text | ナノ


 ネクタイを緩めたら、ゴブレットの縁を三回叩いたら、授業の終わりに羊皮紙をくしゃっと丸めたら――それが逢瀬の合図。普段は目すら合わせない二人の密やかな取り決め。
「シリウス」
 五階の大きな鏡の裏には隠し通路がある。知る人ぞ知る秘密の場所で、二人はようやく視線を交わした。
「ナマエ」
 シリウスはもどかしそうに黒髪をかきあげ、灰色の瞳に苛立ちを浮かべた。端正な彼の顔立ちに似つかわしくない乱暴な仕草に、ナマエは苦笑する。
 彼は昔からこうだった。何かに縛られるのが大嫌いで、自由奔放な幼馴染み。こんなふうにこそこそしなくてはいけない今の状況が余程我慢ならないのだろう。
 だが二人が会うにはこうするしかないのだ。家を飛び出し、自由を掴み取ったシリウスと、未だに家に縛られるナマエは、公の場で話すことすら許されない。
「最近家から連絡は来たか?」
 シリウスは燃えるような目でナマエを射抜いた。どくりと揺れる心臓から逃れるように、ナマエは首を横に振った。
 由緒正しい純血の家系であるブラック家とミョウジ家。両家には遥か昔から深い繋がりがあり、シリウスとナマエは赤ん坊の時点で引き合わされている。
 高貴な血を絶やしてはいけない。下賤な血を取り入れてはいけない。純血に固執する家族によって、生まれた時から二人の婚約は決まっていた。
「特に何も。いつも通りよ。今年のクリスマスはスラグ・クラブに招待されているから帰れないって送ったら、家の名に恥じぬようにって、それだけ」
 血の束縛。両家の深い縁に引き込まれるようにして出逢った二人は、どちらからともなく惹かれあった。
 シリウスがナマエを、ナマエがシリウスを慕うのに血は関係ない。二人は物心ついた頃から大人たちの歪な考えに疑問を抱いていた。
「へえ。相変わらずってわけだな」
 シリウスは嘲笑の形に口元を歪めた。
 大いなる魔力は正しい血統の者のみが引き継ぐ権利があり、そこに魔力を持たない者が介在する余地はない。魔法を使えないマグルは卑しい存在で、そのマグルの間から生まれた魔法使い・魔女の血は穢れている。
 魔法界を率いる資格があるのは純血のみで、穢れた血は排除しなくてはならない。純血である自分たちはそうでない者の高みに立ち、正しい方向に導いてやる必要がある。
 偏った思想に異議を唱える者はおらず、例えいたとしても、血を裏切る者の烙印を押され、追放される。
 閉鎖された窮屈な世界で、幼いシリウスとナマエはお互いの存在だけを寄る辺に身を寄せ合って生きてきた。
「で、お前はナメクジ教授のご機嫌取りか。楽しいクリスマスになりそうだな」
 シリウスが肩を竦め、ナマエはそっと瞳を伏せた。
 古くから受け継がれてきた呪いにも似た歪んだ思想。二人は闇を抜け出し、光の世界へ逃げ出したいと切に願っていた。
 だが大人の庇護から抜け出し、二人だけで生きていく力などない。無力な子供にできることなどたかが知れている。退屈なパーティーから二人で抜け出すことくらいしか反抗する術はなかった。
 表向きは大人の言うことに従順なナマエと、堂々と反発するシリウス。半ば諦めていたナマエと、不屈の反骨精神を持ち続けたシリウス。
「昔みたいにばっくれるか?」
 ナマエは、悪戯っ子の笑みを浮かべるシリウスの目をまともに見られなかった。
 誰よりも近かったはずの二人の距離はいつしか開き、シリウスだけが光への一歩を踏み出した。そして去年の夏、彼は完全に家の呪縛から解放されたのだ――家族を切り捨てて。
 ブラック家を飛び出し勘当されたシリウスは、後ろ盾を失った代わりに、自由を手に入れた。それに伴いナマエとシリウスの婚約は解消され、レギュラスとの婚約が正式に決まったのだ。
 こうして会うのもこれが最後になるだろう。いや、最後にしなくてはいけない。ナマエは小さく息を吸い込んだ。シリウスに言わなくてはならない。そろそろ潮時なのだと。
「シリウス、私――」
「で、お前はいつ家を出るんだ?」
 ナマエの言葉を遮るように、シリウスは口を開いた。その灰色の瞳には何の感情も浮かんでいない。
「前にも言ったけど、私は……」
 ナマエの脳裏を過るのは幼い弟の笑顔。どうしても彼を置いていくことはできない。
 最初からナマエにはシリウスのように全てを捨てる覚悟はなかった。歪んでしまっているけれど、大切な家族。ましてや自分を慕ってくれる可愛い弟を置き去りにするなんて。
「一生家に縛られるつもりか?」
 抑揚のない口調でシリウスは囁いた。普段の彼からは想像もできない異質な佇まい、激情を無理に凍りつかせたような無感動な様が、ナマエを空恐ろしい気持ちにさせる。これだったら怒りのままに罵られた方がまだましだ。
「……私は……」
 言い淀むナマエに、一転してシリウスは快活に笑ってみせた。
「悪い。別に急かしたわけじゃないんだ。卒業までまだ時間はあるんだから焦らなくていい。俺と違ってお前には色々と準備が必要だろうしさ」
 ナマエは黙り込むしかなかった。何を言っても今のシリウスは取り合ってくれそうにない。
――そうやって私は……。
 ナマエは俯いて唇を噛んだ。認めたくない――シリウスが怖いなんて。
 どうしてだろう。ナマエは何度目かの問いを胸中に発した。光の道に進んだはずのシリウスから闇が溢れだし、凝った闇が彼を覆い尽くす。
――私はどこまでも一途で、勇敢な彼を……。
 勇気ある者が選ばれるグリフィンドール。眩しい光に包まれた寮にナマエが手を伸ばすことは許されなかった。
 親の意志で敷かれたレールから抜け出せなかったナマエは、いとも簡単に道を逸れたシリウスにより一層焦がれたのだ。まるでそう運命づけられていたかのように光で笑う彼の輝きに魅せられ、彼の傍にいることで自分も闇から逃れられたかのような幻想を抱く。
 一時の甘い夢はナマエに幸せと、深い喪失感を与えた。夢から醒めれば、苦い現実が押し寄せてくる。それでもナマエは、シリウスから離れたいとは思わなかった。
 いずれ訪れる別れの時まで、彼の傍で光に触れていたい。愛情深い彼の温かな光に満たされたという事実がナマエを支えてくれる。だから闇の世界でも生きていける。
 例え離れ離れになっても、シリウスは変わらずナマエを照らし続けてくれる。そう思っていたのに。
――私の愛した彼はどこに行ってしまったの?

