眠らせ屋高尾



「……駄目だ、眠れない」

 ばふん、と音を立てて横向きの状態から仰向けへと身体を転がすと、大の字に手と脚を放り出した。オレンジ色の淡い光を放つ蛍光灯を見上げて、伊月は溜息を一つついた。
「何で最近こんなに眠れないんだろ……」
 枕元に置いたスマホを手に取り画面をつければ、現在の時刻が表示される。2時15分。完全に深夜である。
 授業もしっかり受けたし、部活にも参加したし……体は疲れてるはずなんだけどな。
 確かに倦怠感はあり、ベッドに寝転がったこの状態からは起き上がりたくない、と思う。出来ればずっとこの柔らかな感触に包まれていたい、と思うのだが。どうにも睡魔がやってこない。
 もちろん、睡魔がやってこないから、と言ってこのまま朝まで天井をぼーっと見続けるわけにはいかない。それだとやはり、身体の怠さは取れないだろう。
「今日も頼るしかない……か」
 そう呟き、手元のスマホを再び握り直した。寝転がったまま、ゆっくりと指を画面に滑らせる。そして、指の動きを止め、柔らかな笑みを浮かべると、伊月はそのままスマホを自分の耳へと当てた。
 暫し続く呼び出し音。目を瞑って、この煩い音が終わると聞こえてくるだろう、あの心地よい声を待つ。
 ぷちり、という音が聞こえ、鳴り続けていた音が途切れた。
「……もしもし」
 電話をする時の定番である言葉を小さい声で言う。辺りの静まった深夜なら、小さい声も拾って相手に届けてくれる。


『はいはーい、伊月さんのために24時間働く、眠らせ屋高尾ちゃんでーっす』


 その声を聞いて、伊月は安心したように、ほっと息を漏らした。
「ごめんな、こんな夜中に……」
『なーに言ってるんですか。伊月さんに安眠を届けるのが俺の仕事、ですから』
 気にしないでください、と言う高尾に思わず小さく笑ってしまった。


 そう、伊月が夜中、高尾に電話をかけるのは、今日が初めてではないのだ。伊月が眠れないときは、いつも高尾が話し相手になってくれていた。特に最近は、なかなか眠れないことが多く、ほぼ毎日、ただのんびりと会話をしている。話すことは本当に他愛もないこと。部活の時のことや、今日の夕食のメニューについて。今日思いついたダジャレを披露したり、エース様緑間のその日のラッキーアイテムを聞いたり。そんなことをしているうちに伊月は気付けば夢の世界へとゆっくり堕ちていくのだ。
 高尾はいつもハイテンションで喋っている、というイメージが強いし、確かにその通りである。それなら、高尾と話しても眠くなんてならないのでは、と思われるかもしれない。しかし、夜中、伊月と電話で話している時の高尾は、普段と少し違うのだ。
 普段より柔らかくて、優しくて、全てをふわりと包み込んでくれるような、そんな声。少し低くて、ゆっくりとしたペースで話す高尾の声を聞いていると、三十分もしないうちに先程まで全然なかった眠気に襲われるのだ。

 高尾の声って……魔法みたいだ。

 そんなことを思って心の中でくすりと笑う。


「俺に安眠を届けるのが高尾の仕事、ね。仕事なら高尾に何かお金とか払った方がいい?」
『ちょ、やめてくださいよー!お金欲しいとかそういう意味じゃないですから!!全ては伊月さんのためだっていつも言ってるじゃないですか』
「あーそういえばそうだったな」

