まだ気付かない腐男子伊月君
「伊月、このあと時間あるなら濃厚な森宮か宮森やるけど」
あの言葉の後、伊月達三人は公園を後にし、宮地宅へと移動した。なぜ移動したのか宮地に尋ねれば、「え、伊月は公共の場でやっても許されるレベルの絡みだけでいいの?」と逆に訊きかえされた。それも、きょとん、とした顔で。宮地さんは一体俺がどれだけ激しいものをお願いすると思っているのだろう……ありがとうございます。
宮地の部屋は殺風景で男子高校生にしてはかなり大人びた、落ち着いた雰囲気のものだった。部屋の入口でほへーっと中の様子を眺めていたら、後ろから「じろじろ見んな、焼くぞ」と背中に蹴りを入れられたので、大人しく部屋の中に入る。
「そ、それで、濃厚な森宮、宮森というのは……?!」
興奮のあまり、声が上擦ってしまったが、そんなことはどうでもよかった。濃厚な二人の絡みが見れれば、もう何でもいい。
しかし、そう前のめりになる伊月の肩を、宮地がぽん、と叩いた。
「まあそう焦んなって。まだまだ時間はたっぷりあるだろ?」
「そ、そうですよね……もう少しゆっくりしてからでもいいですよね…!!……それに本番は夜からですし……」
後半はつい反射的に呟くように小声で言ったが、ふとあることに気付いた。
そういえばここには腐男子しかいないんだし、自重する必要なんてない、よね……??
改めて同志を見つけることができたという幸福感にじわじわと胸が満たされていき、嬉しさに自然と頬が緩む。
「どっちが受けでも声可愛いし、おいしいと思います!!!」
「そういうのは心の中で言え」
笑顔の宮地が伊月の頭を鷲掴む。そしてそのままぐわんぐわんと回され、脳内がシャッフルされる。ごめんなさいごめんなさいと解放されるために必死になって叫べば、ぱっと頭にかかっていた圧が消え去った。
「うう……視界が……」
「同志とはいえ、一応こっちは先輩なんだからもう少し謙虚な態度見せろってんだ」
そう言って宮地は舌をちろりと覗かせた。もちろん、そんな動き一つさえ伊月からしてみれば最高の萌えポイントであって。
え、宮地さんってこれわかっててやってるのかな?今のって絶対いろんな意味でアウトだよ、俺の心臓が射抜かれてノックアウトだよキタコレ!!じゃなくて……。
宮地の方を見れば、宮地はふん、と腕を組み鼻を鳴らしてそっぽを向いているのがわかる。
191pという決して低いとは言えない、むしろ高い身長なのに、動作一つ一つがまるで小動物のような可愛さというかなんというか…!!これが世にいうギャップ萌えってやつですねわかります…!!!さらに、高圧的な口調なのに根っこは優しいとか、宮地さんって本当どこのホモゲの攻略対象ですかおいしいです。あ、今度ネットで協力者集めて宮地さんをモデルにしたキャラを含むホモゲとか作るのもいいかもしれない。もちろんCVはご本人に…!!
「っていうことで、今度宮地さんにいろんな台詞を言っていただきたいんですけど」
「何が『っていうことで』なのかさっぱりだし嫌な予感がするから却下だ」
「主人公のボイスはもちろん森山さんで!!」
「よくわかんないけど楽しそうだね!!」
「お前ら埋めるぞ」
意外にもノリ気な森山の様子に悦喜し、伊月は詳細を説明しながら企画を組み立てていこうと、常備の紙とペンをバックの中からとりだす。そして、いざ、説明を、というところで、宮地からのでこぴんが伊月の額へと飛んできた。ぺしんと良い音が鳴り響き、伊月は額を押さえて蹲る。痛いと抗議しようとしたが、宮地の顔には怒気を含んだ素敵な笑顔が浮かんでいたため、伊月は素直に土下座するほかなかった。でも、宮地さんの、そんな表情も、好きです。
「あ、俺適当にお茶と菓子持ってくるわ」
「おー、あんがとー」
「ありがとうございます!!」
宮地は伊月達のお礼の言葉に小さく笑むと「はいよー」と緩く返事をして立ち上がり、ドアの前まで行った。そこで、ふと何かを思い出したかのように立ち止まり、こちらを振り返る。
「俺がいない間に勝手に部屋ん中漁るなよ」
それだけを思いの外軽い口調で言うと、宮地は然程張りつめた空気にすることもなく、部屋を出て行った。
普通ならば、このような台詞を威圧的に言い、言われた側の動きを完全に封じるだろう。しかし、宮地の様子から考えて、そんな意図はなかったかのように思える。
ということは。
「漁れっていうフリ、ですかね?」
チラリと横を見れば、森山がいい笑みを浮かべた。
「よし、宮地の部屋漁り隊、出動!!!」
「イエッサー!!」
言葉と共に敬礼のポーズをする森山を見て、伊月も反射的に背筋を伸ばして敬礼をする。お互い顔を見合わせて、思わずクスクスと笑ってしまった。
「じゃあ伊月はベッドの下から見ていって。面白いのあったらすぐ報告な?」
「了解です」
こんな事に心を弾ませてしまうだなんて、まるで小さな子供のようだが、好奇心というものはそう簡単に抑えられるものではない。
それに、さっきの宮地さんの態度からして、逆に漁らないと期待を裏切ることになっちゃうよね!!
