鳥籠の、鷲
「あれ、伊月さんまだ帰ってないのかぁ」
一人、テレビの画面に向かってそうつぶやく。
その画面には、ドラマやニュース、バラエティ番組などが映されているわけではない。
「それにしても…」
口角が上がったのが、自分でもわかった。
「伊月さんの家、思ったより殺風景だなぁ」
そう、そこに映されていたものとは、伊月の部屋、だった。ソファやテーブル、さほど大きくもないテレビなどが置かれている、ごく普通の部屋。ちょっと置いてあるものが少ないかな、という程度の印象が与えられる、ごくごく普通の部屋だ。
家具の色もすごくシンプル…。
高尾は画面に映る端から端まで観察し、なんの変化もない部屋の様子をぼーっと眺め続けた。
…確か俺がカメラ置いた本棚もシンプルな色だった…っていうか、並んでる本も真面目そうなものばっかりだったし。
視線はテレビ画面からはずさないまま、高尾はつい先ほどのことを思い出す。
伊月の部屋の、一番端っこに置かれた本棚。そこの一番上に、高尾は堂々とカメラを設置した。一瞬でも本棚を目にしたら、その異物に気付くだろう。でも、高尾は、カメラの存在は伊月に気付かれても構わないと思っていた。むしろ、カメラの存在に気付いた時の伊月の反応を見たい、と強く思っていた。それに、いつ本人が帰ってくるかわからないような状況で長居するわけにもいかなかったので、カメラに構っている時間などなかったのだ。
そういえば、あの本棚の端っこにダジャレのネタ帳みたいなやつ何冊かささってたなぁ…。
ふとそんなことを思い出し、思わず頬を緩ませる。ダジャレをドヤ顔で言っている伊月の姿を想像するとさらに笑いがこみあげてくる。
…でも、こんなに伊月さんの帰り遅いなら、他になにか面白いものが置いてないか見ておけばよかったああ…!!
押し寄せてくる後悔の波に頭を抱える。ガバッと顔をあげて、カメラを通して部屋の中を見るが、さすがにそんなに細かいものまでは見えず、肩を落とす。
「…つかそろそろ伊月さん帰ってきても…」
そう時計を確認しようとした途端。
画面の端に揺らめく影が映った。
「伊月さんついに帰ってきたあああああああ!!!」
今まで変化がなくて退屈していたためか、ジャンプまでして喜んでしまった。なんだか一人ですこし恥ずかしい。
「………あれ」
しかし、なぜか、伊月の姿がなかなか映らない。影はちらりと見えたので、帰ってきたのは確かであるのだが。
早くもカメラに気付いた…ってのはないな。ちょっとあの人鈍そうだし。
そんなことを考えながら画面を見つめていると、しばらくしてやっと伊月が姿を現した。
が、しかし。
…なんか、挙動不審…?
部屋の壁に沿って、恐るおそると一歩一歩踏み出す伊月。その様子はかなり不審だった。自分の家の中であるなら、なおのこと。
ということは。
「…やっぱり、気づかれてる…?」
なになに、もしかして伊月さん、意外と鋭いの?雰囲気とかで不法侵入とかわかっちゃう系男子??
