早く起きろ眠り姫!



「帰れ」

 インターホンの音を聞いて、玄関へと向かった俺は、当然ドアを開け、来客を中に招き入れる予定だった。しかし、ドアを開けてまず第一声に俺の口から飛び出したのは、その言葉。
 目の前で流れるさらさらな黒髪と、ゆらゆらと揺れる黒曜石のような瞳。なんで、と尋ねるように首を小さく傾げられて、思わず盛大な溜息が零れた。
「……理由、わかんねぇの?」
「心当たりは……ない、訳じゃないですけど」
「わかってんじゃねぇか」
 俺は呆れを隠さずに、身を小さくして立つ伊月を見つめた。
 怒られてしょぼんとしている小さな子供のようなその姿を見れば、何でも許してやりたくなる。頭をくしゃくしゃに撫でて、部屋に連れ込んで、目一杯甘やかしてやりたくなる。
 もちろん、伊月だって、俺にそうしてもらいたくてここまで来た筈だ。

 でも。


「今にもぶっ倒れて、その場で熟睡しそうな顔してるお前に無理してもらってまで、一緒にいたいなんて思わねえよ」

 目の下に作られたクマがいい証拠だ。本人は、これくらいなら気付かれないと思って、隠そうともせずに俺の元に来たみたいだが。残念だったな、伊月の様子がいつもと少しでも違えば、俺はその変化にすぐ気付けるんだよ。伊達に伊月の恋人やってねぇよ。……って自分で言っててちょっと恥ずかしくなってきた。

 いや、でも事実は事実だ。クマだけじゃない、重心が定まらずフラフラとした身体、手はバックこそ地面に落とさずに持てているものの、全く力が入っていないように見える。
 よくこんな調子で俺の家まで来れたもんだ…。
 でも、感心している場合じゃない。

「お前何でそんな寝不足なんだよ。何やってたんだ?」
「……ちゃんと寝ました」
「嘘つけ!!」
「ちゃんと寝ました、家に入れてください!!」
「お前そんな無理して起きてたって体調崩すだけだろ!!家帰って寝ろ!!」

 おーおー……まったく強情な奴だ。眠い目を頑張って開いて俺を睨みつけてくるが、もちろんちっとも怖くない。可愛い小動物が威嚇しているようなもんだ。

 しょうがねえ。

 俺は、うぅーと声をあげて威嚇のようなものを続ける伊月に近付き、数cmの距離のところで見下ろす。俺が突然近付いてきた事に驚いたのか、伊月は一度肩をびくりと震わせた。まあ、それでも睨むのは辞めるつもりねぇみたいだけど。

「ほら、何で寝不足なのか言ってみ?」
 ぽふりとその真っ黒な頭の上に手を置き、さらさらな髪を梳くように撫でてやる。伊月も最初は俺を睨み続けていたが、徐々に力が抜けていって、最終的には、俺の胸に頭をこてんと預けてきた。あぁもうなんだこいつ可愛いな……!

「……暫くなかなか都合が合わなくて、でもやっと今日宮地さんと会えるってことになって……だから、今日は絶対会いたいって思ったんです」
「おう」
「でも、俺、すっかり忘れていたんです、レポートの提出が、明日だってこと」
「あー……」

 ……なるほど、そういうことか。

 伊月のことだから、自分のせいで会えなくなったら、俺に申し訳ないとでも思って、徹夜でそのレポートとやらを必死こいて終わらせたんだろう。ったく、そういう姿は健気で可愛いんだけど……この様子じゃ、一睡もしてねぇんだろうな。

「……珍しいな、お前がそういうの忘れるなんて」
 伊月は結構しっかりした奴だし、そういうのは早めに片付けてそうなんだが……。
 そう考えたとき、伊月の手が、俺のTシャツの裾をきゅっと掴んで皺を作った。そして、頭をうりうりと俺の胸に押し付けてから、小さい声で言った。


「俺、宮地さんと会えるのが楽しみで、そのことばっかり考えてて……ずっと浮かれた気持ちで過ごしてたから……」

 伊月が天使過ぎてつらいんだが!!どんだけ伊月俺のこと好きなんだよ、くっそ、俺も伊月のことすげえ好きだ!!

 思わず伊月の腰と頭に手を回して、ぎゅっと抱きしめる。あまりの可愛さにどうにかなっちまいそうだ。

 でも、いつまでも伊月を引き留めておくわけにはいかない。というより、あまり長い時間伊月とこんなことをしていたら、伊月を家に帰しにくくなる。今は、早く伊月を家に帰して休ませてやらないと。伊月だって、自分の家の、自分の布団で寝た方がゆっくりと休めるだろう。
 俺が再び溜息を吐くと、伏せがちだった目がこちらの様子を窺うように、俺の目を覗き込んできた。
「やっぱり帰らないとダメですか……?」
「……あぁ、ダメだ。帰れ帰れ」
 出来るだけ、伊月の目を見ないようにして答えた。なんて言ったって、子犬みたいな目で見上げてくるんだぞ?そんなの見たら手放したくなくなるだろうが!
 ふい、と顔を逸らしたまま、伊月の反応を待っていると、うー……と小さく唸る声が聞こえてきた。どうしよう、俺、耳も塞がねぇと伊月の可愛さに死ぬ気がするんだが。

「……わかりました。今日は帰ります。宮地さんにご迷惑をかけるわけにはいきませんし……」
「……ぜひ、そうしてくれ」
「ま……また近いうちに会う予定立てましょうね?」
「おう」
「絶対ですよ?」
「あぁ」
「絶対の絶対ですからね?」
「はいはい」
 しつこく訊いてくるのも可愛い。心配そうに眉尻が下がっているのも可愛い。言動一つ一つにきゅんときてしまう俺の心臓は果たしていつまでもつのか……。
 心臓のあたりを手で押さえながら、やっと背中を向けて歩き出す伊月を見る。


「ってお前危なっかしいなおい!!」

 一歩進んでは、右に左に転びかけて……こんなんじゃ自分の家まで辿り着けねぇだろ!!
 本当によく無事にここまで来たもんだ。

「やっぱお前、こっち来い」
「へっ、あ、え?」

 戸惑う伊月の腕を構わずぐいぐい引っ張る。睡眠不足のせいか、力が入っていない伊月の腕を引っ張れば、なんの抵抗もなくついてくる。これ一人にしたら簡単に不審者に連れていかれるんじゃないか。

 ……あー、ったく、こういう意味で心臓に悪いのはまじで勘弁。





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