「伊月さーん!」
「あ、高尾」

 最近、毎日帰り道に高尾と会う。
 それも決まって、伊月の家の最寄り駅を出てすぐの十字路のところで。

「今日は部活なかったのか?」
「そうなんですよー、学校のほうで先生方が結構大事な話し合いをするだのなんだので。伊月さんは?」
「んー?普通に部活オフ」

 当たり前かのように会話が進められ、二人は歩調を合わせて歩き出した。


 初めて会ったときは、本当にただの偶然だと思った。こんなところになんの用があって来たのだろうと疑問はあったが、そこまで深く気にしていなかったし、その時はお互い一言ずつ言葉を交わした程度であとはなにもなく、伊月もいつも通り帰路へとついた。
 しかし、その次の日も、そのまた次の日も。
 高尾は決まって十字路のところにいた。
 さすがに不思議に思って、数日たったある日、「誰かと待ち合わせでもしているのか」と尋ねたが、噂のコミュ力でうまくかわされてしまった。むしろ、その質問をしたことが契機となったのか。その次の日からは伊月の家までついてくるようになった。家の前に着いてしまえば、特に立ち話をすることもなく、高尾はもと来た道を戻っていく。


 俺達の関係っていったいなんなんだろう……。

 普通の、他校の部活の先輩後輩、というには距離が近い気がする。
 でも、友達っていうような仲でもないしなあ…。

 いくら考えてもこれという答えが出るわけでもなく。結局その疑問は解ける事なく、心の奥の方へと仕舞われた。

 ただ、少なくとも。
 高尾と過ごすこの時間が、心地良いとは感じていた。







「じゃ、またな」

 いつの間にか、高尾と一緒に帰ることが当たり前となっていた伊月。家の前に着けば、「また明日も同じ場所で会おう」との意をこめた言葉をいつものように告げ、高尾の隣から離れた。高尾に背を向け、自分の家の敷地内に足を踏み入れた時、後ろから小さな咳払いがきこえてきた。それと同時に。

「あの」

 高尾にしては珍しく、その声はわずかに上擦っているように感じた。
 どうした、と尋ねるようにそちらに視線を向け、首を傾げると、思い切ったようにその口が開かれる。


「伊月さんの家にお邪魔してもいいですか?」


 そう言って少し間をあけると、思い出したかのように「伊月さんさえよければの話ですけど」と控えめに加えられた。
 突然のことにしばし目を瞬かせる。
 高尾が俺の家に……?なにか用でもあるのか?
 今、家には誰もいない。皆学校やらなにやらで帰りが遅くなると告げられていた。
 母さんとかいないからあまりおもてなしとかは出来ないだろうけど……。
 せっかくの機会だし、高尾とゆっくり話をしてみたい。同じポイントガードだし、話も弾みそうだ。それに。

 ……ホークアイについても、ちょっときいてみたいし。

 自分と似たような能力、というのが気になっていた。別にここでいろいろと聞き出して、次の試合の作戦を練ろうだとかそういう話ではない。高尾がその能力についてどう思っているのか、どう向き合っているのかがききたい。

 家に入ってもらうか……。
 伊月はそう結論づけて、それを口にだそうと高尾に視線を戻した。すると、しばらくの伊月の無言を悪い方向に受け取ったのか、寂し気に俯く彼の姿が目に入る。
 全く……断るわけないのに。
 一人で勝手にしおらしくなっている高尾を見て、思わず笑みが溢れる。

「……なに笑ってるんですか」
「いや、何でもないよ」

 伊月は少し笑ってから、どうぞ、と高尾を中まで引っ張った。予想と違う結果に最初は固まっていたものの、すぐに嬉しそうな「はい!」という返事が聞こえてきた。







「あんまり大したもの出せなくて悪いな……」
「いえいえ!突然お邪魔したいって言い出したのは俺ですし!!!どうぞお構いなく!!!」

 高尾はこちらに手の平を突き出し、それをぶんぶんと振った。そんな力まなくても、と言うが、その言葉は高尾には届いていないようだった。

 一つのテーブルを挟んで二人は座っていて、そのテーブルの上には伊月の用意したお菓子が乗っていた。何を用意すればいいのかいまいちわからず、たまたま目に付いたビスケットを取り出してきただけなのだが。