と、伊月の動きが止まった。それも不自然な格好で。顔の向きだけ、進行方向ではなく、テーブルの方に向けられて。高尾は無意識にその視線の先にあるものを…。
「あ、やば」
自分のポケットを探る。なにも、入っていない。
あー…やらかしたなぁ。
合い鍵を、テーブルの上に置きっぱなしにしてきてしまったらしい。
しかも、その合い鍵は、伊月の了承を得て作ったものではなかった。画面の中の伊月は、自らの手の中にある鍵を確認してから、再びテーブルの上に置かれた、もう一つの鍵を見つめる。同じものだとわかったのだろうか、伊月はテーブルから一歩後ずさる。
あー、そっかそっか。合い鍵テーブルの上に置いてきちゃったってことは、俺、家の鍵しめないででてきちゃったのか。
鍵をしめて家を出て行ったのに、帰ってきたらいつのまにか開いている、だなんて、考えられるは不法侵入しかない。最初から警戒していたのも納得がいく。
本当は普通に生活してる伊月さんを最初に堪能して、そのあとカメラの存在に気付いた伊月さんを愛でようと思ってたんだけどなぁ。
しかし、鍵のかけ忘れなんてまぬけなことをしたのは自分だ。すこし残念ではあるが、諦めよう。
そこで、テーブルから後ずさった後、しばらく停止したままであった伊月に、動きが見られた。飛びこむようにソファに座り、そのままその上に乗っていた、人ひとり包み込むことができるほどの毛布をばふんっと被った。そして、カメラ越しでもわかるほどに、その華奢な体を震わせていたのだ。
それを見た瞬間。
「やっべえ…伊月さん超可愛い…」
背筋がゾクゾクとして、伊月とは違う意味で身体中が震えた。快感、というか。
とてつもない支配感に、高尾は満たされていた。
頬が朱色に染め上げられ、口元がだらしなくにやける。恍惚とした表情、とはまさにこのことだろう。
テレビのなかに映る伊月の姿は、小さな鳥籠に閉じ込められた小鳥のようで…。
「あぁ、そういえば伊月さんは鷲、だったっけ」
こんなに可愛い鷲なら大歓迎。鳥籠に閉じ込めて大切に愛で続けたい。その震える身体を、力強く抱きしめたい。伊月の姿を見ていると、そんな欲望があふれ出てきた。
未だガタガタ震える伊月は、毛布の中から右手をのぞかせ、近くのテーブルの上に置いてあるテレビのリモコンをつかんだ。恐怖で静かな部屋に一人いるのが嫌だったのだろう、ボタンが一つおされて、テレビがつけられる。
カメラを通してみてみる限り、バラエティ番組のようで、最近人気な芸人などが笑顔でしゃべっている。
「…やっぱりカメラ、音声つきのほうがよかったかなぁ」
音声つきだったら、伊月さんの様子を生活音つきで見れてさらに楽しかったかも。
そう、のんきなことを考えていると。
伊月の身体中の震えが、途端におさまった。
…どうしたんだ、伊月さん。テレビ見入っちゃったのかな………。
自分でそう考えて、すぐにその考えを打ち消す。
さっきまで、カメラ越しでもわかるほどに震えていたというのに。きっと、怖くて怖くて、でも誰かに助けを求めることもできなくて。伊月さんは優しい人だから、誰かに助けを求めて、その人に迷惑をかけたくなくて。一人、恐怖と戦っていたんじゃなかったのか…?
しかし、今の伊月からは、怯えている様子など一切感じられない。
突然変わった伊月の様子に、さすがに少し戸惑う。バクバクと鳴る心臓の音をききながら伊月の様子を見続けている。と。
高尾と伊月の、目が合った。
伊月からすればカメラのレンズを見ただけなのだが。自分の家のテレビ画面に、伊月の家の様子を映し出している高尾からすれば、目が合ったように感じられた。
そして何より不思議だったのは。
「い…伊月………さん……?」
なぜか、画面の向こうにいる伊月は、恐怖にさらに怯えるという予想と反対に、恐怖の色を欠片も見せず、こちらへと近づいてきた。
顔がアップになり、その口が動く。
『た、か、お』
口の形でそう示した後、尋ねるように軽く首が傾げられる。
え……なんで………ばれて………。
驚きに目を見開いていると。
「………っ?!」
思わず右手で自らの口を覆う。そうしていないと、口から心臓が飛びでそうだった。顔が熱くなってくる。
なぜなら。
画面の向こうにいる伊月が、ふにゃり、と安心しきったような笑みを浮かべたからである。
もう、伊月は確信しているのだ。この犯人は高尾だ、と。だからこそ、こんな笑みを、こちらに向けてくるのだ。
高尾は長いため息をつき、両手で顔を覆う。
…あぁ、もうだめだ。こんなところにいられない。今すぐにでも伊月さんに会いたい。伊月さんをこの腕で抱きしめたい。
顔をあげ、自分の両頬を、手でパシンとはたく。
「伊月さん……待っててくださいね…!」
高尾は、家を飛び出した。