今日はずっと俺のことだけを


「あ、れ……。森山、さん……?」


 ころり、と寝返りをうち、いつものように隣に寝転がる大好きな人の姿を目覚めて一番に見ようとした。しかし、目を開けば、俺の隣はぽっかりと空いていて、広いベッドに俺一人だけが取り残されていることに気が付いた。
 森山さんが俺より早く起きるなんて……珍しい。
 欠伸を噛み殺し、ベッドに寝転がったまま、その広さを利用して目一杯に伸びをする。とは言っても、ダブルベッドだから俺が大の字になって寝転がろうがスペースはそれなりに余る訳だけど。
 いつもなら俺の方が早く目覚めるから、無防備に寝ている森山さんの様子をじっくり見た後に、その肩を揺らして時間を知らせてあげるのだが。今日は何故か珍しく森山さんの方が早く起きたようだ。
 今日は森山さん、何も予定入ってないはずなんだけどな……。
 起き上がり、サイドテーブルに置いてある自分のスケジュール帳を開く。

「んー……やっぱり今日は講義もバイトも入ってない……」

 俺と森山さんは、俺が大学に上がったと同時に同居を始めた。
 付き合い始めたのは俺が高校二年生で森山さんが三年生の時。当時俺は、向こうは受験生だし勉強の邪魔をしたら悪いかな、と思って自分の気持ちを抑え、恋人関係になってもメールや電話、会うことも必要最低限にしようとしていた。でも、森山さん的にはその方がアウトだったらしい。森山さん曰く、「伊月と何かしらの形でコミュニケーションをとらないと伊月のことが気になって勉強に集中できない!」……って、これは受験生としてどうなのかと真面目に思ったけど、まぁ俺も森山さんにはやっぱり甘くて。これがきっかけで、お互いのスケジュールを月初めに一ヶ月分教え合い、そして二人とも空いている日があればその都度会うようになったのだ。もちろん会ってすることと言えば、森山さんの受験勉強の邪魔をしないように隣で静かに本を読んだり、たまに森山さんの横顔を密かに見つめたりするくらいだったけど。
 さすがに俺が受験生の時はそこまでの頻度で会ったりはしなかったけれど、もはや習慣になってしまっていたのか、お互いのスケジュールを月初めに教え合う、ということは欠かさずやっていた。そしてそれは今も変わらず。

「特にどこかに出かけるとも言ってなかったと思うんだけどな……」

 二人分の予定が書き綴られたスケジュール帳をぱたり、と閉じ、パジャマから軽装へと着替える。
 まぁ今俺が考えても答えは出ないし、本人に訊いてみるか。
 寝室にまで微かに香ってくる芳しいコーヒーの匂い。森山さんが淹れたばかり、というところか。今頃飲んでいるころだろう。
 まだ少し重い瞼を持ち上げて寝室を出るとコーヒーの香りが一層強くなる。その香りのする方へと誘われるように向かうと、リビングへと辿り着いた。

「おはようございます、森山さん」
「あ、伊月おはよー」

 予想通り森山さんはソファに腰をかけてコーヒーを飲んでいた。そして俺に気付くと目を細めて優しげに微笑む。今日一日の最初にそんな顔を見せられるだなんて。俺の心臓がもたない。
 森山さんのせいで熱が集まりそうになる頬から意識を逸らしつつ、先程気になったことの答えを求める。

「……今日森山さん起きるの早いですね」
「んー?なんか目が覚めちゃってさ」

 もう少し寝ててもよかったんだけどねー、と笑いながら森山さんは視線をテレビへと戻し、リモコンに手を伸ばした。俺が寝ているのを気遣ってか、かなりボリュームを小さくして見ていたらしい。さりげなくボリュームを通常通りに操作する森山さんにまたきゅんときてしまった。

「……ん、何?起きたら俺が隣にいなかったから寂しかったの?」
「なっ……そんなんじゃないですよ!!」

 ……ちょっと図星だったから尚更恥ずかしい。楽しそうに「そっかあ」なんて言う森山さんが探るような視線をこちらに向けてきて、更に羞恥が高まる。あぁもう、なんで森山さんはこんなに意地悪なんだ……!!
 森山さんの視線から逃げるように台所の方へと向かおうとすると、ソファーの横を通るときに服の裾をくい、と引っ張られた。

「……今度はなんですか」

 また何か言われるのでは、とあからさまに警戒したような目で森山さんを見る。森山さんはそんな俺を見て、「可愛い」なんて零すのだからどうしようもない。小さく溜め息をつく。

「確か、今日って伊月バイト入ってたよね?朝ご飯は家で食べていくの?」

 俺のバイト先は喫茶店。このくらいの時間からバイトの時は、店長さんが何かしら食べ物を用意してくれていることが多い。確か、新商品ができたから次来たときに試食してねーと前回言われた気がする。

「あー、まあ朝ご飯っていうか、時間的にブランチですけど。一応バイト先のほうで軽く済ませてしまおうかと。あっでも森山さんの分のご飯は用意してからバイトに行くので!」

