おしるこは何とかのキューピット




 日は完全に落ち、真っ暗な闇を唯一照らす街灯を頼りに足を進める。
 角を曲がったところで、街灯ではないものの光が道を照らしているのが見えて、思わず俺は顔を綻ばせた。

「自販機発見!」

 スキップでもするような軽い足取りで、数分前からずっと探し求めていた自販機の前へと向かう。そして、目の前に並べられた見慣れたラインナップに、俺はうーん、と首を捻った。
 このお茶は今気分じゃないし、こっちはなぁ……。
 ポケットから小銭を取り出しつつ、自販機とにらめっこを続ける――――と、一番下の段の右端に、近頃特によく目にする商品名。

 ピッ、と。
 気付いたらお金を投入して、購入しろとばかりに明るく光るボタンに導かれるように指を重ねていた。がこん、と固いものが落下した音で、やっと我に返る。

「あっちゃー……」

 買うつもりなかったんだけどな……。

 よっこいしょ、というおっさん臭い掛け声と共に屈んで、取り出し口に手を突っ込む。そして、そこから姿を現したものに、ため息を一つ落とした。


 ――――『おしるこ』。

 そう大きく書かれた缶は、少しばかり冷えていた手を急激に温めた。もはや熱いレベル。

 いっつも真ちゃんにおしるこ買ってやってるからなぁ……見かけるとほぼ反射で買っちまうとか、どんだけだよ……。

 あの電波でなのだよで変人なおは朝信者である我がエース様が、完全に俺の日常生活にまで入り込んできているのだと改めて感じる。まぁ、別行動してると逆に心配される程毎日一緒にいる訳だし。影響はでけぇよな。


 さて、と俺の手を温める缶をまじまじと見つめる。

 どうすっかなぁ……これ。

 元々喉の渇きを潤すために自販機を探して歩き回っていたのだ。おしるこが、この喉に潤いを与えてくれるのかと言ったら……確実にノーである。

 しょうがねぇ、もう一本ちゃんと甘くない飲み物買うか……。

 はぁ、とおしること書かれた缶に向かって再び溜息を零す。……わざわざ自販機の中から出てきてくれたおしるこさんには悪いけど、俺の目的はお前じゃねーんだわ。お前も真ちゃんみたいな奴に買ってもらいたかったよな、悪い悪い。
 俺のもとに間違って来てしまった可哀想なおしるこにそう心の中で語りかけつつ、俺は新たな出会い……というか、喉を潤してくれる水分を手に入れるために、ポケットのお金に指先を触れさせた。

 ちょうどその時だった。



「……高尾?」

 特別聞きなれた声ではない。でも、確かに何処かで聞いたことがあるような。そんな声が、夜の静かな空気を震わせた。
 声の聞こえた方を向けば、人が一人、そこに立っているのが見えた。でも、ちょうど街灯の光を背にしているため、顔が影になってよく見えない。
 誰だかわからなくて、ただ、じーっと見つめていると、その人がくすりと笑う。

「あれ、もしかして覚えてない、かな?」

 声の調子からいって、別に気を悪くした、という訳ではないらしい。……でも、やっぱり声だけじゃ誰だかわからない。その人物は俺が尚も首を傾げているのを見てまた笑うと、こちらに近づいてきた。

「あ……」

 近付いてきたことにより、自販機の光が、その人を照らし始めた。よく見えるようになったその顔を見て、俺は思わず目を見開く。
 
「誠凛の……伊月さん……?」
「そうそう、正解」

 俺に話しかけてきた人物――伊月さんは、さらりと黒髪を揺らし、少し顔を傾けて「こんばんは」と微笑んだ。予想外の人物との遭遇に、何か気の利いたことも言えずに、呆然と「こんばんは……」と同じ言葉をそのまま返す。

 何で伊月さんがこんなところに……?

