新たな扉を開いてしまった腐男子伊月君
「でもさ、二人きりになったらさ?こう、理性が、ね?」
「ね、じゃねえよ。とにかくどうすりゃいいんだよこの後」
「えー宮地だって絶対二人きりになったらすごい勢いで襲うと思うよ?」
「だーっ!人の話きけ!!!」
目の前で繰り広げられる喧嘩、とまではいかないだろうが、この言い合いの内容は伊月にとっては全くと言っていいほど意味のわからないものだった。わかることとしたら、話が噛み合わず、宮地が苛立っている、ということのみ。
なんとか自分で状況を整理してみようと、先程の二人の会話から気になったワードを拾い、心の中で復唱してみる。まあ、二人の会話と言っても、気になるワードを言ったのは全て森山であったが。
二人きり、理性……襲う……。
並べてみると如何にも危ない感じがするが。これらから導き出せることというと。
森山さんと宮地さんが部屋に二人きりになったら、森山さんが理性を保てなくて宮地さんのことを襲ってしまう可能性があるっていう話……?そして、それは宮地さんも同じで……?ってつまり、二人きりにしたら、森宮と宮森のどちらか、もしくは両方が自然と繰り広げられるってことだよね……?!
未だに言い合いを続ける二人の姿を交互に見つめ、ごくり、と喉を鳴らす。
今の会話って、俺の幻聴じゃないよね??妄想と現実の区別がつかなくなったわけじゃないよね…??
確かに二人の姿はまさに『喧嘩ップル』と呼ばれるに相応しい。まさか、二人が演技でもなんでもなく、本当にそういう関係だったとは知らなかったけれど。俺にしてみれば大ニュースであり、グッドニュース……!!
これは、二人の邪魔をするのもよくないし、さりげなく家に帰って……いや、でも二人がイチャイチャしてるのは見たいから部屋の隅にでも……。
そう思い、移動を開始しようとした時、ふとあることに気が付いた。
そういや俺………まだ森山さんに押し倒されたままだ。
森山の意識は完全に宮地の方へと向いていて、恐らく、伊月を組み敷いている、ということは今は頭にないだろう。二人のイチャイチャした空間――傍から見れば喧嘩しているだけだが――を邪魔するのは少し気が引けるが、この場合は仕方ない。伊月は遠慮気味に口を開く。
「あ、あの、森山さん……そろそろ俺の上から退いていただけますか……?」
伊月の声はしっかり森山に届いたようで、その視線はこちらへと向けられる。
あんまり長い間この状態でいると、宮地さんも嫉妬しちゃいそうだし……。
そんなことをこっそりと考えて、心の中でくすりと笑う。そして、そんな間に森山が伊月から離れていって、自由の身になる。 ………筈だった。
「………あのー……森山さん?俺の話、聞いてました?」
「うん、聞いてたよ」
さらっとそう返事をしてのける森山に、思わず、は、と間抜けな声が漏れた。
「え、それなら早く退いてくださいよ今!!すぐに!!早急に!!」
「えーそんな焦る必要なんてないじゃん」
「焦りますよだって恥ずかしいですし!!」
何が恥ずかしいって、この体勢自体もだけど!!何より宮地さんの視線が森山さんと喋っているのにも関わらず、ずっと俺に向けられているのが何とも……!!
果たして、その目が森月を見ることができた歓喜の色を含んでいるのか、それとも森山を伊月にとられたと感じ嫉妬を滲ませているのか。真顔の宮地からその気持ちを読み取ることは不可能であった。
「宮地さんも森山さんに何か言ってやってください!!!」
「……いいぞ、もっとやれ、とか?」
「何でそっち方面に手助けするんですか?!」
いや、何でって言っても宮地さんが森月好きだからだろうけどさ!!
