前髪で前が見えないことはない



「原?起きてる?」

 ソファに座ってテレビを見ていたら、さっきまで台所に立っていた筈の伊月が俺の顔をひょっこりと覗き込んで来た。両手に芳しい香りのするコーヒーの淹れられたカップを二人分持って。
 ゆっくり数えて三秒。俺を見つめるその濃灰色の瞳を同じように見つめ返す。
「……寝てる、か」
「寝てないけど?」
 諦めたようにコップを机の上に置き、俺から視線を逸らそうとする伊月にそう言い放つ。口元ににんまりと笑みを浮かべれば、伊月が不服そうに唇を尖らせた。
「……寝たふりやめろよ」
「別に寝たふりとかしてないし。勝手に勘違いしたのそっちじゃん?」
 俺の言葉にさらにムッとした表情になる伊月。それを見ると楽しくなってしまう、だなんて、本人に言ったらもっと怒るかな。それもそれで可愛いけど。
「だってお前、前髪長くて目見えないから、起きてんのか寝てんのか全然わかんない……」
「えー。そこは愛の力で、さ?」
「っばか、何言って……!!」
 愛、のところをわざとゆっくり言ってやると、それを意識してしまったのか伊月の頬が徐々に朱に染まっていく。

「もうっ……紛らわしいから前髪切れよ!!」
「俺、自分じゃ上手く切れないもーん」
 恥ずかしさを誤魔化すように言い放つ伊月に、無邪気っぽくそう返す。うぅ、と伊月が悔しそうに唸るのをきいて、さらに口角が上がる。

 が、こんな楽しい状況も、長くは続かなかった。



「……わかった、じゃあ他の人が切ればいいんだな?」
「え?」
 ふぅ、と小さく息をつくのを見て、何故か嫌な予感がした。冷や汗が一筋、背中を流れる。

「ちょっと日向に電話してくる」
「は?ちょ、何言ってんの?どういうこと?」

 日向ってあいつか?誠凛の、眼鏡の?伊月にやけに纏わりついてくる、あの?
 疑問符を浮かべていると、伊月はこちらを見下ろし、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「日向の家、美容院だから。まあ今日は休日だし忙しいだろうから、端の方で日向に前髪だけバッサリ切ってもらおうか!」

 ここ一番いい笑顔を向ける伊月に顔が引き攣る。
 いや待てよ、まじで笑えねぇよ。なんであの眼鏡野郎なんかに髪切ってもらわなきゃなんねぇんだよ、だいたい家族以外に俺の目なんて見せたことねぇのに、何であいつなんかに見せてやんなきゃならねーんだよくそ……!

「ちょっと、まじで待ってってば」

 いつの間に携帯を片手にする伊月に思わず慌てる。携帯を持つ右の手首をぐい、と掴みあげれば、伊月の顔が歪められたのがわかる。

「は、原……!ちょ、いっ……た、い」
「そりゃ痛くしてるから?電話かけるのやめてくれれば離してあげるけど」
「電話なんてかけないっ……て!!冗談、っだか、ら」
「……ほんと?」
「本当本当!嘘じゃない!!」
「……ふーん?あっそ」

 痛みから逃れようと身を捩る伊月を暫し眺めてから、その手を離してやる。伊月の肌は白いから、強く掴まれた手首は痛々しいほどに真っ赤に染まっていた。そこを涙目で見つめながら擦る伊月が可愛らしくて笑みが零れる。

「うっわー痛そう」
「誰のせいだよ、誰の」
 きっと睨み上げられて、そのままふいっとそっぽを向かれてしまった。こちらに向けられた、俺より華奢な背中が俺を惹き寄せる。
 ぎゅう、と後ろから抱きしめてやれば、その肩が小さく震えた。
「ねー伊月?」
「……なに」
 ちょっと拗ねているのか、素っ気なく返される。でも反応はしてくれているから、話を聞く気はあるらしい。安堵して話を続ける。

「伊月、俺の目、見てみたい?」

 まだ伊月にも一度だって見せたことのない俺の目。別に見せたくない訳ではないし、伊月に見せてもなんの問題もない。自分の前髪に手をかけて、後ろから伊月の顔を覗き込むようにしてやる。

「……いや、見なくていい」

 きっと伊月なら見たいと言うと思ったのに。意外な答えにぽかん、と口を開く。
「なに、俺の目なんか興味ない?」
「んー……そういうことじゃなくて」
 腕の中の伊月は少しもぞりと動いて、俺をちらりと見た。
「好きな人のことを知りたい、って勿論思うけど。……でも別に全部を知りたいとは思わないんだよ、俺」
 伊月のその言葉に、何か返事をすることも出来ずに、ただきょとんとしていると、伊月が少し考え込むように唸る。

「なんていうのかな……秘密の一つや二つあるほうが、ミステリアスな感じがして良いっていうか……なんか、危ない感じがするっていうか……」

 ぽつり、と独り言のように小さな声で呟かれた言葉は、至近距離にいる俺にはばっちり聞こえた訳で。

「へー。伊月ってミステリアスな感じがする、ちょっと危ない感じの人が好きなんだ?」
「あっ危ない感じが好きなんて言ってない!」
「でもそういうことでしょ?」




 ――――……俺みたいな男に引っかかってる訳だし。




 耳元で囁くと、伊月の顔がみるみる赤くなっていく。首筋まで赤く染まっていて、思わず齧り付きたくなる。

「引っかかってないしっ……!」
「俺のこと好きでしょ?」
「もう、バカ……!!」

 すん、と首の辺りで鼻を鳴らすと、伊月の肩が震えた。そこに少し舌を這わせ、ちゅ、と軽く音を立てる。
「こらっ……原、やめっ」
 必死に腕の中で身を捩る伊月が可愛くて仕方ない。
 段々と目の奥が蕩けていくのが見えて、喉でくくっと笑う。




「じゃ、伊月の大好きな危ないこと、しよっか」









[memo]
一回でいいから書いてみたかった原くんと伊月のお話。



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