 そんな疑問が浮かんだが、瞬時に自分の中で解決する。そうだ、ここ誠凛の近くだったような。……むしろ、俺がここにいることの方がおかしな話じゃんか。



「……こんな時間にお散歩ですか?夜道を一人で歩くのは危険ですよ」
「そんなの高尾だって……いや、俺はまだ家近いし大丈夫だけど。高尾は家こっちの方じゃないよな?もっと危険だろ」

 ……気を取り直してHSKらしい言葉をかけたつもりだったのだけど。ごもっともなことを言われてしまったらどうしようもない。伊月さんったらそんな的確に突いてこなくても……なんかかっこつけた俺が恥ずかしいじゃないですか……。
 羞恥に頬が赤く染まりかけたが、冷たい風が肌に当たり、ぶるりと身体を震わせる。

「ま、まぁ俺のことは置いといて。……お散歩って訳じゃなかったら……この時間まで部活っすか?」
「いや、部活はもうちょっと早めに終わってたんだけどね。……ちょっとだけ近くのストバスコート借りて練習してたんだ」

 伊月俊という男は、かなりの努力家らしい。あの女カントクのきっついだろう練習メニューをこなして、さらに自主的に練習もするだなんて。もう少し自分の身体を大事にしてもいいんじゃないか、と敵対している学校ながら本気で心配になる。

「じゃあ俺は答えたし、今度は高尾の番な。高尾はどうしてこんなところにいるんだ?」
「えー、俺のことは置いといてって言ったじゃないっすかー」

 少し唇を尖らせて言えば、伊月さんはくすくすと笑った。

「えー、だって気になるし?……あ、どうしても話したくないことなら言わなくて大丈夫、だけど……」

 楽しそうな表情から一転。もしかしたら踏み込んじゃいけないことだったか、とでも言うように申し訳なさげに顔を歪めた伊月さん。眉を八の字にして小さく笑うその様子が何故か小動物のように思えて、胸のあたりがきゅう、となる。

 なんだかこの人……可愛い……かも……?

 『可愛い』。
 その四文字が、やけに目の前のこの人にしっくりくる。運動もしているし、筋肉も確かについているものの、特別がっしりしている、という印象は受けないし、肌もすべすべしてそうだし、髪もさらさらしてて綺麗だし……ってあれ。

 そこまで考えて、はたと我に返る。



 今、俺、誰に対して、何を考えてた……?





「高尾……?」

 少し心配そうな顔が俺の顔を覗き込んでくる。暫く俺が黙ったままだったから、何かあったのではと心配をかけてしまったらしい。控えめに見上げてくる伊月さんは、自然と上目遣いになっていて、あざと可愛い。
 ……って、いやいや、だから待て、俺。男に可愛いってなんだよ。他校の男の先輩だぞ……?寒さのせいで俺頭おかしくなったか……?!

「高尾、大丈夫、か……?」
「だだだ大丈夫ですはい!!!」
「……本当か……?」
「ほっ本当です本当!!」

 ……こんなにどもってたら大丈夫じゃない、と言ってるのと同じようなもんだけど。伊月さんは、あまり深く訊いてくるつもりはないのか、「そっか」と言って、身を引いた。……まさか伊月さんの上目遣いにやられていたなんて言えるわけがない。


「……そういえば高尾、すごい荷物だな」
「へ?」

 突然新たな話題を振られ、思わず間抜けた声が出た。……さっきのやり取りで会話は終わり、はいそれではさようならっていう流れを想像していたのに。こんなちょっと挙動不審で危ない俺と、まだ話をしてくれる気があるのか。いや、寧ろ俺がさっきからぼーっとしたりしてるから、変に気を遣わせてしまったのかもしれない。まぁ、その原因は伊月さんのことを考えてるからなんだけど……。

「その紙袋の中、何かたくさん入ってるみたいだけど……」
「あー、これっすか?」

 伊月さんが興味を示したのは、俺の腕にぶらさがっているでっかい紙袋。中に色々と入りすぎていて、紙袋らしい形はもはやしていない。

「皆からプレゼント貰ったんですよ」
「プレゼント?」

 不思議そうに首を傾げられて、なんとなく言い淀んでしまう。っていうか、ここで自分で言うのも、なんか、ちょっと。……仲のいい知り合いにだったらいいけれど、相手は他校の先輩。図々しい、という印象を与えてしまいそうだ。
 俺は目を逸らしながら、「まぁ、はい、プレゼントです」と適当に流そうとした。
 しかし、俺があからさまに隠そうとしていることに気付かない程、彼は鈍感ではなかったようだ。


