『……あれ、伊月さんまだ眠くなさそうっすね』
 会話のちょうど区切りのいいところで高尾がそう言ってきた。スマホを耳から離し、時間を確認してみると、確かにもう電話をかけてから1時間程が経っていた。
「本当だ……なんでだろう」
 いつもならもう眠りについているころだ。それなのに、今は眠気なんてこれっぽっちも感じない。このままでは眠るより空が明るくなる方が先になるだろう。
「……さっきベッドから落ちたせいかなぁ…」
『え、伊月さん、やっぱりさっきベッドから落ちたんすか?』
「あっ……いや!!……ちょっとした不可抗力なのだよ」
『なんで真ちゃん口調なんですか!!』
 必死に笑いを堪えようとしている高尾の様子が伝わってきて、つられるように伊月も笑う。少しずつ落ち着きを取り戻し始めた頃、『唐突に真ちゃん口調はまじで勘弁してくださいよ』と言われてしまった。いや、それにしたって高尾は笑いすぎだと思うけどな?
 二人でくすくすと笑い合い、少しの間、心地の良い沈黙が流れる。
「……よし、じゃあ、高尾も笑い疲れただろうし寝るか」
『……えぇっ?!まだ伊月さん眠ってないじゃないですか!!』
 通話を切ろうとスマホを耳から少し離した時、それを引き留める声が聞こえた。もう一度耳に当てて、伊月は溜息をつく。
「一日寝ないくらい大丈夫だよ、きっと。それよりも、俺のせいで高尾の睡眠時間をゼロにするわけにはいかないよ。秀徳の先輩たちに俺が怒られちゃう」
 いつものように通話を始めて伊月がすぐに眠れることができれば、高尾もそれなりに睡眠時間をとることができるのだが。今日はいつもと違う。この調子で高尾を付き合わせてしまえば、本当に朝になりかねない。睡眠時間を短くても数時間とるのと一分もとらないのとで体調はだいぶ変わってくる。
「今からなら高尾も二、三時間は眠れるだろ?こんな時間まで付き合わせてごめんな。それじゃあ」
『あの、伊月さん』
 あとたった四文字。おやすみ、とだけ告げて通話を切ろうとしたのだが。またしても高尾に引き留められてしまう。
「……何?」
『今から伊月さんに会いにいっていいですか?』
「……はぁ?」
 一瞬耳を疑った。
 今、高尾はなんて言ったか。俺のところに来る?え、高尾と俺の家って別に近いわけじゃない、よな……?
 記憶が正しければ、電車に乗って何駅か。
「……気持ちは嬉しいよ、ありがとう」
『いや、冗談とかじゃなくて』
「え、だってもうこの時間電車ないだろ」
 伊月がそう言うと、高尾は静かになってしまった。まさか電車がないってことに今気が付いたとか?眠すぎて頭まわんなくなってるのかな……まぁそうさせてる原因は俺なんだけど。
 少しすると、高尾が『実はですね』と重い声で言ってきた。
『怒らないできいて欲しいんですけど』
「うん」
『………今俺、伊月さんの家の前にいるんです』
「それ本当だったら通報されてもおかしくないぞ」
 思わず冷静にそんなツッコミを入れてしまった。だってこんな時間に人の家の前に突っ立ってるとかどう考えても不審者だろ?誰かに見られたら一瞬で警察に連れて行かれるだろ?
「……え、その………まじ?」
『まじです』
 ……出来れば冗談だと言って欲しかった。
 ベッドから勢いよく起き上がって、急いで玄関へと向かう。高尾の言葉は全く信じられないけれど、信じたいと思っている自分が確かにいて。静かにそのドアを開くと目の前には。