とりあえず、先程までの宮地の視線は、森月を見れてラッキー、というような感じだったと確定した。どうせなら後者であってほしかったと思うのは森宮、宮森好きとして当然のことである。
「……わかりました、どうしても森山さんが退かないと言うのであれば、こちらにだって手があります」
「………どんな手なのかな」
何がきても大丈夫だと言わんばかりに余裕そうな表情を浮かべる森山に、伊月も負けじと笑みを見せた。
「今から俺が森山さんを攻めて………月森をやりましょう」
……暫しの沈黙。
「……ごめん伊月。俺が悪かった。本当ごめんだから月森はやめてくださいお願いします 」
「おいそれ森山だけじゃなくて俺にも被害及ぶじゃねえか月森地雷だからやめろ」
ものすごい勢いで伊月の上から飛び退いた森山と顔を伏せて目を固く瞑る宮地。その動きの素早さから、どれほど月森が苦手なのかは手に取るようにわかる。
二人のことだから俺が攻めになるのは嫌がりそうだと思ってたけど……まさかここまでとは。
再び森山に襲われぬようにと急いで上半身を起き上がらせ、ベッドを背凭れにして座る。二人の怯えた様子を見比べて、伊月は苦笑を漏らした。
しかし、伊月に対し、年上だからなのか余裕たっぷりで接してくる、そんな二人の弱点を手に入れることが出来たのだ。思わぬ収穫である。
これは、森宮と宮森を見せてもらう時のいい脅しに使える……!
この脅しを使えばどんなに際どいものも見せてもらえるのでは!!と目を輝かせ、妄想を始めようとした。が、それもすぐに森山の言葉により中断させられる。
「……伊月があまりにも恐ろしいこと言ってきたから思わず退いちゃったけど……よく考えてみれば、伊月が俺を押し倒せるわけないよね。失敗したなー」
「待ってください森山さん俺だって男なんですからね!!」
「森山さんくらい押し倒せます!!」と主張するが、「ムキになってる伊月可愛いー」とか訳のわからないことを言われた。なんだか遠回しに『伊月に攻めは無理だ』と言われたようで、少し男としてのプライドが傷つく。解せぬ。
「……俺は森宮、宮森、地雷なく美味しくいただけますからね。もう二人とも可愛く喘いでいればいいんですよ」
「伊月、小声のつもりかもしれないけど全部聞こえてるからね?一体なんのお話をしているのかな?」
「え、それは夜の」
「言わせねえよ?言ったら毛布ぐるぐるに巻き付けんぞ??」
「なるほど、そういうプレイを森山さんにやりたいとかそういう」
「もう嫌だこの子怖い」
わざとらしく目頭を押さえて泣くふりをする森山に、宮地がすぐさま「気色悪い」と言った。それが宮地さんなりの愛情表現なんですねわかります。
宮地に素っ気なくあしらわれてしまった森山は、「宮地に振られたー!」と伊月の方に向かってきて、そのまま勢いよく抱き着いてきた。今度は押し倒されないように、と腹筋に力を入れてなんとか耐える。伊月の肩口に顔をぐりぐりと押し付けて泣くふりをする森山の頭を見て、伊月は柔らかい笑みを浮かべた。
こんなことしても宮地さんが嫉妬するだけなのに……いや、まさか森山さんはそれを狙って意図的に……?さすが森山さん、宮地さんのことをよくわかってらっしゃる……!!
後でホモネタを書き留めるノートに『意図的に嫉妬させる森山さん』とメモっておこうと考えながら、肩に乗ったその頭を軽く撫でてやる。少しして、宮地の反応を窺おうとチラリと視線を向けると。
予想通り少し怖い顔をした宮地が、伊月達二人に鋭い視線を注いでいた。
これは楽しい展開が期待できる予感……!!