「……もしかして、今日高尾、誕生日?」


 さっすが伊月さん……一発で当ててきやがりましたよチクショー……。


「いや……まぁ、そんな感じ、です」

 あー、やっぱ恥ずかしいわ……。こんなでっかい袋ぶら下げて歩いて……自分は誕生日だってアピールしてるみたいだよなぁ……。まぁだからって、バックの中にこんだけのプレゼント詰め込める訳でもねぇし、紙袋に入れるしかなかったんだけど……。

 伊月さんと目を合わせにくくて視線を落とす。わざわざ他校の先輩にまで誕生日を祝ってもらおうとする図々しい奴だと思われたか、痛いやつだと思われたか。……どっちにしろ、俺の印象は最悪だ。
 嫌な想像ばかりが広がって、ずーんと気分が沈んでいく。
 しかし、そんな俺に対し、伊月さんは。



「おお、高尾今日誕生日なのか!おめでとう!!!」



 明るいその声に思わず顔をあげれば、屈託のない無邪気な笑顔を浮かべた伊月さんがそこにいて。見た瞬間に、心臓が大きく跳ね上がったのが自分でもわかった。

「あ……ありがとう、ございます……」

 特別深い仲でもない相手に「お誕生日おめでとう」なんて言葉を言うのは、社交辞令的で淡々としたものとなるのが当然だろうに。

 伊月さんは、何でそんなに嬉しそうにその言葉を言うんだろう……。

 俺と伊月さんが特別な仲であると勘違いしてしまいそうな程に、嬉しそうな笑顔で。



「あー……ごめん、何かあればプレゼントあげたかったんだけど……」
「い、いえいえ!!プレゼントなんてそんな……!!伊月さんと会ったのは本当偶然ですし…っていうか、お祝いの言葉をいただけただけで俺はもう大満足ですので……!!」

 ポケットやバックを漁りながら、伊月さんは再び「ごめんな」と口にした。

「でも、部活関係以外で他校の知り合いと会うことなんて滅多にないし……これも何かの縁かなーって思ったら、やっぱり何かあげたいんだけど……」
「まあなかなかこんな偶然ないでしょうけど、でもプレゼントは本当気にしなくて大丈夫ですから!!」

 もともと、宮地さんたちに『お祝いだから』とあちこち連れまわされて、偶々誠凛の近くで解散したから、こうして伊月さんと会っただけなのだ。伊月さんがそこまで気にして謝る必要はない。
 それなのに、伊月さんはそんな俺の言葉には納得がいかないようで。まだ考えるように小さく唸っている。

「んー、アイスとか?」
「いや本当に大丈夫ですから!っていうかこんなに寒い中アイスっすか?」
「そっかぁ……じゃあコーヒーゼリーとか」
「何故コーヒーゼリー」
「俺の好物だから?」
「疑問形ですか……つか、あの、本当プレゼントは気持ちだけで……」

 󾍗……まったく伊月さんは俺の話を聞いていないらしい、というか聞く気がないらしい。プレゼントはいらないと最初から言っているというのにあれはどうだ、これはどうだ、と次々と例を挙げて訊いてくる。挙句の果てには「高尾が今ほしいものって何だ?」とか尋ねてくるもんだから、もう溜息しか出てこない。


「……伊月さん。俺、本当に大丈夫なんで……」

 さすがにこの辺で引き下がってもらおう。そう思って、少し強い口調で言った。……のだが。


「だーめ。高尾が誕生日だってせっかく知ったのに、何もプレゼントできないとか……なんかもやもやするだろ?……俺の自己満足みたいなもんだから、何かプレゼントさせてよ」


 お願い、と両手を顔の前で合わせて、こてん、と首を傾ける伊月さん。……こんなに可愛らしくお願いされて、断ろうと思う男がいるだろうか、いや、いない。

 ……あぁもう、伊月さんったら本当にずるい。こんなの、白旗を上げるしかないじゃんか。


「……わかりましたよ」
「おぉ、やった」

 まるで作戦通り、とでも言うように不敵に微笑む伊月さんに、溜息が溢れる。

「もー……伊月さんってば、意外と強引なんですね?」
「高尾こそ、意外と遠慮とかしたりするんだな?」
「ちょ、それどういう意味っすか?!」

 ふふっ、と伊月さんが楽しそうに笑いを零す。どうやらこの人は人をからかうことも好きらしい。ちょっと意外だけど、それもそれで男子高校生らしさがあって、話していて楽しい。