「ビスケット、好きなだけ食っていいから……あ、お菓子とかってそんな食べなかったりする?」
「いえ!ぜひいただきます!!」

 背筋を伸ばしてそう言うと、高尾はサクサクとビスケットを頬張りだした。

「そんな焦って食べなくても……気をつけろよ?」
「だいひょーぶでふ………うっ?!うぐっ」
「ちょ、言った先から……!!」

 どうやらビスケットの欠片が気管支のほうへいってしまったらしい。喉を押さえて咳を繰り返す高尾に多少呆れながらも水の入ったコップを手渡す。

「……っあー!死ぬかと思った…」

 水をぐいっと飲み干し、呼吸を整える高尾にため息が漏れた。

「お前なあ……別にビスケットに足がはえて逃げてくわけでもないんだし」
「その小さい子に言い聞かすみたいな言い方やめていただけませんか」

 そう言って口を尖らすその姿はまさに小さな子供のようで。
 ……そういう姿を見せるから、こんな言い方になっちゃうんだけど。

 伊月もビスケットを一枚手に取り、端っこを囓る。表面はしょっぱいがほどよい甘さのするそれを堪能する。
 伊月はそのまま二枚、三枚と完食し、四枚目に手を伸ばしたところでその手を引っ込めた。伊月が食べている間、二人の間に会話はなかった。話題がなかったわけではない。伊月としては聞きたいことがたくさんあったのだが。
 高尾の様子がいつもと違うことに気付き、なにも話題をふることが出来ないでいた。いつもの余裕はどこへ行ってしまったのやら、高尾はソワソワとした様子で座り直したり、辺りを見回したりしている。

「……高尾?どうしたんだ、なんかあったのか?」

 さすがにその様子を無視することはできずにそう尋ねる。伊月の問いにギクリと身を固めた高尾は、しばらくして照れたように笑った。

「いやぁ、伊月さんの部屋、ちょっと緊張しちゃって……」
「緊張?そんな、別に緊張するような相手の部屋でもないだろ?」

 女の子の部屋でもないんだし、と笑うと、それに続いて高尾も笑った。

「緊張しますよ、尊敬してる先輩の部屋ですし」
「え……そ、そういうもんなのか」

 さらっとそう言う高尾に思わず言葉が詰まってしまった。高尾の口から飛び出した一つの単語を自分の中で繰り返す。

 尊敬……。

 その言葉が高尾の本心からでたものなのか、それともお世辞として言われたものなのかは読み取れなかったが。
 たぶん後者、だよなあ……。
 そう考えて、ビスケットをまた一枚手に取る。それを囓れば、なぜか先ほどよりも少し苦く感じた。しかし、ビスケットじたいになにか仕掛けがあるわけではないはず。

「だって伊月さんのプレイすごいじゃないっすかあ!」
「そんなことないよ。…高尾のほうがすごいよ」

 

 苦い。口の中に苦味が広がる。



「チーム全体をよく見てるっていうか……」
「そう、なのかな……」



 苦い、苦い、苦い。



「あ、イーグルアイでしたっけ?それ使ってのボール回し、すごいうまいじゃないっすか!!」
「高尾にだって、ホークアイがあるじゃないか。俺のなんて……」



 劣化版だ。


 口に出そうとした時に喉が自然ときゅう、としまり、声が出なかった。無意識に口に出すのを拒絶したのか。

「いやあ、でもホークアイとか言っても穴はありますし。俺は伊月さんのプレイって……」
「高尾、もういい」

 気付けばそう口にしていた。
 耐えられなかった。この苦さに。苦しさに。
 これ以上、彼の偽りの言葉を聞いていたくなかった。


「ど、どうしたんですか伊月さん」

 明らかに動揺しきっている高尾に構わず、伊月の口は動いていた。

「俺にはそんな尊敬されるほどのものなんて何もないよ。高尾のほうがすごいじゃないか」

 声が震えるのを隠すように自然と腹に力が入る。声が微かに大きくなる。

「お前のその眼には、チームのメンバーもたくさん助けられてるんだろ。皆から信頼されてるんだろ。頼りにされてるんだろ」

 自嘲じみた笑いが溢れる。


「羨ましいよ、高尾のことが」


 そう言った時、先程までの苦味がすべて凝縮されて一つの塊になったように口の中を転がり、喉を通っていった。
 ……ああ、本音を言ってしまった。
 妙な脱力感に襲われ、頭がぼーっとする。




 そんな時だった。舌を打つ音が聞こえたのは。


「…なんで……伊月さんは……」


 眉間にしわを寄せ、下唇を噛み、苦しそうに顔を歪ませる高尾。なにか声をかけるべきかと思い、口を開くが、それより前に高尾が立ち上がった。そのまま、ゆっくりとこちらに近づいてくる。背後に、怒りのオーラを背負ったまま。それが怖くて、伊月は座ったまま、高尾から離れるように後ずさった。

「ねえ……伊月さん」

 ついに背中が壁につき、それ以上後ろへと下がれなくなる。高尾との距離は縮まるばかり。

「伊月さんは……なんで……なんで、俺の眼しか見てくれないんですか」
「え……」

 伊月のすぐ目の前にくると、そのまましゃがみこみ、こちらと目の高さを合わせた。
 混乱する頭で高尾の言葉の意味を理解することができずに、目の前にいる高尾をただ見つめていると、彼はイラつきを隠すことなく告げてきた。