そう思い、したり顔を宮地に向けようとした伊月だったが、宮地のその視線にふと違和感を覚えた。宮地と目を合わせようとその目を見つめるが、なかなか宮地の視線とぶつからない。というか、宮地の視線は、伊月の目より少し下のあたりに向いていることがわかった。口元……いや、首のあたりだろうか。
「宮地さん……?どうしたんですか?」
思い切って尋ねてみると、やっと宮地の視線が少しあがり、目が合う。しかし宮地は再び視線を少し下げると、短く唸った。ややあって、その口が開かれる。
「いや……伊月、首のとこちょっと赤くなってね……?」
「へ……?」
そう言われても首がどうなっているかなんて自分では見ることができない。
「どのへんですか?」
「んー、このへん」
宮地は自分の首に人差し指を添えてその場所を示す。それを見ながら伊月も自分の首に指を持っていくが、触ってみた感じ違和感はない。
「でも別に痛かったりとかはしないので大丈夫かと……」
「どれどれー?」
先程まで嘘泣きを続けていた森山も、宮地の話を聞くと好奇心に目を輝かせて首を覗き込んできた。たぶんこの辺りなんですけど、と指でその場所を示して、森山の視線を誘導する。森山はその赤くなっているだろう場所を数秒見つめて―――……意味深に「あ」と声を漏らした。
「……なんですか森山さん、今の『あ』って」
「……………」
「ちょっと森山さん?何で無言なんですか??ねえ?!」
明らか心当たりがある、という反応だった。え、なんですか、森山さんは一体何を知ってるんですか、そんなに必死に目を逸らすって何か疚しいことでもあるんですか。
じーっと森山を見つめ続けていると、あちこちに視線を泳がせていた森山もさすがに逃げられないことを悟ったのか、諦めの溜息をついた。続けて、森山の学校の某後輩を彷彿とさせるような爽やかな笑みを浮かべ、親指をグッと立てて。
「さっきの公園での撮影会で森月やったとき、俺がつけちゃったんだ!!」
「は……も、森山さんが……?!」
確かに森山さんに首筋を軽く噛み付かれたような感じがした……けど、まさか本当にあの時……?!
それを思い出すと、かあっと顔が熱くなっていくのを感じた。あの時自分が卑猥な声をあげた等という余分なことまでも思い出してしまい、徐々に体温が上がっていく。
しかも、赤くなったところ晒しながら俺外歩いてたんだよね?宮地さんと森山さんと一緒に……絶対すれ違った人に変な誤解されてそうだよねなにそれ恥ずかしくて死ねる……!
「……おい森山ぁ……。ちょっと菓子買って来いよ」
「え。菓子って今宮地持って来たばっかじゃ」
「これじゃあ少ねえだろ、その辺のコンビニで買ってこい」
「えー……」
「森山?」
「……イッテキマス」
宮地に睨まれ、渋々と財布を持って部屋を出て行く森山の背中を、伊月はただ呆然と見つめる。パタン、と部屋のドアが閉じられる音に伊月は肩を震わせて我に返った。
この状況はなんだ……?何で俺宮地さんと二人きりになってんだ……?!
無理矢理森山を外に追い出し、この二人きりという空間を作り出したのは目の前にいる宮地。先程森山と二人きりになったときに襲われたこともあってか、変に意識してしまい緊張する。まさか宮地さんも俺のことを襲ったり……って、何考えてんだ俺……!!宮地さんがそんなことするわけないよね、宮地さんには森山さんがいるわけだし……!!
