日向の家に辿り着くまでの間は、明日の練習メニューが五倍になることへの文句を言ったり、今日たくさんの人から貰ったプレゼントの話をしたりした。日向が終始、「へぇ」だの「そうか」だのちゃんと聞いているのかわからない返事ばかりしていたのが少し気になったけど。

「じゃあ適当に座ってろ。茶、持ってくるから」
「うん、ありがとう」

 それなりに久しぶりに来る日向の家。本棚の雑誌やらテレビの下のゲームやらは増えたみたいだけれど、基本的に配置等は変わっていない。
 ベッドを背凭れにして床に座り、ふう、と息を吐く。
 最後にこの部屋に来たのは、恋人になるちょっと前、だったかな……。
 つまり、今日は恋人として初めて部屋に足を踏み入れた日、ということ。
 でもまあ、だからって言って、緊張しないし、緊張するようなもんでもない、よな……。
 幼馴染みとして何度も訪れた日向の部屋。今更何とも思わない、思うわけがない。
 っていうか、俺らって本当に傍からみたらただの仲のいい幼馴染みだよな……。黒子とかは俺達が恋人同士って知ってるから、イチャイチャしてますねーとか言ってくるけど。
 黒子の呆れた表情を思い出して、思わず笑ってしまいそうになる。

「伊月、麦茶で良かったか?一応紅茶もあるけど」
「あ、いや、麦茶で大丈夫だよ。ありがとう」
 ひょっこりと顔を出した日向にそう告げれば、「どういたしまして」と麦茶を渡された。

 よっこいせ、という掛け声と共に日向が俺の右隣に、ひと一人分ほどの間をあけて座った。俺と同じように、ベッドに凭れかかって、ふう、と息を吐く。それを横目に麦茶を飲もうとコップを傾けると、中に入った氷がからん、と音を立てた。


「…………」
「…………」


 ……さて、何だ、この沈黙は。
 いや、別に無言の空間が苦手だとか、そういう訳じゃない。心地良い沈黙、というのも経験したことはある。でも、今はそれじゃない。
 ちらり、と視線だけ横に向ければ、微妙な表情の日向。ちょっと苛立っているような、拗ねているような、でもそれらを隠そうとしているような。よく分からない表情。
 ……これは、俺が何かまずいことでもしたんだろうか……。
 膝を折り曲げて両腕で抱え込む。膝に顔を埋めながら、あれこれと考えてみたが……よくわからない。
 んー……何か適当に話をして、元気づければいい、のかな……。
 いつもの調子になったところで、上手く原因を聞き出せればいいし、なんて思って、一人心の中で頷く。

「……そういえば、今日、ちょっと変なことがあってさ」
「……変なこと?」
 俺が話し始めると、日向の視線が少し鋭くなった。もしかして話をしたい気分じゃなかったのか、とも思ったが、先を促されるような返しに、続きを話さないわけにもいかない。
「いや、まあ、偶々かもしれないんだけど。……今日、日向以外の誰にも名前呼ばれてないなーって。黒子達とか降旗達とか。他にも色んな人に話しかけられたのに……」
 話題は無難に今日ふと不思議に思ったこと。話のネタになればいいな、くらいに思っていたのだけれど。

「ど、どうしたの、日向……」

 明らかに機嫌が悪くなった。眉間の皺が深くなった。なんだ、俺、地雷でも踏んだ……?
 背筋がひやりとするのを感じながら、日向の様子を窺う。

「……いや、伊月はなんも悪くねぇし、俺も勝手にちょっと考えちまっただけで、思い込みかもしんねぇんだけどさ」

 日向はそう言って、自分の頭の後ろを掻いた。顔が少し情けないものになり、言いにくそうに、口を開いたり閉じたりを数度繰り返す。ここは催促してはいけない、と直感がいい、黙ってその様子を見つめる。

 やがて、日向は意を決したように、俺に視線を向けた。








「……伊月って、俺の事、まだただの幼馴染みだと思ってんのか……?」






 一瞬、日向の言ってることが理解できなかった。



「え、なに……え?」
「……あー、悪い、大丈夫、だよな、うん、そうだよな」
 混乱したままの俺を宥めるように日向が眉尻を下げて笑う。でも、そんなので今の言葉をなかったことにはできない。
「え、俺達、恋人同士、だよな?」
「うん、そう。いや、悪い、変なこと言っちまった」
 別に謝ってもらいたいんじゃなくて。何で、そんな話になったのかって。そこを訊きたいんだ。
 俺の気持ちは、言葉にしなくてもちゃんと日向には伝わったようで。日向は、気まずそうに俺から視線を外してから、もう一度、俺の方を見る。