 「さあ、遠慮しないで欲しいものを!」と男前にどーんと両手を広げる伊月さんが可愛くて、にやける口元を左手で覆って隠す。


「高尾、ほら、なんでも良いんだよ!」
「わかりましたって!えーっと、プレゼント、プレゼント……うーん……」

 ……ぶっちゃけ、欲しい物、というのがパッと浮かばない。でも、だからと言って、「欲しい物はありません」ってハッキリ言っても、先程と同じようなやりとりがまた永遠と繰り返されるだけだ。伊月さんは、俺に何かプレゼントをするまで、引いてはくれないだろう。

 さーって……どうしようか……。

 唸り声をあげながら、何か欲しい物はなかったかと考え込む。何か、欲しい物を見つける手掛かりになるものはないか、と伊月さんの頭のてっぺんから足先まで、順にじっくりと観察していく。



「……あ」




 思わず声をあげた俺に対し、伊月さんが目を輝かせた。

「欲しい物、思いついたか?」
「んー、あー……まぁ」

 一応、と言いながら、俺はとある一点を見つめ続けた。伊月さんはというと、俺の曖昧なその返事に不思議そうに首を傾げる。

 うーむ、果たして、これを誕生日プレゼントに……!!って言うことは許されるのか……?相手は他校の先輩だし……伊月さんだって、よく知りもしない相手にそんな……。


「高尾?」


 ……また心配そうに名前を呼ばれてしまった。さすがにこれ以上黙っているわけにはいかない。もうこれは言うしかないよな?ここまできたら言うしか道は残されてないよな?
 ……まぁ、これでもし微妙な反応をされたら、うまく誤魔化せばいい、か。
 最後、自分にそう言い聞かせて、気持ちを落ち着けようと、一つ息を長めに吐き出した。

「その、欲しい物っていうのとはちょっと違うかもなんですけど」
「いいよ、なんでも言って?」

 ふわりと笑う伊月さんに、心が癒されて、少し緊張が解けたのを感じた。それでも、いざ言おうとすると、自然と口が強張ってしまって、なかなか言い出せない。

 おいおい、ハイスペックは何処に行っちまったんだよ俺……!!

 いつもハイスペックだなんだとちやほやされている俺が、まさかこんなところでうじうじしているだなんて。何でだ、何があったんだ俺……?!

 頭を抱え、悶々と考えていると。伊月さんが、俺が言いにくそうにしているのを見て何かを察したのか。一人でふむ、と小さく頷いた。そして、キリッと凛々しく真剣な表情で一言。


 
「もしかして……俺のネタ帳を見せてほしい、とか?!」
「すんません、それは違いますわ」

 

 ……気が抜けた。そうだ、そういえばこの人、ダジャレが好きなんだっけ。
 顔はいいのに、なんだか、凄く勿体ない、というか。
 俺の返答にちょっと残念そうに顔を歪めた伊月さんが「ダジャレにはまったらいつでも声かけてくれ」なんて言ってきたけど、果たしてそんな日が来るのか……。

 でも、伊月さんのおかげで、だいぶ空気が緩んだ気がする。……まぁ、もともとそこまで緊張するようなことでもないんだけど。

 俺は一呼吸を置いて「伊月さん」と呼びかけた。

「それで、誕生日プレゼントなんですけど」
「うん」

 肺の中の空気を吐ききり、ゆっくり酸素を取り込む。
 



「………伊月さんに頭を撫でてもらいたいなー……なんて思ったりして」




 ……言ってしまった。
 別に何か変なことを考えている訳ではない。ただ、今日大坪さんや宮地さん達に「誕生日おめでとう」という言葉と共に頭を思いっきりわしゃわしゃと撫でられたから、伊月さんにも撫でてもらえたらな、というなんとも単純な考え。
 でも、やっぱりそういうスキンシップって、特別仲のいい関係じゃないと嫌だったりするかも、なんだよなぁ……。
 微妙な沈黙が肌に鋭く突き刺さる。なんだこれ怖いぞ……?
 ちらりと顔色を窺うように伊月さんの表情を覗きみれば、伊月さんは目を丸くして、ぱちくりと瞬きを繰り返していた。……やばい、これ完全に俺不審者認定された感じ……?