うんうん、と自分で頷き、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。ついこの前までだったら一体宮地がどんなものを隠しているか、想像できなかっただろう。しかし、宮地も伊月と同じ腐男子だと知った今なら、なんとなくの想像はつく。
きっと、俺と森山さんの絡みを妄想して、それを書き綴ったものとかが……!!
伊月はベッドのすぐ近くに座り込み、いろんな意味でドキドキしながらその下を覗き込んだ。
ただの綺麗好きなのか、それともベッドの下に隠しているであろう何かを取り出す度に掃除でもしているのか、ベッドの下は埃一つない。暗くて少し見づらいが、目を凝らしてよく見てみると。
…やっぱり、ベッドの下って定番だよね。
一番奥の方に、何やら怪しげな箱がぽつん、と置かれているのが見えた。あの中に『何か』が入っている、と確信できるほどにその箱は息を潜めてそこに佇んでいた。とにかく箱の中身を見たい、という一心で箱があるはずの場所へと腕を精一杯に伸ばす。が。
あ……あれ……?
腕を左右に動かしても、指先にさえ、何も触れない。もう一度目を凝らし、奥の方を確認してみるが、変わらずそこに箱は置いてある。
つまり。
奥すぎて届かないってこと……??
再び箱を目指して腕を伸ばすが、やはり何度やっても結果は変わらない。何にも触れることなく終わってしまった。
これは、森山さんにも手伝ってもらって、ベッドを少しだけずらすとかするしか……。
そう思い、覗き込む格好から上体を起こし、森山の方を振り向くと、そこには。
立ったまま、恐ろしいほどの真顔でこちらを見下ろしてくる、森山の姿があった。
「も、森山さん……?」
声をかけるが森山からは何の反応も返ってこない。
ど、どうしたのかな……。目開けたまま寝ちゃったとかそんなわけではない、よね……?
「森山さ……」
再び呼びかけようとしたところで、森山がやっと動いた。表情は変わらず真顔のまま、こちらへと近づいてくる。
「あ、あの、えっと…」
森山の考えていることがわからず、でも目を合わせるのもなんだか恥ずかしい感じがして、視線をあちこちに向けていると。森山がすぐ目の前まできて、座ったままの伊月に視線の高さを合わせるように、しゃがみこんできた。少し動けば鼻先がぶつかりそうなほどの距離に、かっと体温が上昇するのを感じ、視線を真下へと落とす。
「あの、森山さん、」
近いです、と続けようとしたその時。
きっと、効果音をつけるとしたら『ガバッ』というのが一番合っているだろう。それ程の勢いで、真正面から両手を広げた真顔の森山が覆い被さるように抱きついてきた。
その動作を頭で理解するまで、約五秒。
「え、ちょ、突然どうしたんですか?!」
いきなりの事に戸惑い、とりあえず自分から森山を引き剥がそうとその肩を押し返す。しかし、同じ男であるのに、森山の力には及ばず、少しも距離を作ることはできなかった。あまりの密着度に恥ずかしさで顔が熱くなっていく。
森山さんは何がしたいんだ…?森山さんが好きなのは宮月だから、こんな事をしても森山さんにメリットなんて何も……。
そんなことを考えていると、その疑問が伝わったのか、森山がやっと言葉を口にした。
「宮地の奴、どうやらこの部屋に隠しカメラ仕掛けてるみたいなんだよね」
「か、隠しカメラ、ですか……?」
抱き締められたままのため、森山の息が首筋にかかる。そこから意識を逸らすように、伊月は森山の言葉だけに集中しようとする。
「そう。本棚の上のところにあるのをさっき見つけてね。たぶん俺たちを二人きりにして、自然といちゃつき始めるのを撮りたいんじゃないかなあ、って」
「なるほど……」
森山の話に伊月はすぐ納得した。
別に、自分の推しているカップリングは実際にホモだというわけではなく、自分の勝手な妄想だということはわかっている。でも、やっぱり、少しだけ期待してしまうのだ。もしかしたら二人は本当にホモで、二人きりにしたら、いちゃつき始めるんじゃないか、と。
同じ腐男子だからこそ、その考えが手に取るようにわかる。
伊月は口元に少しだけ笑みを浮かべて息を吐いた。
「……それなら、宮地さんのご期待に添えるべく、ちょっとだけ森月やりますか?」
「あれ、意外に伊月ノリ気だね?伊月のことだから、森宮と宮森見るために来たのにーとか言い出すかと」
「まあ、確かにそうですけど……宮地さんが森宮とかやるためにこの部屋を提供してくださったわけですし、そのお礼くらいは」
そう言うと、森山は「律儀だなあ」と笑いながら、服の裾から手を突っ込んできた。
え、突っ込んできた……??
