でもそんなある日。
檻の鍵が、あいていた。
「朝ごはん食べたあと、急いでたもんな……」
どうやら閉め忘れのようだ。
伊月が朝食を食べ終わるや否や、慌てて家を飛び出していった日向の様子が思い出される。確か今日は早めに出かけなきゃいけないとか言ってた気が…。
…まあこんなこと滅多にないし。
さすがにちょくちょく檻の外に出してもらえているとはいえ、1日のほとんどを狭いところで過ごすのは少し窮屈だった。
たまには身体ゆっくり伸ばさないと。
伊月はなんの迷いもなく檻から飛び出す。
「そういや、日向の新しい家、見たことないところ多いや」
いつもいるリビングや、お風呂、トイレは知っているが、それ以外の部屋は入ったことがない。
「よーし、日向の家を探検するぞー!」
おー!なんて一人で手を上に掲げて、ちょっとはしゃぎすぎかな、と照れ笑いがこぼれる。でも、胸の高鳴りは抑えきれなかった。
「失礼しまーっす」
元気に挨拶して、今まで一度も入ったことのない部屋のドアノブに手をかける。それをまわし、ドアを押しあけると。
「あー…なんかもう予想通り…?」
そこには、戦国武将のフィギュアがぎっしり。部屋の中心で歩みを止め、あたりを見回すが、フィギュア、フィギュア、フィギュア。棚に一定の間隔をあけて並べられた武将のフィギュアに囲まれるのは、ぶっちゃけ少し怖い。
「日向はこれに囲まれて生活するのが楽しいんだろうなぁ」
思わず苦笑が漏れる。
…日向が帰ってくる前に檻の中に戻っておいた方がいいかな。
そう思って踵を返す。と、視界の端に。
「日向、勉強机もこの部屋に置いてあるのか」
こんなにたくさんのフィギュアに囲まれて勉強なんて、集中できそうにない。
でもまぁ、日向からすればどれも好きなものだし…好きなものに囲まれての勉強なら捗るもの…なのだろうか。
「っていうか、机の上にもフィギュア乗ってるし」
しかし、机の上に乗っているフィギュアは棚に並べられているものとは少し違っていて。
透明な箱に包まれて、そこに佇んでいた。
日向の一番のお気に入り…とか…?
とにかく、そのフィギュアだけ特別扱いを受けていることはよくわかった。
大切なものを宝箱に入れてる感覚なのかなぁ。
そんなことに集中していたから、周りのことなんてまるで気にしていなかった。
「あれ、伊月なんでここにいんの?」
聴きなれた声に肩がビクリと震えた。日向が帰ってきたことに、気づかなかったらしい。勝手に檻から出てしまったことを、怒られてしまうのだろうか。そう考えると、冷や汗が噴き出る。
「ご、ごめんなさい…鍵があきっぱなしだったから……」
震える声で言い、日向の様子を上目で伺う。
が、意外にもその表情はケロリとしていて。
「あー、そういや忘れてたな、鍵閉めんの」
そう言って頭の後ろを掻くだけだった。
俺が檻から出ても構わないってことか…?
日向の反応に、心のどこかで、落胆している自分がいることに気付いた。
…あぁ、そうか。俺は期待していたのか。檻を出ることによって、日向が怒り狂って、再び檻へ押し込むことを。もっともっと、俺を、束縛することを。
下唇をぐっと噛み、くだらない期待をしていた自分へ、小さな小さな制裁を与える。
「ちょ、お前何やってんの、血出るだろ?!」
伊月のやっていることにすぐ気づいた日向は、血相を変えて、咄嗟に伊月の口の中に指を突っ込んできた。
突然のことに伊月も大きく目を見開く。
日向の指を噛むわけにもいかず、力を抜く。自然と、日向の指を咥えるだけの状態となった。
あ……そういえば久しぶりだ……日向に触れるの。
そう思ったのも束の間。日向は無意識にその行動をしていたのだろう、突然ハッとして、伊月の口から指を引き抜いてしまった。日向の温もりは、すぐに口の中から消え去ってしまった。
「……伊月、自分を傷つけるようなことは、するなよ」
気まずそうに目を逸らされる。
なぜだろう。なぜ日向はこんなにつらそうな顔をしているんだろう。
俺が自分を傷つけようとしたから?日向の指にちょっと歯が当たっちゃったから?それとも。
俺に触れてしまったから…?
