貴方の後ろにいたいのです!




「伊月ー?」
「ん、いるよー」

 振り返って視線を寄越す日向を追いかけて、俺はにこりと笑ってみせた。
 一歩進めば、右からも左からもぐいぐいと押されて、まともに歩くことさえままならないほどの人混み。そんな中を俺と日向は少しずつ前へと進んでいった。
 今日は日曜日。部活もオフで天気もよくて、絶好のデート日和。先日、日向の方からデートに誘ってきてくれて、俺は迷わず首を縦に振った。ちなみに俺達の言うデートっていうのは、特別に何かするわけでもなく、ただ一緒にお店を見てまわったり、食事したりするくらい。……いや、でも普通デートってこんなもんなのかな。男と女でやってればデートに見えることも、俺達男二人がやればただ友達同士でお出掛けしてるだけのように見えるんだろうな……。まぁ、端からどう見られていようと、実際俺と日向は超ラブラブなわけだけど。

「……伊月」
「大丈夫だよ、日向」

 この人混みのせいか、少し進む度に俺のことを振り返って声を掛けてくれる日向。表情は仏頂面を保っているけれど、その目は、伊月が後ろにいなかったらどうしよう、とでも言うように不安そうに揺れている。それが可愛くて仕方ない。思わず小さく笑うと怪訝な顔をされた。何でもないよ、と微笑みかけて前を見て歩くように促すと、日向は渋々といった様子で再び前を向き、進み始めた。
 ここまでの人混みだと肩が多少ぶつかったくらいじゃ謝罪の言葉を交わすことはない。もし、皆律儀に謝罪なんてしていたら本当にきりがない。
 そういえば、前も日向とデートした時、こんな人混みを歩くことがあったかも。
 その時も人をかき分けて進む日向の背中を見ながら歩いていたら、日向に「後ろだといるかいないか心配になるから隣歩けよ」と言われた。でも、俺はそれに対して一言。

 「嫌だ」と。

 そしたら日向、あからさまにショボーンとしちゃって。「そっか」って口では気にしてない風に言ってたけど、日向さん、顔に全部出てましたよ?日向が不器用で可愛くて、今日も日本は平和だなって思った。
 勿論、俺と並んで歩きたいからそんなことを言ってきたんだってわかってる。俺だって出来るものならそうしたい。でも、どうしてもそうできない理由がある。それは。





 俺は日向の匂いが好きだからだ。





 ……なんだかこれだけ言うと、だから何って感じがする、というか、俺がただの変態みたい、というか。いや、決して変態とか怪しい者な訳ではなく、至極普通な恋する男子高校生だ。……その恋をした対象が男の時点で普通じゃないのでは、とかそういう質問は受け付けない。

 俺が日向の匂いを特別好きだと思い始めたのは、確か俺と日向が高校一年生の時。日向のことをそういう意味で好きだと自覚して少しした頃だったかな。そんな時、偶然席替えをしようとか担任が言いだして、偶然一番窓側の席になって。さらに偶然、俺の前には日向が座ることになって。日向に「席近くなれてよかった、よろしくな」って言われた時、まだ自分の想いを本人に伝えられていなかった俺が必死ににやけ顔を隠していたなんて、きっと誰も知らなかっただろう。こんな偶然普通あるのかって神様に感謝した。いや、勿論今でも感謝している。神様ありがとう。
 席替えしてすぐの頃は、ただ日向の近くにいつも居られることが純粋に嬉しくて、授業中も日向の背中を見て幸福を感じていた。でも、ある日の授業中、俺はふと良い匂いがすることに気が付いたのだ。換気のために開けられた窓から入ってくる風にのって、良い匂いが俺の鼻腔を擽った。服の洗剤の香りか、シャンプーの香りか……その両方なのか、はたまた全く違うものなのか。一度気になるとその正体がわかるまでずっと気になってしまう。そう思って正体を探ろうとしたのだが……それは意外にもすぐ判明した。目の前にいる日向から、間違いなくその香りがしてきていた。今まで全然気にならなかったのに何で突然、と思ったけれど、たぶん、それは俺が日向に特別な感情を抱いているからだろう。
 日向の家の洗剤の香りと、日向の家のシャンプーの香り、そして、日向自身の香り。
 それらが全部ふんわりと混ざっているのがたまらなく好きで、その匂いを感じるとたまらなく愛しいと感じる。
 ……あれから日向の匂いを無意識に追うようになってしまった自分は本当にどうかしているような気がする。これが噂の恋の病って奴か………ハッ、病を治すには山芋が良い、キタコレ!


「……今思いついたダジャレ口に出したら殴る」
「ごめんってば」


 たまたまダジャレを思いついたら、その瞬間に日向がこっちを振り返ってきた。なんていうナイスタイミング、ナイスじゃないっすか、キタコレ。すぐにでも先程思いついたダジャレを日向に伝えなくては、と口を開いたのだけれど、すかさず日向に静かに制されてしまった。忘れる前にメモしたいけど、この人混みだとネタ帳取り出せないし……だから日向にも覚えておいてもらおうと思ったのに。
 不満を隠さず唇を尖らせるが、日向は面倒そうに溜息をついてまた前を向いて歩き出してしまった。俺は日向の踏んだところを同じように踏みながらその背中を追いかける。日向の匂いを感じながら。

