息を、大きく吸い込む。
「僕がいつも考えていることはテツヤのことなんだ!悩み事とかではなく、テツヤが好きで!テツヤのことばかり考えてしまうんだ…!!」
 自然と声が大きくなる。さすがに近くを歩く人々も不審がってこちらを見てくるが、今はそんなのどうでもよかった。
「もっとテツヤの近くにいたい。もっと話していたい。もっと触れていたい…。そう思うけど、実際それをしようとすると…弱い自分が、出てきてしまうんだ…」
 目頭が熱くなる。視界がにじむ。それでも、黒子がしっかりこちらの目を見てくれていることはよくわかった。言うんだ、伝えるんだ。
「いつも強がっていたけど、テツヤには本当の僕を知ってほしい。テツヤの近くにいると、弱い自分も出てくるけど…!」
 頬を、熱いものが流れた。


「…こんな弱い僕でも…テツヤは愛してくれるか…?」


 涙でほとんど周りが見えない。にじむ視界の中で揺れる水色を見つめ続ける。
 …テツヤは、幻滅しただろうか。こんな泣いている僕を見て。
 これでテツヤが僕から離れてもしかたないな、なんて考えたら、目から大きな粒が頬を伝い、少し視界がはっきりとした。
 
 黒子が、見えた。
 目の前で、こちらを見ながら涙を流している、黒子が。

「…え?テツヤ?!」
 なぜ黒子が泣いているのか。あわてて黒子から手を離そうとする。
 と、突然柔らかな温もりに包まれた。しばらくたってから、黒子に抱きしめられている、ということに気付く。
「テ…テツヤ…これは…」
「嬉しいんです…」
 赤司の言葉を遮るように黒子は言った。
 
「あの赤司君が、僕のことを考えて、まさかここまでしてくれるなんて…」
 え…?
 黒子の言葉に違和感を覚える。
 なんだ…?この口調だとまるでテツヤが…。
 
「知ってますよ、赤司君が本当は少し弱いことくらい」
 えっ、と思わず声をあげると、耳元で黒子がクスリと笑った。
「だって赤司君、僕が少し近づいたりすると、無意識かもしれませんが、緊張して自分の服の裾をぎゅっとにぎってるんですよ?」
 黒子にそう指摘され、そういえば…、と思う。
 テツヤ…そんな小さなところまで…。
 黒子を前に、また、愛されている、ということを改めて確認する。


「僕も赤司君が好きです。頑張って強がってるところも、僕にだけ見せてくれる弱いところも。全部愛してます」

 テツヤはよくさらっとそんなことを。
 頬がカァッと熱くなる。赤司は黒子の背に自分の両腕をまわす。
 そして、ぎゅうっと抱きしめ返す。

「うん、僕も、愛してる…」















 後日、二人は前より近い距離でベンチに座るようになった。
 そして、それによって、赤司はわかったことがある。
 近い距離だと、黒子もやはり緊張する、が。黒子の場合、緊張すると、途端にスキンシップが激しくなるらしい。
 

「赤司君赤司君。クレープ食べません?」
「わかった。一緒に食べよう。だから僕の太ももに手を置くな」



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