変な考えは忘れようと頭を振り、改めて宮地の方へと向き直る。
「あ、あの……!」
「……はぁ」
勇気を振り絞って宮地に声をかければ、何故か盛大な溜息が返ってきた。そのままゆらり、と立ち上がったかと思うと、伊月の隣まで歩いてきた。そして、そこに腰を下ろして、ベッドを背凭れに後ろに寄りかかる。突然距離が近くなり心臓が跳ね上がったが、宮地はというと何をしてくるでもなく、ただ宙をぼーっと見つめているだけだった。
「えっと……」
「大丈夫だったか?」
「え……?」
何か話題を振らなくてはと思っていたら、突然優しい声をかけられた。しかし、何に対しての大丈夫なのかがわからない。首を小さく傾げていると、宮地はそんな伊月を視界に入れて、ふっと笑った。
「首。森山につけられたんだろ?そん時痛くなかったか」
「え、えっと……たぶん、一瞬微かに痛みを感じたくらい、です……」
実際のところ、焦りやら羞恥やらでそこまで詳しくは覚えてなかったのだが。とりあえず、無難にそう答えておいた。……それにしても、あの時の感覚をわざわざ言わせるだなんて恥ずかしすぎるどんな羞恥プレイですか。
「そっか。……あと、さっき森山に襲われてたみたいだったけど、なんかされたか?」
「いえ!!ギリギリのところで宮地さんが来てくれたので……助かりました」
助かった、というのは本音である。
あの時、宮地さんが来てくれなかったら、俺はあのまま森山さんにされるがままになって……新たな扉を開いてしまうところだった気がする。本当に助かった。
伊月が感謝の言葉と共に笑顔を浮かべると、宮地の手が頭にぽん、と乗る。
「もしかして宮地さん、俺のことを心配してくれてたんですか?」
「……そんなんじゃねえよ」
ふい、とそっぽを向く宮地に伊月は笑みを零す。どうやら、宮地が二人きりの空間を作ったのは、伊月の様子が気になったためのようだった。優しい宮地に、次第に先程まであった緊張が解れていくのを感じた。
――…ここで安心してしまったのが、いけなかったのかもしれない。
「……伊月、ちょっと首のとこ見せてくんね?」
「あ、はい、いいですよ」
心配してくれているのだろう、と伊月は襟のところを少し下に引っ張り、首の部分を見えやすいようにした。そして、そのまま宮地の方を向いた、その時。宮地の喉が微かに動いた。
「……失礼するぜ」
「え……?…んあっ!」
首のあたりに宮地の顔が埋められ、ぬるりと生暖かいものがとある一箇所に触れた。恐らく森山につけられた赤い痕のあるところ。完全に安心して油断しきっていたため、高い声が漏れてしまった。急いで口に手を当てるが、今更もう遅い。
「なな、何やってんですか宮地さん……!!」
「……むかつくんだよ。森山ばっかに色々されやがって」
拗ねたようにボソリと呟かれた宮地の言葉。しかし、その口ぶりだと、まるで。
まるで、宮地さんが俺のことを……。
ぶわっと熱が集まり、すぐに頭を振る。
何期待してんだ俺!!宮地さんは森山さんに色々されたいと思ってるはず!!きっと宮地さんは言い間違えてしまっただけなんだ!!本当はそうじゃなくて……!!って……。
期待……って何を……?
「伊月、ちょっとごめんな」
「え、あ、はい……?」
突然宮地から声をかけられ、慌てて返事をする。すると、宮地の手が伊月の背中と膝の下に添えられ、すぐに浮遊感に襲われる。思わず口から「ひっ」と情けない声が出てしまう。
これって所謂……お姫様抱っこなんじゃ……?!
しかし、そんなのもほんの一瞬の出来事で。伊月の身体は、すぐ後ろにあったベッドの上へと優しく下ろされた。
「え……あ……えっ…?」
「森山が計画通りにやんねえなら……俺だってやる必要はねえよな」
独り言のような言葉と共に、宮地は伊月の上へと覆いかぶさった。ベッドの軋む音に驚いて一瞬目を瞑り、ゆっくりと目を開いていく。すると、こちらを見下ろしてくる宮地と目があった。その目はどこかで見たことあるような感じがした。
そうだ、俺を押し倒してきた時の……あの時の森山さんと似ているんだ。
その目で見られると、胸がきゅう、となって、自分の吐く息が熱く湿ったものとなっていく。心臓がうるさく鳴り響いて、羞恥をさらに高めていく。そして、顔を少しずつ近づけてくる宮地を拒否するでもなく。
ただ、期待するように目を瞑ることしかできなくて。
……あぁ、俺、もしかして本当に。
自分が受けになるのも、いけるようになっちゃった………?