冷蔵庫を開けて、コーヒーゼリーを取りだすと、伊月先輩が一層目を輝かせた。
「どうぞ」
「いただきます!!」
スプーンを添えて渡すと、それはもうすごい勢いでコーヒーゼリーを一口、口の中に入れた。そんなに急がなくてもコーヒーゼリーは逃げないというのに。よほどコーヒーゼリーが好きなのだろう。
まぁ、匂いでコーヒーゼリーがあることわかったぐらいだしな……。
おいしそうにコーヒーゼリーを食べる伊月先輩の様子を見ているだけで幸せな気分になってくる。
「ご馳走様」
あっという間に食べきってしまったようだ。綺麗に空になった容器を見て、また嬉しくなった。
この様子だったら、もう少し多めに作っておいてもよかったかもな……。
そんなことをぼんやりと考えている、と。
「ありがと、火神」
そう言って微笑んだかと思うと、伊月先輩が手を上に伸ばし――……そのまま、俺の頭をぽんぽん、と撫でた。
「さすが火神、おいしいコーヒーゼリー作るな」
笑いながら俺の頭を撫で続ける伊月先輩。身長差がそれなりにあるため、結構頑張って腕を伸ばしてくれているその姿が愛らしい。先輩らしく振る舞いたいのだろうが、こんな姿を見せられたら可愛いとしか思えない。
「伊月先輩のために、作ったんで」
「なんかそれ、恥ずかしいな……でも嬉しいよ」
ちょっと頬を赤く染めた伊月先輩は小さく笑って、俺の頭から手を離してそのまま下ろそうとした。俺はそれをただ見ているつもりだった、のだが。
「……どうしたの、火神」
気付いたら、伊月先輩のその手首を掴んでいた。
まるで、頭を撫で続けてくれ、と言うように。このまま触れ続けてくれ、と言うように。
「いえ、なんでも、ないです」
口ではそう言ったが、何故か伊月先輩の手首を離すことができなかった。離さなきゃいけないとわかっているのに、何故か手が動かない。これでは、伊月先輩に不審がられてしまう。
「……火神、そろそろ花火始まるよ」
そうだ、今俺と伊月先輩以外は、皆外に行っているんだ。
ここには、俺と伊月先輩の二人、だけ……。
「火神……?って、うわっ?!」
ぐい、と手首を引っ張ったら、伊月先輩はそのまま俺の胸に飛び込んできた。状況がわかっていないままの伊月先輩を、そのまま抱きしめる。伊月先輩が、苦しくないように、優しく、出来るだけ、優しく抱きしめる。
「すみません……あの、少しだけ」
突然こんな馬鹿なことをして、しかも少しだけ、なんて我侭言って。俺はこの後、伊月先輩に殴られても、軽蔑されても仕方ない気がする。二人きり、という状況に俺は気持ちを抑えられなくなってしまったみたいだ。抱きしめたい、と思ったから、そのまま抱きしめてしまった。バカガミ、と皆が言うけれど、本当にその通りだと思った。
「……火神、コーヒーの匂いするね」
「は……?」
当然、軽蔑の目を向けられると思っていた。それなのに。なんとも平和そうな声色で、平和そうなことを言われた気がした。思わず抱きしめた腕を少し緩めると、嬉しそうに笑う伊月先輩がいて。
「コーヒーゼリー作ったんで……ちょっと匂い移っちゃったのかもしれない、です」
「ん……そうだよね」
そう言って、何を思ったのか、伊月先輩は匂いを確かめるように、すん、と鼻を鳴らす。その様子に、俺はただ動けずにいた。
……どうしてこの人は、いきなり抱きしめられても何も言わないんだろう。どうして嫌がらないんだろう。
こんなんじゃ期待、しちまうじゃねぇか……。
「……伊月先輩、花火、行きましょう」
これ以上このままでいたら危ない。主に、伊月先輩の身が。ちょっと勢いで抱き締めたりなんかしちゃったけど。これ以上はやばい。……いや、実際、さっき抱きしめるだけで済んだのは本当によかったと思う。もう少しでキスでもなんでもしてしまいそうだった。そこまでやったら、もう完全にアウトだ。
俺は伊月先輩を抱きしめる腕を解き、出来るだけ伊月先輩と顔を合わせないようにして台所を出ようとした。その時。
「火神の部屋からも、花火って見えるよな?」
そう呼びかけられて、足を止める。伊月先輩の方は見ないで、「はい」と答える。すると、伊月先輩が小さく息を吐くのが聞こえてきた。
「……もし、よかったら、なんだけど」
僅かに声が震えているのを感じて、思わず伊月先輩の方を見る。
「俺と一緒に、火神の部屋から花火見ないか?」
いつもの余裕そうな笑みを浮かべて言った――…つもりなのだろうけれど。
その顔は真っ赤に染まりきっていて、握った拳も少し震えていて。目にも少し涙が浮かんでいるようで。
如何にも、いっぱいいっぱいだ、という様子が窺えて。
あぁ、なるほど、と思った。
いつも先輩だからって余裕そうに見せていたけど、実際はそんなんじゃなくて。ただ、隠していただけで。
本当は。
……ああもう、なんでこの人はこんなにも可愛いんだ。
きっと、今の伊月先輩に近づいて、少しでも触れたら。伊月先輩はその場に座り込んで動けなくなってしまうだろう。
でも、それでもいいかな、と思った。
動けなくなったなら、俺が運んであげればいい。花火の見えるところまで、運べばいい。
伊月先輩はきっと恥ずかしがるだろうけど、俺は見ていて楽しいから問題ない。
「……それは、期待していいってことですよね?」
今更、訊く必要はないと思った。答えはもうわかっていた。
それでも訊きたいと思ったのは。
余裕なフリを完全にできなくなった伊月先輩を見たい、と思ってしまったからなのかもしれない。
[memo]
2014.08.02 火神誕2014
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