「こんばんはー……つっても、そろそろおはようございますの時間ですかね?」

 へらりと笑う高尾の姿が、そこにあった。
 その姿を見て、色々言いたいことが込み上げてきたが、こんな夜中に外で大声を出したら近所迷惑となってしまう。ここは冷静になるしかない。平常心、平常心。
 無言でその腕を引き、家の中へと引きずり込む。伊月の部屋へと向かう間も高尾がずっと無言だったのは、伊月の家族が寝ているかもしれない、と考えた高尾の配慮ゆえか。こんなところでも発揮されるハイスペックに感心しながら、伊月は高尾と共に部屋へと入り、その扉を閉めた。
「………俺は一体なにから質問すればいいんだ?」
「え、それを俺に訊いちゃいます?」
 いつもの調子でへらへらと笑う高尾に眉を顰める。本当に訊きたいことが多すぎてどうすればいいかわからない。その顔を見つめながら難しい顔をしていると、高尾が「まぁまぁ」と宥めるように伊月の肩にぽん、と手を置いた。
「俺は仕事をしに来たんですよ」
「……仕事?」
「眠らせ屋の仕事っすよ。途中で放棄するわけないじゃないですか」
「お前なぁ……」
 仕事、とは言っても二人でおふざけでそう呼んでいるだけの話であって、なにも別に正式なものではない。
 それなのになんでこんな律儀に……。
 そうぼんやりと考えていると、ふいに高尾に手をとられた。
「高尾……?」
「とりあえず話は寝転がってしましょうか」
「へ……?」
 高尾の言葉が理解できなくてきょとんとしていると、笑われてしまった。そして、優しい手つきで伊月をベッドの近くまで誘導すると、「てーいっ」なんて掛け声と共にベッドの上へと転がした。

「さ、寝ましょう」

 そんなことを言いながら、高尾までベッドの上へと乗りあげてきた。
 え?あ、え?!これは一体どういう……?!
 混乱して硬直している間にも、高尾は伊月の傍へと寄り添うに近づいてきて、丁寧に一枚の掛布団を二人の身体にかけた。
「大丈夫ですよ、伊月さんが寝るまでお話しててあげますから」
 目の前ではにかむ高尾。でも俺が言いたいのはそういうことじゃない、そうじゃないんだよ……!!
 訴えるような伊月の視線に気づいたのか、高尾は至近距離で伊月を見つめ返し、楽しげに笑った。
「……色々訊きたいことあるんでしたよね」
「そりゃあもうたくさん」
「まぁ何を訊きたいかもだいたいは予想ついてますけどね。……でも」
 そこで高尾は一旦言葉を切った。しかし、少し待ってみても続きは聞こえてこない。どうしたのか、そう問いかけるために口を開こうとした瞬間、突如視界が真っ暗になった。


「……今は俺の話を聞いて、ゆっくり眠っていてください」


 少しトーンを落とした声が、鼓膜を震わせる。
 もしかして……今、抱きしめられてる……?
 遅れてそのことを理解し、今、自分は高尾の胸に自分の顔を押しつけているような形になっている、ということに気付いた。高尾の匂いを近くに感じ、思わず高尾の身体に自分の身を擦り寄せる。さらに二人の距離を近づけようと、背中に回った腕が身体を引き寄せる。

 ああ……なんか……安心する、かも。

「あ、伊月さん、もう眠くなってきたんですか……?」
「ん……なんでだろ、さっきまで全然眠くなかったのに」

 声を直接きいて、匂いを感じて、体温を感じて。
 頭が高尾でいっぱいになったら、突然睡魔が襲ってきた。

「いいんですよ、そのまま寝ちゃって。つか、伊月さんが寝てくれないと俺も眠れませんし」
「あ……そっか、ごめん、仕事は途中で放棄したくないんだっけ」
「あー、いや、そうじゃなくて、ですね」
 少し速くなった高尾の鼓動が聞こえてくる。重い瞼を抵抗せずに閉じて、その音と高尾の声に耳を澄ます。
「……引かれること承知で言いますと、ですね」
「うん」
「……俺、伊月さんの寝息を聞きながらじゃないと眠れない体質になってしまったんですよ」
「…………ぅ、ん…?」
 意識が夢の中へと堕ちかけている中でもなんとなくわかった。

 それって俺がいないとダメだ……っていうこと……?

 一度そんなことをぼんやりと思うが、それが一体どういうことなのか、はっきりと頭に入ってこない。ふわふわと浮いている感覚がするのは、確実にこの睡魔のせいだ。

「伊月さんの寝息を聞くのがいつも俺にとってのご褒美だったんだけど。今日は伊月さんの寝顔も見ることができるとか……最高」

 独り言のように呟かれた高尾の言葉。しかし眠すぎて、もうその言葉の意味を理解することはできなかった。
 少しずつ、周りの音が遠くなっていく。全身が重くなって、どんどん下に沈んでいく感覚に襲われる。目はもう、開けられそうにない。何も考えずに、今はただ、この感覚に流されていたい。

 高尾が夜になんて言ってたのか、起きたら絶対問い詰めてやるんだからな。




 意識が完全に堕ちる直前、小さな、くすり、と笑う声と共に高尾の声が聞こえてきた。







「おやすみなさい、伊月さん」







 うん、おやすみ、高尾。





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