「え、は、森山さん何してるんですか?!」
「え?森月だけど」
「いやそれにしても色々段階すっ飛ばしてません?!」
慌てて森山の肩を軽く叩けば、森山はお互いの顔が見えるくらいに身体を離し、不満げにその唇をとがらせた。
「えー伊月だって俺と宮地で濃厚なやつやらせるつもりなんでしょー?」
「で、でも、俺が公園での写真の撮り合いで森月頑張ったから濃厚な森宮と宮森見せてくれるって…!!」
「いやいや、あの時は伊月からじゃなくて俺から濃厚な森月仕掛けたじゃん。それにあの程度の森月で、宮地が飛び切り濃厚な森宮と宮森、やってくれると思う?」
――…等価交換、だよ。
そう微笑む森山に、伊月は何も言い返すことができずに、下唇を軽く噛む。
森山さんの言っていることは最もだけど…でも俺と森山さんでそんなことするわけには……。なんて言ったって森山さんは宮地さんのものであり、宮地さんは森山さんのものであるわけだし……!!
悶々と唸りながら葛藤を繰り広げる。森山はそんな伊月の様子を見て堪えるように笑った。
「わかったわかった。じゃあもう少し抑えた奴な?」
クツクツと喉の奥で笑うと、森山はやっと服の中から手を出してくれた。それにほっと一息、つこうとしたが、そんな間もなく、今度は服の上から腰のあたりに手が添えられた。
「…それじゃ、失礼して」
いつになく真剣な低い声で囁くように言われ、ドキリと心臓が跳ね上がる。ぎゅう、と再び強く抱きしめられてしまえば、もう彼の動きを見ることは叶わない。伊月は森山の背に羞恥で震える腕を回し、頼りなく抱きしめ返した。その直後だった。
「……っ!!」
何の前触れもなく、耳に息を吹きかけられて、肩がびくりと震えた。
「あれ、撮影会の時みたいに卑猥な声は出さないんだね」
「……もう二度とあんな声出さないように耐えましたから」
「んーそっかぁ……」
してやったり、という気持ちで少し笑って見せると、森山は面白くなさそうに唸る。なにかを考えるかのような素振りに不安しか感じないが、とにかく何があっても変な声がでないように耐えるだけだ。そう考えていたとき。
突然、肩をぽんと押されて。
視界が、反転した。
「へ……?」
何で、森山さんの後ろに天井が……?
訳が分からず、呆然としたまま、天井を背景にした森山を見つめていると。
「抵抗は、許さないよ」
「あ……」
熱を孕んだ目が、見下ろしてくる。
駄目だ、この感覚は……。
胸がきゅう、となって、顔も耳も、身体中全部が熱くなっていって、自然と目に涙がたまる。普通だったら、ここで拒絶するのだろう。でも。
なんで俺は、森山さんを押しのけないで、次の展開を、待っているんだ……??
次、何をしてくるのだろう、と期待している自分がいるような気がして、さらに体温があがる。
俺が好きなのは、森宮と宮森のはず。それなのに、なんで……。
混乱する頭の中を整理しようとしても、なかなかまとまらず、加えて目の前の森山が徐々に近づいてきているために騒がしく鳴る心臓の音が、思考を邪魔する。
あぁ、もうだめだ……。
何も考えられなくて、もうどうにでもなれ、と目を固く瞑った。
「お前ら……なに人の部屋で盛ってんだよ」
突然聞こえてきた第三者の声に目を開いてドアの方を見れば、先ほどまでいなかったはずの宮地が、そこにいた。お茶等を乗せたお盆を左手に持ち、そして右手には歪みなくしっかりと携帯が構えられている。しかし、その顔には驚愕の表情が浮かんでいた。
まるで、こんなことになるなんて、全く考えていなかった、というように。
まさか、宮地さんはこういうことを期待して部屋を出て行ったわけじゃないんじゃ…?!
どういうことなんだ、と抗議しようと森山の方に視線を向ければ、森山は伊月の視線には気づかずに、楽しげに宮地に笑いかけていた。
「ごめんねー、なんか抑えらんなくて」
「お前バカなの??計画通り進めなきゃその後どう進めればいいかわかんねえじゃねえか!!」
「だって伊月がさぁ」
……どうしよう、全く話が見えない。
また『計画』の話をしているようなのだが。計画の内容を全く知らない伊月は首を傾げることしかできない。それに、先ほどの森山の様子が、少し気になってしまう。
森山さん、宮地さんのためにあそこまで演技するかなぁ……。
時折見せた、真剣そうな表情や目。それが、どうしても演技には見えなくて。
伊月の疑問を、さらに増やした。
例の『計画』によって、自分が変わっていっていることに、伊月はまだ、気づいていない。