「あ……あー、なーんて、突然馴れ馴れしいっすよねー」


 今のは冗談だ。そんなニュアンスを含めてそう言って、何か別にプレゼントを、と頭をフル回転させている、と。



「おわっ」


 ぽふり、と。
 不意に頭の上に何かが置かれたのを感じて、思わず肩を跳ねさせてそんな声をあげてしまった。思考を強制的に中断させられ、意識が現実へと引き戻される。

「いいい……伊月、さん……?!」


 …… 一瞬、信じられなかった。

 まさか、伊月さんの手が、俺のほうに向かって伸びていて。しかも、その手が俺の頭の上に置かれていて。髪を梳くように、ふんわり触れるように撫でる感触に、そして、手を俺の頭に届かせるために近づいてきただろう伊月さんの、その整った至近距離にある顔に。


 何で俺の心臓はこんなにバクバクいってんだ……?!?!


 身体が指先まで固まって動けない。ただ心臓が騒がしく鳴っていて、頬に熱が集まる。
 しかし、伊月さんはそんな俺を見て、眉尻を下げると、ちょっと首を傾けて小さく笑った。

「誕生日プレゼントとして頭を撫でてもらおうなんて……そんなこと言うの高尾くらいだと思うぞ?」
「そう……っすかね?………伊月さんに頭撫でてもらうとか、なんか俺、伊月さんの後輩になったみたい」

 大坪さんや木村さんに、そこまで頻繁ではないけれど頭を撫でられることはある。部活で、パスがうまくいった時や、逆に失敗して励ましてくれる時。わしゃわしゃ、と撫でるその手は、ちょっと乱暴だけど、優しさがこもっていることがよくわかる。

 きっと、伊月さんも黒子達の頭をよく撫でたりするんだろうなぁ……。

 ちょっと羨ましいかも、なんて思いながら、頭を撫で続けてくれている伊月さんの手の感触を追うように、全神経を集中させる。

 ……伊月さんの頭の撫で方って、大坪さんたちとは全く違った感じだよな……。

 わしゃわしゃと撫でる大坪さんたちとは違う、小動物に触れるような、とにかく柔らかい撫で方。
 それが心地よくて少し目を細める。すると、伊月さんがくすりと笑ったのがわかった。


「ぴゃっ?!」


 ……変な声が出た。まさか自分の口から飛び出たとは思いたくないくらいに、変な声。

 いや、だって仕方ない、そんな声が出てしまったのくらい許してほしい。



「いいい伊月さん冷たい冷たい!!!」



 ……全てはこの人のせいだ。してやったり、という笑顔を浮かべるこの人がいけない。可愛い顔をして、随分と悪戯っ子なんだ、この人は。

「高尾の首あったかい」
「そりゃそうですよ!でも伊月さんの手のせいで徐々に冷たくなってきましたよ?!」

 ……今の状況は、というと。伊月さんが俺の頭を撫でていた手をそのまま滑らせて、俺の首にぴとりと密着させ、その異常なほどの手の冷たさに俺が悲鳴をあげている……といった感じだ。しかも、伊月さんは楽しそうに笑ったまま、俺の首から手を離してくれる気配がない。あの、本当に冷たい、これはガチでやばい、高尾ちゃんの体温どんどん奪われていってるよこれ。

「伊月さんなんでこんなに手冷たいんですか……」
「心があったかいからかな?」
「いやそういう返答は期待してないんですけどね……」

 まぁ伊月さんに尋ねなくても、この肌に刺さるような風の冷たさがその理由を教えてくれる訳だけど。……寒い、今日は気温が低いのだと天気予報のお姉さんが言っていた気がする。それに、日が完全に落ちて数時間経ったこの時間なら尚更。

 ふむ……どうしたものか……。

 このままでは俺の体温が、全て伊月さんの手に吸い取られてしまう気がする、いや、伊月さんの手が温まるのはすごくいいことだと思うんだけど、俺が瀕死状態になるっていうね。それはさすがに避けたい。だからって俺が伊月さんの首に手をあてて体温の奪い合いをするというのもさすがにどうかと……っていうか、俺別に手が冷えてるわけじゃないというか、むしろ手は温かいというか……。




 ………あ。






「………伊月さん」

 思ったより低い声が出た。伊月さんの肩がぴくりと震える。羽目を外し過ぎて俺がキレたとでも思ったのだろうか、伊月さんは俺の首から勢いよくその手を遠ざけ、少し怯えたような目を向けてきた。