 安心してください、と伝えて再び台所へと足を進めると、後ろから制止の声が掛かった。

「ご飯、用意しなくて大丈夫だから」
「そ……そう、ですか。えと、どっか外で食べてくる感じですか?」

 もしかして、誰かとお昼を食べる約束でもしているのか。俺の知らないうちにいつの間にそんな予定が立っていたのかと考えると少し胸がずきりと痛む。寂しい、という気持ちがじわりと広がる。でも、森山さんにだって、森山さんの交友関係がある訳だし……俺がいちいち嫉妬なんてしていられない。……まあ、ちょっと気になりはする、けど……。

「外……んー、まあそうかな」
「……わかりました、楽しんできてくださいね」

 少し曖昧な返答だったが、それも気にしていられず俺は笑顔を顔に張り付けてそう告げた。
 バイトまでまだちょっと時間あるし……早めに家出て適当に外歩いてようかな。
 森山さんに背を向け、外出用の服に着替えようと部屋に戻ろうとした。のだが。

「え、あ、うわっ」

 後ろから手首をがしりと掴まれたかと思ったら、そのまま強引に引っ張られた。突然のことに引っ張られる力に抗うことも出来ずに後ろへと倒れ込む。ぼふん、と柔らかい感触が背中を包み込み、受け止めてくれた。どうやらソファーの上、らしい。

「もり、やまさん……?」
「なーに、伊月」

 のんびりとした口調の森山さんは、いつの間にかソファーの横に立っていて俺を楽しそうに見下ろしていた。
 ……森山さん、いつもとちょっと違うような……なんかあったのかな……。
 どこが違うかはっきりと指摘は出来ないが。なんとなくいつもより俺に無駄に絡んでくる、というか。
 何が違うのだろう、と森山さんの顔を見つめながら考え込んでいると、その顔がだんだんとアップに………って。


「ちょっ森山さん……!!」


 気付けば、寝転がる俺の上に森山さんが覆い被さっていた。顔が近い。森山さんの綺麗な顔が間近にあって、心臓が煩く鳴っている。お互いの吐息さえよく聞こえてくるこの距離。顔に熱がぶわっと集まる。焦りだす俺に森山さんは笑みを浮かべて、じっと俺のことを見つめてきた。


「森山さん……あの、近いです、だから、」



 離れてください。



 しかし、その言葉は音にならなかった。




「んっ……!」



 唇に柔らかな感触。しっとりとしたそれが俺のものに押し付けられた。それも一瞬だけかと思いきやなかなか離れてくれなくて、羞恥に頬が熱くなる。髪を優しく撫でられると、少しだけ気持ちが落ち着くような気がした。が、続いてその手がするり、と耳の後ろに触れた瞬間、身体がびくりと震え、反射的に森山さんの胸を押し返した。

「こ……こんな時間からなんなんですか……!!」

 きっと今の俺の顔は真っ赤になっているだろう。森山さんが意地悪な笑みと共に舐めるような視線を向けてくる。口元の笑みが更に深くなった時、森山さんが「だってさ、」と囁くように言った。

「おはようのキス、まだしてなかったから」
「はあ……?!」

 何を言っているんだこの人は……!!

「おはようの……き、キス………とか!!今までやったことなかったじゃないですか!!!いつもやってるみたいな言い方やめてください!!!」
「あれ、やったことなかったっけ?」
「当たり前じゃないですか!!」

 きっ、と睨みつけるようにして言えば、「ごめんごめん」と謝罪の言葉が返ってきたが反省の色は全く見られない。なんで俺は起きたばっかりなのにこんなにドキドキさせられなきゃいけないんだ……!!

「じゃあ、今日から毎日する?」
「お断りです!」

 「残念だなあ」と呟く森山さんの顔には言葉とは裏腹に悪戯っ子のような笑みが浮かんでいたから、俺はふい、とそっぽを向いた。森山さんはそんな俺にもう一度謝って頭を軽く撫でると、やっと俺の上から退いてくれた。緊張やら羞恥やらから解放されて、ほっと静かに息をつく。

「……伊月がバイトから帰ってきたら、今の続きしようね」
「しませんから!!」

 ……しないって言っても、帰ってきたら森山さんに良いように流されてしまうのは目に見えているけど。
 心の中で苦笑しながらソファーから起き上がり、時計を確認する。そろそろ準備を始めたほうがいい。
 俺は森山さんの横を通りぬけて部屋へと向かった。もちろんすれ違いざまに「出来るだけ早く帰ってきますから」と小声で伝えるのを忘れずに。逃げるように部屋に入ると背後から何か倒れる音が聞こえた気がしたが……聞こえなかったことにしておいた。





 着替えを済ませて、バイトに必要なものを用意する。財布も持ったしこれで大丈夫。
 俺が部屋を出て玄関へと向かうと、後ろから声を掛けられた。

「伊月、もう出かけるの?」
「はい、ちょっと早いですけど。少しだけ本屋にでも寄ってから行こうかと思って」
「ふーん、そっか」

 何足かある靴のうちから一足を適当に選び出し、それを履く。すると、森山さんが俺の横まで来た。わざわざ玄関まできて見送りしてくれるのかな、なんて思いながら左右を履き終えると、その横に新たに靴が置かれたのが見えた。森山さんの靴だ。