「……実は、さ。この前、お前の知り合い、わかる限り全員まわって、あることを頼んできたんだわ」
「あること……?」
 聞き返す俺に、日向は小さく頷く。



「……伊月の誕生日、つまり今日、伊月の名前を呼ばないでくれって」
「はぁ……?!」



 何を言っているんだろうかこの男は。なんだその頼み事は。訳がわからないにも程がある。
「何の為にそんなこと……」
「いや、ぶっちゃけ自己満足みたいな感じでさ。伊月の誕生日っつー特別な日に、伊月のことを、伊月って呼ぶのが俺だけだったら、なんかめっちゃすげえなって」
 ……なるほど、わからん。
 日向はアホだ、と思うことは多々あるけれど、今日ほどアホだと思ったことはない。とりあえず日向はバカなんだな、そうなんだな。
「まあ、そんで、さらに俺の名前も呼ぶなって頼んで、俺自身も伊月以外の名前を口にしなかったら、俺、今日一日を全部伊月に捧げてるみてぇだなって」
「あー、うん」
 ちょっとよくわからないけど、一応頷いておく。とりあえず、日向が俺のことをすごく好きだってことは、よく伝わってくる。
「でも、伊月は勿論、俺以外の奴の名前だって呼ぶだろ?なんか、他の奴のこと呼んでんの見たら……本当は、俺だけが伊月のことを好きで、伊月は俺の事、そこまで特別に思ってないじゃねぇかな、とか、考えちまって……」
「いや、だって、そりゃ普通に生活してたら色んな人の名前呼ぶでしょ」
「あぁ、わかってる。そうなんだけど、こう、そう錯覚っつーの?……しちまって」
 日向が眼鏡に手をやり、カチャリと音を立てて持ち上げた。
「……んで、色々その時考えて伊月とのこと思い出してみたら……伊月ってただの幼馴染みだった時と、殆ど態度変わってねぇなって思って、それで……」
 そこまで言って、日向は「ごめん」と零した。


 心当たりがない、と言ったら嘘になる。
 確かに俺自身、日向と関わる時。恋人だ、って意識すると、緊張して、心臓が騒がしくなって、いつもの俺じゃいられなくなりそうで。
 だから、いつだって心の中で「まあ、俺と日向は幼馴染みだから」って、言い聞かせていた。心臓が煩くなる前に、早めにそう自分に言い聞かせていた。いつも通りの自分でいるために。
 でも、その態度が、日向を不安にさせてしまっていた、といことだ。紛れもない、自分が。

 ……そういえば、キスだって、日向に「キスしたい」って言われてしたり、日向に誘われるようにしてしたり。一回も、自分からしたことはなかった。……ましてや、それ以上のことなんて、やったこともない。
 日向はキスをする前、必ず不安そうな顔をしていた。今までそこまで気にしていなかったけれど、もしかしたら。
 日向は、俺にそういう意味で好きだと思われてないんじゃないか、ここで拒絶されてしまうんじゃないか、なんて、ありもしないことを考えていたからなのかもしれない。
 もし、本当にそうだとしたら。





「……日向のバカ」
「は……?!」

 目を丸くして、眉尻をぴくりと震わせる日向。
 まさにこれから、怒りの言葉を吐き出すために動こうとするその唇目掛けて、俺は自分のそれを強く押し付けた。その瞬間、日向は、ぴしっ、と全ての動きを止める。
 勢いをつけすぎてしまって、気持ちいいキスとは程遠いものになっただろうけど、そんなことはどうだっていい。
 唇を離す時、おまけとばかりに、ちゅ、と小さく音を立ててやる。

「日向、バカだけど………すっごく、好きだよ」

 なんだか急に恥ずかしくなって、肝心な部分は空気を僅かにしか震わせられなかった。
 でも、二人きりの静かな空間だったおかげ、と言うべきか。しっかり、その言葉は日向に届いていて。

「伊月……!」

 がばり、という効果音がつきそうな程の勢いで抱きしめられた。
「俺も伊月が好き、すげえ好き」
「うん、俺も好き」
 暫く同じようなやりとりを繰り返して、笑う。

「伊月、キス、していい?」
「ん、いいよ。……俺もしたい」

 腰のあたりに回された手が背中へと上ってきて、キスの準備。
 目を瞑って、少しずつ顔を近づけて、柔らかいものが触れる。さっきの勢いをつけたものとは比べものにならないほど、気持ちがいい。
 角度を変えて触れ合う唇。何度目か、優しく触れ合うだけのキスを繰り返したころ、唇に温かいものが触れた。それは、俺の唇を湿らせながら、柔らかくつついてきた。抵抗せず、導かれるままに薄く開けば、遠慮がちに中を探るようにそれが動き回る。息と共に声が漏れそうになるのを堪えながら、甘く溶けるような快感に身を震わせた。

 ずっとこのままでいたい、かもしれない……。

 そんなことを考えた時だった。何やら脇腹あたりに違和感を覚える。薄く目を開けば、怪しい動きをする手。……勿論俺のものではない。

 この野郎、調子に乗りやがって。

 暫く無視を続けていたが、次第に上へとあがっていく手に、ぞわり、と鳥肌が立ち。俺の手が、頑丈な固い拳を作った。





「調子乗んな、この変態!!」
「いってぇ!!!」





 ……さっき言ったこと、訂正。日向はただのバカじゃない、大バカだ。 


 世界で一番、バカで、アホで。










 でも、世界で一番、俺を愛してくれている人だ。








[memo]
2014.10.23 伊月誕2014


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