風紀は守りましょう



「おはようございます、伊月先輩」

 背後から男らしくて低い、それでいて爽やかな印象を与える声で挨拶をされ、俺は笑顔で振り向いた。
「おはよ、火神」
 俺よりがっしりとした大きな身体。その癖、俺を見ると、犬のように尻尾を振ってやってくるこの後輩を、可愛らしい、と思ってしまうのは、俺だけではない筈。

「……っていうか火神。何度も注意してるけどなぁ……」
 しかし、いくら可愛い後輩であっても、注意すべきところはしっかり注意しなければならない。いや、可愛い後輩なら尚更、かな。
「中のワイシャツのボタン。第二ボタンまでは締めないとダメだって、前回も言ったじゃないか」
「え?あ、す、すんません。締めたつもりだったんすけど……」
「それ前も言ってただろ?今度からは気をつけるって言ってなかったっけ?」
「す、すんません……」
 しゅん、と眉尻を下げて謝る火神。きっと、こいつのことだから悪気はないのだろう。本気で反省している様子が伺える。とは言っても、先週も似たようなやりとりをした気がするのだが。


 月曜の朝、毎週ではないが、時々風紀チェックをする、というのが、我が校の風紀委員の仕事である。先週も風紀チェックをしたのだが、規則を守れていない生徒が少し多めだった、ということで、今週も行うこととなったのだ。


「全く……。朝登校して、真っ先に俺のところに向かってきてくれるのは嬉しいけど。せめて身なり整えてから来いよ」
 火神に近付き、ワイシャツの第二ボタンに触れる。ボタンを穴に潜らせ、しっかり留まったことを確認してからそのまま火神を見上げる。
「火神だって、何度も怒られたくないだろ……って、え」
 ……思わずそのまま動きを止めてしまった。そうせざるを得なかった。
 ボタンを留めた、その距離で見上げたために、顔と顔の間はほんの身長差程で。
「火神……?」
 どうしたんだ、と問うように首を傾げたのは、火神がそんな至近距離で、真顔のままじっと俺を見つめてきたから。俺の目の、もっと奥の方まで見られているようで、なんだか落ち着かない。

 どうしたものかと視線を逸らせずにいると、漸く火神のほうが口を開いた。
「伊月さん、香水とかつけてます?」
「え?いや、つけてない、けど……っていうか、校則違反を風紀委員が率先してやる訳ないでしょ」
「あー……んじゃあ、シャンプー?」
 独り言に近いボリュームで言われた言葉に、何のことだと首を捻る、と途端。
 火神の大きな右手が、すっと俺の頭の横に上がり、耳のあたりを掠めた。
「……っ」
 俺が小さくビクッと震えたのに火神は気が付かなかったらしい。そのまま火神は、俺の耳の近くの髪を一掬いしては、重力に従い、さらさらと流れて元に戻る様子を、ぼんやりと見つめた。火神の手が時々耳のあたりに触れるのがたまらなく擽ったい。

 何度か同じ動作を繰り返し、なんだか人目も気になりだして、恥ずかしくなってきた、ちょうどそんな頃。
「……伊月さん、ちょっと失礼します」
「へ……?」
 真剣な顔の火神に間抜けな声で返事をした瞬間。
 火神の右手が後頭部に回り、あくまでやんわりとした手つきで、俺の頭を傾けた。
 まるで自ら首筋を晒すかのような格好に、恥ずかしさが募る。
「かっ……火神……!」
 か細い声で呼んでみるも、反応はない。他のことに集中しているから、聞こえていない、といった様子。
 な、何するつもりなんだ火神……?まさか俺の首を噛みちぎるとか……!っていくらなんでも火神は虎とかじゃなくちゃんとした人間だし……はっ、大我がタイガーを飼った、意外!キタコレ!!

「ひっ……」

 ダジャレを考えている間に、気付けば火神の顔は俺の首筋に寄せられていて。すー……と、長く、ゆっくり息を吸うのが聴こえてきた。思わず全身に力が入って固まる。

「……やべえ、すげえいい匂い」
「は……」

 耳元で囁かれて、体温が急上昇する。耳が痛いくらいに熱くて、呼吸が浅くなる。
 そんな中、もう一度ゆっくり息を吸う音が聞えてきて、俺は堪らず目の前の厚い胸板を軽く押し返した。

「か、火神……そろそろ教室、行かなくても大丈夫、なのか……?」
 どうにかしてこの状況から抜け出さなければ。そう息も切れ切れに、控えめに見上げながら尋ねる。
 どうやら効果はあったらしい。
「あっ、やっべ、提出物……!!」
 みるみる真っ青になっていく火神の顔。そして、だらだらと流れ出した、冷や汗。

「スンマセン、俺急いでるんでした!!また部活で!!」

 ぺこり、と大きな体を一度折り曲げると、火神は真っ直ぐに駆け出していった。

 その背中を見ながら、長く息を吐く。しかし、いくらそうしても、身体中の熱は冷める気配を見せない。
 赤くなった顔を隠すように俯いて右腕を顔にあてる。


 あー……もう、あつい……。


 この後風紀チェックに全然身が入らなかったのは、たまたま俺の体調が優れなかった、ということにしておきたい。











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