「あ……た、高尾……」

 そのまま謝罪の言葉を続けようとしているらしい伊月さんに構わず、「あの」と呼びかける。




「両手、こっちに出してもらえますか?」
「え……?」




 まさかそんなことを言われると思っていなかったようで、ぽかんと固まる伊月さん。仕方なく固まった伊月さんの片方の手首を右手で掴み、手のひらを上に向けさせる。状況についていけなくて戸惑いの声をあげる伊月さんに俺は微笑みかけて。

「えい!」
「え、あっ」


 ―――――伊月さんのその手の上に、俺がずっと大事に持っていたものを乗せた。



「……さすがにもう、少しぬるくなっちゃったかもですけど」


 ずっと俺の手を温めていた、間違って俺の元に来てしまった―――『おしるこ』。
 購入したばかりの時は熱くて持っているのも大変だったけれど。時間の経った今では、人肌より多少温かいと感じるほどまでに温度が下がっていた。
 でも、これくらい温かければ、多分。

「伊月さん、手、あったかいですか?」
「………うん、あったかい」

 ぎゅ、と両手で缶を包み込んで微笑む伊月さんは本当に嬉しそうで。一層儚げに見えるその笑顔に、胸がきゅう、と苦しくなる。

 あぁ、また心臓がうるさいや……。

 落ち着け心臓、と心の中で呼びかけても、伊月さんを見ていると、どうしても言うことをきいてくれない。何でこんなに今日の俺の心臓は元気なんだ、近いうちに死ぬ、とかそういうのだったら笑えねえよ?


「高尾」


 もしかしたら何か病気なのだろうか、だから心臓がうるさいだろうかと悪い方に妄想が広がっていくのを止めてくれたのは、伊月さんの声だった。「どうしたんですか」と人懐っこいと言われる笑顔を伊月さんへと向けようとした。……が、それより早く。


「ほら、高尾のおかげであったまった」


 左の頬を、ほんのり温かくて柔らかいものがゆっくりと滑る。それは、俺の頬を暫しむにむにと抓んで遊ぶと、再び肌の感触を楽しむように撫でてくる。―――伊月さんの手、だ。


 ちょっとあどけなさの残る、ふにゃりとした笑顔。大人っぽく微笑んだと思えば、無邪気に笑って。
 その表情のどれもが、俺の心臓の動きを速める。


 それに。




 ―――……やばい、伊月さんの手、気持ちいい……。






「……たか、お……? 」

 気づいたら、俺の頬に触れるその手の上に、自らの手を重ねていた。戸惑う伊月さんを余所に、そのまま伊月さんの手を頬から離れさせる。自分の目の前に持ち上げ、うっとりと綺麗な指を眺め、そして。


 ―――――その手の甲へと唇を落とす。


 ちゅ、と鳴った小さなリップ音。触り心地の良い彼のそれを、自分の手でゆっくり撫ぜる。







「あ……あの、高尾……ちょっと……」


 掠れた小さなその声に視線を上げれば、伊月さんの顔が目に入った。少し俯き気味なその顔は、耳まで真っ赤に染まっていて――――……。








 …………あれ、俺何やってんだ…………?!







 ―――ほぼ無意識だった。伊月さんのことを考えていたら、無意識に……。

 自分のしたことを思い出して、じわじわと顔が熱くなる。恥ずかしい、突然手の甲にキスって、俺なんなんだよ、何がしたかったんだよ、恥ずかしい……!!

「す、すみません!!!変なことして……!!!」
「いっいや、謝らなくても……!俺は別に気にしてない、から……」


 気にしてない、と。伊月さんはそう言ったけれど。
 ……本当に気にしてないなら、なんで、今、伊月さんの顔はそんなに赤いんだろう。

 俺も謝りながらも、どうしてか伊月さんの手を離すことが出来なくて。ただ目の前の伊月さんを見つめ続けることしか出来なくて。



「……伊月さん、もう少しこのままでも……」
「えと、うん、大丈夫、です……」



 全然大丈夫じゃなさそうな真っ赤な顔の癖に、俺の手に恐る恐る指を絡ませてくる伊月さんを、どうしてこの腕の中に閉じ込めたいと思うのかわからなくて。


 どうして、心臓がさらに騒がしく鳴り響いて、さらに頬が熱くなるのか。


 今の俺には、やっぱりまだ、わからなかった。







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高尾誕2014

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