絶対そうだ、とどこかで強く肯定している自分がいる。本当は否定したいのに。違う、そうじゃないって、叫んでやりたいのに。
しばらく日向に触れられていないという揺るぎない事実が、それを肯定させている。
あぁ、寂しい。すごく寂しい。俺はもっともっと日向に触れたいのに。日向はきっと俺に触れることが嫌なんだ。
声は出ない。静かに涙が流れる。
つらい、つらいよ、ねえ、日向…。
「え、な、なんで泣いてんだよ伊月…?」
そう言って俺の涙を拭おうとしたのか、頬に近づいてきた日向の手は。俺の頬には触れることなく、離れていった。
…ほら、やっぱり、触れてこない。
静かに首をふり、なんでもないよ、大丈夫だよ、という旨を伝えようとする。
その時。
「………伊月、もう自分の家に帰っていいよ」
突然言われた言葉に、涙が止まる。
それは。つまり、もう俺は。
「いらないって…ことなのか…?」
気付いたら声にでていた。その言葉は耳を通って、再び自分のなかに入ってくる。
いらない…?もういらないの?俺。日向はもう俺を、必要としてないの…?
腹の奥の方からふつふつと沸き上ってくるものは怒りなのか、悔しさなのか、つらさなのか。わからない。
しかし、伊月の言葉をきいた日向は面食らったように目を大きく見開いていた。
「……お前…本気で…そう、思ってんのか……?」
ぼんやりと呟かれた日向の言葉に、小さく頷いた。
それとほぼ同時だった。
「………っ…?!」
両の手首を掴まれたと思ったら、背中に衝撃が走った。日向の背景が、真っ白な天井になった。
床に、押し倒された…?
混乱した頭で、なんとか現状を理解しようとする。
あと、目の前に顔を歪める日向がいる、ということだけが、今の頭で理解できる限界。
「そうじゃ…っねえんだよ……!!!!」
「え……?」
苦しそうに話し出す日向に呆けた声が出てしまう。いったい何が違うというのだろうか。俺の中ではすべて、一つにつながった。なんで日向が触れてこないのか、なんで日向がつらい顔をしてるのか、全部。全部わかった。それは俺のせいなんじゃないの?なにが違うっていうの?
もちろん声に出すことはできなかった。声に出せないほど、尋常じゃない圧を感じた。
「俺は…後悔してんだよ…ほぼ衝動で、伊月にこんなことしちまったことを……」
静かに、そう告げられる。
「大切なものはそばに置いておきたい、いつも見ていたいって…そんな思いが、こんなことをするまでになっちまって………」
そう言われて、先ほど見た、透明な箱に身を包んだフィギュアを思い出す。あぁ、俺もきっとあんな感じに…。
「違う…!!そうじゃない…!!」
「……っ」
まるで自分の心の中をすべて読まれているかのように、否定される。
「伊月に触れたら、気づいちまうんだよ…。伊月は俺がコレクションのように、一箇所に留めておいていいものじゃないって。伊月は…触れると温かいんだ。今まで触れてきたから知ってる。伊月は本当に温かい。血の通ってないものと同じ扱いで…大事に大事にしまっておくなんてできっこねえんだよ…!!」
伊月の手首を掴む力が強まる。
「だから…触れたら、取り返しのつかないことをした自分と向き合わなくちゃいけなくて…でもそれと向き合うことが怖くて、ずっと目を逸らし続けてたんだ…」
そう言われて、納得した。なぜ日向が自分に触れてこなかったのか、本当の理由がわかった。
衝動でとはいえ、日向はここまでして俺を手に入れたかったのか…?大事に大事に、したかったのか…?
これを…愛されていると思うのは…自惚れじゃないよな…?
「半端な覚悟で、こんなことなんてするもんじゃねえな…」
自嘲じみた笑いとともにそう言葉を吐く。そして、申し訳なさそうに、顔を歪めた。
「ごめん、伊月。謝って許されることじゃないと思うけど…本当にごめん」
こちらの返答を待つかのようにぎゅっと強く瞑られた目。
……言えないな、束縛生活が楽しかった、だなんて。
クスりと笑って、伊月は自らの唇を、瞑った目のすぐ横に触れさせた。
「…ありがとう、日向」
お前のせいで気づいたこの性癖は、正式に同棲することが決まったら明かそう。
――――――――……これからが楽しみだな、日向。
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