 伊月さんのため。
 いつもそう言って伊月が寝るまで話し相手となってくれる高尾。でも伊月は、高尾に電話をかける度に、ほっとすると同時に、申し訳なくなっていた。
 俺が電話かけたら高尾はいつもすぐに反応してくれるけど……それってつまり、ずっと起きてるってこと……だよな?
 もし自分のために高尾が睡眠時間を削っているならば、今すぐにでもこんなことはやめたほうがいいのだろう。でも、やっぱり高尾の声をききたいと思うし、高尾の声を聞きながら一日を終えると、幸せな気持ちに満たされる。それに、高尾がいないと、もう眠れる気がしない。
 ……って結局全部、自分のことしか考えてないんじゃん、俺。
 はぁ、と小さく息をつくと、すぐさま『なにかあったんですか』と高尾が反応してくれる。
「……いや。やっぱり、眠らせ屋として頑張ってる高尾に何かご褒美をあげたほうがいいかなって」
『ご褒美っすか?なんか良い響きですね』
「……変なことはしないぞ」
『えー、残念』
 そう言いながら喉のあたりでくつくつと笑う高尾。伊月の返答を予想していたのか、あまり残念そうな様子ではない。ちょっと余裕な態度が悔しい、とか思ってしまう。
「なんでもいいよ、今度一緒にアイスとか食べに行く?奢るよ」
『え、まじっすか?伊月さんとアイスかぁ、行きてぇな』
「よかった。じゃあ今度スケジュール教えて」
『はーい了解でっす。店は俺の方で調べておきますよ、最近話題になってる店知ってるんで』
 あっという間に次に会う予定が立てられる。部活がオフの日は出来るだけ他の予定入れないようにしないとな、と考えながら、ベッドの上をころり、と転がる。
 あー…楽しみだな、高尾と会うの。
 顔が自然と綻ぶのを感じ、少し恥ずかしくなって、それを隠すように再び転がる。
「うぁっ!」
『え?い、伊月さん?!』
 ……高尾と会えるのが楽しみすぎて、勢い余ってベッドから落ちた、とか言えるわけがない。
 『大丈夫ですか?!』と少し緊迫した声が聞こえてきたが、大丈夫だよ、と出来るだけ落ち着いた声で返す。落下した際にどこも痛めなかったのは不幸中の幸い。
 ベッドに潜り込み、スマホを耳に当て直す。
『落ち着きました?本当に大丈夫ですか伊月さん』
「いや、大丈夫、本当何でもない、大丈夫。気にしないで」
 少し強めにそう言うと、高尾は安心したように『よかった……』と零した。まるで自分のことのように心配してくれて本当に高尾は優しい子だな、と思う。だからこそ、くだらない理由でベッドから落下しただなんて事実は知られる訳にいかない。察してくれたのかはわからないが、詳しくつっこまれなかったのはありがたい。
『あっそれと今調べたんですけど、例のお店、毎週土曜日の午前は安いらしいっすよ。大丈夫そうだったら今度の土曜日行きません?』
「たぶん大丈夫。一応あとで確認しておくね。お金もたぶん余裕あるだろうし」
『あー、そのことなんですけど』
 財布の中身を思い出しながら言うと途中で高尾に遮られる。歯切れが悪い様子に首を傾げて高尾の言葉を待つ。
『……やっぱり自分の分は自分で払いますよ。っていうか、伊月さんの分も俺が払います』
「いやいや、何言ってんの。それだとご褒美にならないじゃん」
 突然の申し出に少し焦りつつそう返すと、受話口の向こうから、あー、だの、うー、だの言う声が聞こえてくる。そんなに言いにくいことなのだろうか。急かすことなく高尾が話してくれるのを待つと、少しの無言の後、小さく、はぁ、と諦めたような溜め息をつかれた。
『……俺的には、伊月さんが俺と一緒に出掛けてくれるっていうそれだけで十分すぎるご褒美なんです。だからさらに奢ってもらったりなんかしたら、ご褒美貰いすぎになっちゃいます』
「んー、それは今まで俺の電話に付き合ってくれた分も含めてってことで」
『いや……っていうか俺、既に毎回ご褒美貰ってる、というか……』
「え……?」
『いーえ、なんでもないです』
 毎回ご褒美……?そんなのあげてたっけ。
 自分から何かを高尾にあげた覚えはない。無意識のうちに何かあげているとも思えず、少し考え込んでしまう。高尾に直接聞こうにも、既にその話は終わったといわんばかりに別の話題を提示してきてしまったので、伊月も流されるようにその話題に乗っかる。
 まぁ、それについてはまた今度聞けばいいか……。
 そう思いながら、伊月は目を閉じて、高尾との会話を続けた。



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