 俺が日向の隣を歩かないのは、隣だと日向との距離が近すぎるからだ。……つまり、日向の香りを必要以上に感じてしまうということ。これは俺にとって大問題だ。
 大好きな人の匂いでいっぱいになると頭がぼーっとするというか、ふわふわするというか。とにかく正常ではいられなくなってしまう。
 だから、俺は日向の後ろを歩くのだ。後ろなら日向との距離を自分で調節できるから、心地よい程度に日向の匂いを感じることができる。我ながらいい考えだと思う。
 まぁ俺と隣を歩きたがってる日向には少し申し訳ないけどね……。
 でも、日向の隣なんて歩いたら俺がどうなるかわかったもんじゃない。だいたい日向が良い匂いを放っているのがいけないんだ。俺は悪くない。
 前を歩くその背中に向けて、べーっと舌を出してやろうとした。その時。

「あ……」

 日向のポケットからハンカチが落ちた。どうやら本人はそのことに気付いていないらしい。
 俺が後ろにいなかったら、誰にも気づかれずに踏まれてボロボロになるところだったぞ、全く。感謝してほしいな。
 冗談交じりにそんなことを考えつつ、地面に落下したハンカチを拾う。

「日向、ハンカチ落とし………って、あれ」

 ほんの一瞬、日向から視線を外しただけだった。本当に一瞬。それなのに、すぐ目の前にあったはずの日向の背中が見えなくなって、日向の匂いも感じなくなってしまった。
 ………どうしよう。
 この人混みの中、日向一人を見つけ出すのは難しい。人が多すぎて一歩踏み出すのさえ困難な状況。
 日向、心配してるだろうな……。
 何度も後ろを振り返って俺がいることを確認していた日向のことだ。きっと既に俺の姿がないことに気が付いているだろう。早く日向を見つけ出さなくちゃ……。
 そうは思うも今の自分には何をすることも出来ない。お得意の鷲の目だって、こんな人混みの中で使ったらあまりの情報の多さに処理が追いつかなくなってしまうのは目に見えている。
 少しでも日向の匂いがすれば、なんて一瞬考えたけれど、それで日向を見つけることが出来たら俺は立派な警察犬になれるかもしれない。……って言っても、見つけられるのは日向限定になっちゃうだろうだけど。
 無理だとわかっていながら、それでも日向の匂いを探そうと嗅覚を働かせる俺はバカなんだろうな、きっと。でも、俺がこんなバカになるのだって日向限定なんだからな?
 そう思って、すん、と鼻を鳴らした時。

「ひゅう……が……?」

 微かに知っている、大好きなあの匂いが俺の鼻腔を擽ったような気がした。
 いや、でも、そんなまさか。これでガチだったら、俺、ちょっと、いや、相当気持ち悪い奴だよ?日向への愛が募りすぎて、かなり気持ち悪い奴ってことになっちゃうよ俺?
 きっと気のせいだよな、うん、なんて自分に言い聞かせていたら、俺の目の前に手がにゅ、と伸びてきた。え、と思っている間に俺の手首が掴まれ、そのまま引っ張られる。
 これって、まさか、いや、まさか。
 一つの可能性が頭に浮かびあがるが、もはやそれ以外考えられない。俺の鼻がそう言っている。
 引っ張られるままに人混みをかき分けて進んでいけば、少し広いスペースに出た。ようやく落ち着いて俺の手を引いてきた人物の顔を見る。

「突然いなくなったからびびった……大丈夫か、伊月?」
「え、あ……う、ん……」

 心配そうに俺の顔を覗きこんでくる日向。あまりの近さに俺の心臓がドキリと跳ねる。思わず目を逸らしてなんだか曖昧な返事をしてしまった。やばい、これじゃあさらに日向に心配かけることになっちゃうじゃないか。

「……おい、本当に大丈夫なのか……?……あっまさかあの人混みで鷲の目とか使って具合悪くなったのか?!」
「えっいや、そ、そうじゃないけど……」

 そのことはさすがに自分でもちゃんとわかってるから本当に大丈夫なんだけど、何が駄目って、あの、日向さん、近いです。

「だったら本当に大丈夫だってちゃんと俺の目見て言えっての。言えんのか?言えねえよな?なら無理すんじゃねえよ」
「いや、無理とかじゃなくて、だから、」
「……あぁーもう言い訳とかいらないから、とりあえず黙っとけ」

 そんな日向の声が聞こえてきたと思ったら。掴まれたままだった手首がぐい、と引かれた。呆気にとられている間に俺は日向の腕の中に抱き込まれてしまっていて。

「ひゅ、日向っ?!」

 焦って離れようとするも、日向の手が俺の腰をがっちりとホールドして逃がさない。ああもう、なんでこんな時だけ男前なんだよ……!!
 日向が俺を抱きしめる力を強くする。それと同時に、日向の匂いがさらに強くなったような気がした。体中が日向の匂いで満たされていく感覚に、頬にぶわっと熱が集まる。頭がくらくらする。日向の匂いでいっぱいになる。頭の中が日向でいっぱいになる。

「……で?本当はどうなんだよ」
「ほ、本当は………」


 日向の匂いを感じすぎました。


 なんて素直に言えるわけがない、言ったら死ぬ。恥ずかしくて死ぬ。
 ……ここは、日向が勘違いしてくれているように、「鷲の目を使ったから人に酔っちゃった」ってことにしておくのが無難だよな。たぶんそう言うのが一番自然だよな、うん、そうだよな。そう、俺は人に酔っちゃったんだよ、人に……日向の匂いのせいなんかじゃなくて。

「……何だよ、喋れねえほどつらいのか?」

 日向の気遣わしげな声が聞こえてくる。早く返事しなきゃ。日向に余計な心配かけちゃう。
 俺はそう思って息を一つゆっくりと吐くと「大丈夫だよ」と言った。








「日向の匂いに酔っちゃっただけだから」











 ………あれ、俺、今、なんて言った?





[memo]
日向誕2014

[BACK]

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -