日向の眼鏡が割れたらしい
「日向…?どうしたの…?!」
朝、いつものように学校に行き、いつものように上履きに履き替え、いつものように教室に向かっていたら。
廊下で日向とばったり会った。
そして、途中までいつも通りの連続であったのだが、それもここで終了となった。
なぜなら、今日の日向はいつも通りではなかったからだ。
パッと見ただけでも、いつも通りではない、ということにすぐ気が付く。トレードマークがなくなってしまったというかなんというか。
「どうした…って、眼鏡のことか?」
そう……日向は眼鏡をかけていなかった。
……もしかして「俺、今日からコンタクトにしたんだ!高校デビューだぜ!」とか訳の分からないことでも言いだすつもりなのだろうか。そもそも高校デビューとか今更すぎる、今高校二年生だぞ?今日はエイプリルフールでもなんでもないぞ?日付の感覚が狂ってしまったのか?
瞬時に、病院に行くべきだ、という結論が出て、声をかけようとする、と。
「………割れたんだよ」
ボソリ、と。呟くように言われた言葉に思わず、え、と素っ頓狂な声が出てしまった。
割れた……ということは高校デビューでもなんでもない、ということらしい。とりあえずほっとして、伊月は頭の中から病院行き、という選択肢を排除した。
でも、日向って眼鏡とほぼ一緒に生活してるはずなのに……見えなかったら生活に支障がでるんじゃないか…?っていうか、眼鏡が割れるなんてめったにないことだよな、何が理由で割れたんだ…?
眼鏡がなにもなく突然スルリと地面に落下するはずはない。まして、眼鏡が自ら動くわけはない。……動いたらさすがに気持ち悪い。
眼鏡がひとりでに動く姿を想像し、身震いをする。
……だとしたら、バスケの練習とか……?
毎日欠かさず練習をしている日向のことだ。たまたま調子が悪くて、シュートをはずしてしまったときに、運悪くそのボールが顔面に……。
そこまで考えて、やっぱり違うな、と思い直す。日向なら跳ね返ってきたボールの落下地点くらい予測できるはずだ。うん、俺がかっこいいと思ってる相手だし、それくらいはできる……ってなんか俺今恥ずかしいこと考えてるな……。
恥ずかしさに勝手に赤くなる顔を隠そうと、少し俯きながら考える素振りをし続ける。日向に顔を覗かれそうになったが、そっぽを向いてなおも唸りながら考える素振りを続ける。「耳赤くないか?」と言われたがきこえなかったことにした。
「んー…?」
それからさまざまな可能性を考えたが、どれもピンとこない。
……いっそのこと本人にきいたほうが早いな。
そう考えて、日向の方へと向き直ると、日向はこちらを真顔でぼーっと見ていた。
「え、な…何…?」
真顔とか反応に困る。
たじろぎ、一歩後ろに下がると、日向は「なんていうか……」と悩むように口を開いた。
「眼鏡ないと、伊月の顔がぼやけちまってな…ちょっと寂しいかなぁ…って」
「……は…」
……何恥ずかしいことを言っているんだこの男は……!!
顔がどんどん赤くなっていくのがわかる。
いつもはこんな恥ずかしいこと言わないくせに……言ったとしても自分も真っ赤になるくせに……!!
今回は、伊月の姿が日向からははっきりと見えていないからか。日向の方は全く恥ずかしくはなさそうだった。本気で寂しい、と思っているようにこちらを見てくる。
な、なんか……不公平な感じがする……!!
少し悔しくて下唇を軽く噛んでいると、ふと、とある考えが思い浮かんだ。
そうだ、日向の眼鏡が割れた理由をききだして、それをからかえば日向だって恥ずかしい思いを……!!
若干趣旨がずれている感じがするが……なんとか平等に恥ずかしい思いをしてもらわなければ、とこういう考えが浮かんでしまった。伊月も必死だった、ということだろう。
「えーっと、どうやって割ったの?日向って眼鏡がすでに体の一部じゃん」
「んー、伊月君は何を言っているのかなー?」
笑顔で返された。でも事実じゃんか。
「体の一部ってなんかキモくね?」と呆れた視線がこちらに向けられたが、「例えだよ」と返し、改めて理由を尋ねる。
最初は、思い出したくもない、とでも言うように頭をかいて斜め下を向いていた。しかし、少しして、諦めたように顔をあげる。……どうやら理由を話してくれる気になったようだ。よし、これをネタに日向を思いっきりからかおう……!