「あれ、森山さんももう出かけるんですか?」

 誰かとご飯を食べに行く約束してるみたいだったし……もう出かける時間なのかな。
 また寂しい気持ちになりそうになったが、それをずっと気にしていたらバイトで変な失敗をしてしまうだろう。こんな感情忘れてしまわなければ、と心の中で頭を振り、森山さんからの返事を待つ。
 しかし、俺の質問に森山さんは答えず無言で靴を履いていた。少しして履き終わると、ゆっくりとこちらに視線が向けられる。



「これから伊月のバイト先に行こうかと思って」
「え……は、え……?!」



 思わぬ返答に目を見開き、口を意味もなく開閉させる。え、何で、何のために……?
 しかし、俺がわざわざ口に出して聞かずとも、森山さんの方が答えてくれた。

「だって、せっかく俺一日暇なのに伊月は一日バイトでしょ?俺一人で家に居てもつまんないし。伊月のバイトが終わるまで伊月見ながら待ってようかと思って」

 ちょっと拗ねたような口ぶりの森山さん。俺は唖然とするしかない。

 ……森山さん、もしかして寂しがり屋……?

 だから今日はやけに俺に絡んでくるのか、と納得する。そして、そう考えると森山さんが可愛く思えてきて思わず笑みが溢れてしまいそうになる。もちろんここで笑ったら森山さんにあとで何されるかわかったもんじゃないから必死に堪える。
 でも、俺がバイトを入れなければ、今日は俺も森山さんも一日暇な日、となるはずだったのだ。それならば、二人でどこかに出かけられたかもしれないのに……バイトを入れてしまったことを少し後悔する。

「すみません、今日バイト入れてしまって……」
「いや、謝らなくていいよ。……その代わり、ずーっと伊月のこと見てるから。隅々まで、ね」
「ちょっ、変な言い方やめてください!」

 ……やっぱり森山さんは森山さんだった。今日はバイトで失敗なんて絶対にできないな……。
 失敗して変に心配されたり、からかわれたりしたくないし、いつも以上に集中する必要がありそうだ。

「……森山さんがどれだけ俺のことを見ていても、俺はちゃんと仕事の方に集中しますからね?」
「えー、それはちょっと寂しいなぁ」

 寂しい、と言われましても。仕事は仕事。個人的に森山さんにばかり構っていられる訳がない。そもそも、バイト先である喫茶店で森山さんは常連客として有名である。そんな常連さんと俺が付き合っている、だなんてまだ誰も知らないし、知られるわけにはいかない。

「森山さんも、あんまり俺ばっかり見てたら変に思われますから程ほどにしてくださいね」

 これで話は終わり、というように、俺はドアを開けようとドアノブに手をかけた。その時。
 後ろから手が伸びてきて、俺の顔の横を通り過ぎてドアに置かれた。何事かと振り返れば、森山さんの顔がすぐ近くにあって。俺は思わず息を呑む。

「……森山さん、そろそろ出ないとバイト遅刻しちゃいます」
「嘘。本屋行く余裕あるんだから時間なんて大丈夫でしょ」

 あっさりとばれてしまった。……っていうか、さっき自分で本屋行くって言ってたじゃん、俺のバカ……。
 でも、この所謂壁ドン状態から早く抜け出さなくては本当に遅刻してしまう気がする。一回そういうことを始めたらなかなかやめてくれない、というのも経験上わかっている。さっきソファーの上では軽いキスだけだったけれど……あれだけで済んだのはもはや奇跡だ。
 森山さんの中で変なスイッチが入ってしまう前に逃げなくちゃ。そう考えていると急に森山さんの顔がぐい、と近づいてきた。鼻と鼻がぶつかって、一気に体温が上昇する。



「目、閉じて」



 低い声で囁くように言われて思わず言う通りにしてしまう。甘さを含んだ声に身体が震える。もうバイトのことなんて頭の隅の方へと追いやられてしまった。森山さんを愛おしいと思う気持ちが込み上げてきて、ただひたすらに森山さんを求めるように固く目を瞑る。

 早く、森山さんが欲しい。

 森山さんと早く触れあいたくてもどかしい気持ちもあったが、俺は森山さんの行動をただ待ち続けた。すると。
 唇に、ふ、と息がかかったのを感じた。続いて、体温が離れていく感覚。
 え……もりやま、さん………?
 一体何が起きたのか。そっと目を開いてみれば、そこにはしたり顔の森山さんがいて。




「これで、俺のことが気になって、バイト集中できなくなったでしょ」




 ―――……バイト中、ちゃんと俺にも構ってね。





 そう言うと、森山さんは俺の横をすり抜けて先に外へと行ってしまった。
 その場に一人残されてしまった俺は。







「あー……もう、おあずけとか………森山さんのバカ……」







 恥ずかしさに顔を真っ赤にすることしかできなかった。





[memo]
 森月の日2014

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