「俺の眼、羨ましいんですか。ま、そうですよね」

 その言葉のあと、高尾の顔からふと表情が消えた。
 突然のその変わりように戸惑う伊月には目もくれず、高尾は続ける。

「鷲の目と鷹の目、どちらの性能が上か、なんて少し考えたら……わかりますもんね?」
「……っ!」

 反論は、できなかった。
 自分でもそれが事実だ、とわかっているから。


 鷹の目のほうが、優れている。


 誰もがこの答えに辿り着く。

 そんなの、そんなのわかってる。わかってるんだよ……。

 他でもない自分が、一番よくわかっていること。
 それを改めて他の人に言われるのは、予想以上に辛くて。
 伊月は悔しさを堪えるために下唇を噛んで、高尾から視線を外し俯いた。


 しかし。


 「……っ?!」


 顎が掴まれ、くい、と持ち上げられる。強制的に高尾と目を合わせる形になる。二人の顔の距離は思ったよりも近く、どちらかが少しでも動いたりすれば、鼻先がぶつかりそうなほどであった。それを意識すれば気恥ずかしさがみるみると膨れ上がり、思わず再び視線を外す。

「伊月さん、ちゃんと俺を見てくださいよ」

 掠れ気味の声で呟かれれば、高尾の吐息が伊月の唇にかかるのを感じた。
 それでも頑として目を合わせずにいると。


「んぅっ……」

 顎を掴んでいた手の親指が、伊月の唇に押し付けられた。驚いて高尾に視線を向けると、彼はなぜか、悲しげに笑っていた。

「伊月さんの眼に映っているのは誰ですか、なんですか」

 つぅ、と唇を指でなぞられる。形や柔らかさを確かめるような指の動きに、背筋をぞわぞわとしたものが走った。恐怖からなのか、体中が震え、唇も小刻みに震える。高尾の指は、その震えを感じたようで。一度顔を顰めてから、再びその表情を消す。



「伊月さんは、俺の鷹しか見てない」



 唇から、指の感触が消え去った。と、同時に、高尾の顔が迫ってくるのを感じた。もともと近い距離にあったため、すぐにお互いの鼻がこつん、とぶつかり合う。

 これ以上近づいたら……っ!!

 頭の中で警報が激しく鳴り響く。


 「や、やめろっ……」


 自分で思っていたより、情けない声がでた。とん、と高尾の胸を押し返し、震える声でそう告げる伊月の姿はあまりにも弱々しかった。目を固く瞑り、高尾の返答を待つ。するとすぐ近くで、先程より柔い吐息を感じた、ような気がした。


「そろそろ俺帰りますね」

 その声はいつもと同じ、飄々としたものに戻っていて、伊月は拍子抜けしながらも「うん…」と返した。高尾は軽い身のこなしで伊月からひょいと飛び退くように離れた。

「それじゃ」

 そう言って、いつもの笑みを浮かべて、彼は背中を向けた。ドアが開かれてから閉まるまでの一連の動きを、伊月は何も言わずにただ見つめていた。
 ドアの向こうの足音が遠ざかっていき、聞こえなくなったとき。


「…はぁっ…」

 緊張が解けたからか。喉のあたりにつまっていた息が一気に飛び出た。自然と涙が溢れてくる。頬を大粒の涙が伝っていくのを感じる。

「俺っ……最低だ…っ」

 高尾に言われたことは全部事実だ。それに、高尾に事実を言うように仕向けたのは、自分。自分より優れた能力を持つ人にお世辞を言われて、持ち上げられるのは苦痛でしかなかった、だから事実を言ってもらった。

 それなのに。

 事実を言われるのさえ嫌だと感じるなんて。耳を塞ぎたくなるなんて。
 わがまま、というか、なんて幼稚なんだろう。

 それに……さっきの高尾の言葉。



『伊月さんは、俺の鷹しか見てない』



 彼の言いたいことが、わかった。自分が彼に向けて言った言葉を思い出せば。そして、それを理解すれば、胸が締めつけられるように息苦しくなった。


 絶対、高尾を傷つけた。

 その紛れもない事実が押し付けられ、伊月の肩に重くのしかかる。それは、伊月の心を押しつぶすように圧をかけた。

 ああ、俺は嫉妬してるんだ。高尾の、その眼の力に。

 そのことにはずっと前から気づいていた。でも、目を伏せて気付かないふりをしていたのだ。


 もし、もし。
 俺に鷲の目なんて力がなかったら。俺の眼に鷲がいなかったら。
 嫉妬という感情を持たずに済んだのだろうか。高尾を傷付けずに済んだのだろうか。
 
 能力なんて関係ない、『高尾』という一人の人間と、向き合うことかできたのだろうか。

 

 小さく溜息をつき、天井を仰ぐ。目の端に溜まっていた涙が、全て流れていく。

 


 …あぁ、なんだ、全部俺の……。








 ――――…俺の眼にいる鷲のせいじゃないか。









 震える手が自らの目に伸びる。目を閉ざせば、瞼に指先が触れるのを感じた。その指先に微かに力が入り、瞼越しに圧迫する。



 俺の眼に棲む鷲なんて。

















「死んじゃえば、いいのに」














[memo]
高月の日2013


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