「……昨日の夜、カップラーメン作ってたんだよ」
「え、あ、うん」
話のはじめがカップラーメンとは。それがどういう流れで眼鏡を割ることに繋がるんだ…?
ぶっちゃけ全く想像がつかない。
頭に疑問符を浮かべたままの伊月に、日向はお構い無しに話を続ける。
「蓋開けて、沸騰させたお湯を注ぐだろ?そしたらさ、そのお湯が顔に向かって跳ねてきて」
それは災難だ、顔に火傷なんか作りたくないし。
伊月は、「それで?」と続きを話すように促す。
「咄嗟に手が出てさ。その跳ねた水滴を手で受け止めようとしたのか、顔の前に手を持っていって……そうしたら、その手が眼鏡にあたっちまって……」
水滴………はっ!!
「水滴に当たったら道が空いてきた、キタコレ!」
「黙れ伊月」
……今は口に出すべきではなかったようだ。日向の視線が怖い。
とりあえず、日向の話を頭の中で再生してみる。
なるほど、やっとどういうことかわかった。
きっと、その手が眼鏡とぶつかって、眼鏡が吹っ飛んで、落下して割れた、とか。もしくは、落下した後、自分で踏んだ、とか。
ふむ、と一人で頷く。
これなら納得。まあ手をぶつけて眼鏡を吹っ飛ばすのは難儀の技だと思うが……ありえなくもない話だ。
やっとネタが手に入った、と嬉々として声をかけようとすると、同時に、日向が興奮したように「それからさ!」と言ってきた。
「眼鏡が吹っ飛んで、落下したのがカップラーメンの中で!急いで眼鏡を取り出そうとしたら、金属だから熱が伝わっちまって、すっげー眼鏡が熱くなってて反射的に床に投げつけたら割れたんだよ!」
「…………」
話しかけようと開きかけた口を、静かに閉じた。……かける言葉がない。
何でこんなにまとめて一気に不幸が日向の周りで起こったんだ。意味がわからない。
何かに呪われているのか……?霊的ななにかとか……。
「お祓いに行こう、日向!」
「ごめん伊月。俺の話きいて何でその結論に至ったのかを教えてもらいたいかな」
……俺のなかでは全て繋がってたんです。
なんというか、日向の話をきいていたら、からかえなくなってしまった。こんなに不幸な思いをしたのに、さらにからかおうだなんて、俺は鬼かなにかか。本当にごめん、日向。決して日向の話を面白かっただなんて思って……ない、よ、うん。
心の中で謝りつつ日向を見つめると、ハァ、と盛大にため息をつくのが見えた。
……やっぱり眼鏡ないと大変なのかな……。
伊月自身、目は悪くないので、目が悪い人のことはよくわからない。目が悪いと、景色等、どのように見えるのか。やはり体験してみないとわからない。
だから伊月は。
「日向!!」
「な、なんだよ、いきなりでかい声で……」
日向の両肩をガシッと掴むと、さすがに日向も驚いた様子だった。そんな日向に強い意思を込めた眼を向けて、口を開く。
「今日から眼鏡を新しく買うまで、俺と一緒に行動しよ!」
「はあっ?!」
突然何を言うんだ、と驚きの色を隠せない日向。それに構わず、伊月は続ける。
「だって目が見えにくいなか、一人で行動すんの、大変だろ?」
「いや、でも一人で学校までこれたし……」
日向はそんなことを言っているが、今回が大丈夫でも次回もそうだとは限らない。日向が眼鏡を再びかけるその時まで一瞬も気を抜くわけにはいかない……!
「……つかしばらく部活とかいろいろあってなかなか眼鏡屋行けねーし、俺の手に渡るまで時間かかるぞ?」
1日2日じゃすまねーよ、と日向は苦笑した。なるほど、時間がかかるのか……。
「じゃあなおさらだ、長い付き合いになるな!」
「何でそこまでするかな……」
日向は疲れたように眉を寄せたが、決して心底嫌がっているわけではなさそうだった。
それを見て、決定だな、とにこりと微笑みながら、日向の腕に抱きつく。
「うおっ?!い、伊月、お前…っ」
目を瞬かせる日向を小悪魔を思わせる笑みで見上げ。
「こうして俺が引っ張らないと、日向、危ないでしょ?」
……勝手にしろ、とそっぽを向く日向の耳が赤くなってたから、目的は達成、かな。