「ナマエ」
 炎の踊る暖炉を見つめるナマエの傍らに立つ影。見上げれば、二つ年下の婚約者がナマエを見下ろしていた。
「レギュラス……」
 目にかかった黒髪を鬱陶しそうに払い、灰色の瞳がナマエを捕らえる。その仕草は驚くほど兄のシリウスに似ているのに、纏う雰囲気はまるで違った。
 ナマエを見つめる灰色の瞳に温かさはなく、どことなくよそよそしさを感じさせる。
 レギュラス・ブラックはナマエ・ミョウジにあまりいい感情を抱いていない。幼い頃から兄と二人だけの世界を作り上げていたナマエを疎ましく思っているのだろう。
 シリウスは決してレギュラスを仲間には入れなかった。彼は、ナマエのように表向きだけではなく、本心から親に従うレギュラスには一欠けらの愛情も与えようとしなかったのだ。
 だがナマエは知っている。レギュラスが親に恭順の意を示すのは、家族を愛するが故だということを。シリウスの反抗で荒れる母親を宥めるのは、いつも弟であるレギュラスの役目だった。
――彼は私によく似ている。
 レギュラスは何よりも家族が大事で、家族の絆を壊そうとするものを憎んでいる。その家族の中にはシリウスも含まれているのだが、皮肉にも彼こそがブラック家に亀裂を入れた張本人なのだ。
 シリウスが勘当された今、レギュラスがブラック家を継ぐことになり、同時にナマエの婚約者となった。ナマエはまるでお下がりのようにレギュラスに引き継がれたのだ。
 これから先、二人の間で愛情が育まれることはあるのだろうか。ナマエは人知れずため息を呑みこんだ。
「あの人にあなたを解放するよう詰め寄られました」
 レギュラスはシリウスの家出以来、彼を兄さんとは呼ばなくなった。
「あなたはあの人のもので、万が一にも僕を愛することはないと」
 スリザリンの談話室は閑散としている。レギュラスは寒々とした地下室に似つかわしい、冷えた声でナマエに言った。
「他にも品位を疑うようなことをいくつか言っていましたね。どうもあの人は僕があなたを手籠めにしようとしてると勘違いしているらしい」
 迷惑極まりないとレギュラスは首を振った。
「…………」
 そして彼は、沈黙するナマエの顔を見ずにいつもの問いかけをした。
「で、あなたはいつ頃出て行く予定なんですか?」
 シリウスが勘当されて以降、お決まりの質問だ。レギュラスはナマエも頃合いを見て出て行くつもりだと思っているらしく、そのことを頻りに訊ねてくる。
 だが何度訊かれてもナマエの答えは変わらない。
「私は家を出るつもりはないわ。あの子を置いては行けないから」
「……そうですか」
 レギュラスは決してこちらを見ようとしないが、彼の雰囲気が和らいだことくらいはナマエにもわかった。普段は冷やかな調子を崩さないレギュラスだが、この時ばかりは僅かに幼い無防備さを露わにする。
 彼は兄が自分を置いて出て行ったことに傷ついているのだ。その気持ちが痛いほどわかるから、ナマエは何度でもこの問答に付き合う。
 弟を残して家を去ったシリウスと、弟を見捨てられないと家に残るナマエ。立場に差はあれど、結局はレギュラスもナマエもシリウスに置いて行かれる側の人間だ。不毛な傷の舐め合いをする気はないが、ナマエはレギュラスに憐憫の情を抱いている。
 彼を見ると、殊更弟を残して自分だけ逃げるわけにはいかないと思うのだ。
――きっと私が彼に恋することはないけれど。
 傍にいてあげたい。ナマエの偽らざる本音は、優しく残酷だった。

 闇が世界を覆い尽くそうとしている。ヴォルデモート卿は死喰い人を手足のように操り、魔法界を手中に収めるべく動いている。
 シリウスにとって闇に支配された世界は、陰鬱としたブラック家と何ら変わりがない。真の自由を得るために、大切な人を守るために、彼は戦いの道を選んだ。
 ヴォルデモートが唯一恐れる偉大なアルバス・ダンブルドアは、秘密裏に仲間を集い、闇への対抗勢力、不死鳥の騎士団を結成する準備をしている。勿論シリウスは卒業と同時に仲間たちと入団するつもりだ。
――卒業……。
 その一言だけでぐっと胸に込み上げてくるものがあるのは、シリウスにとってホグワーツで過ごした時間が何事にも変え難い大切なものだからだ。
 ホグワーツは、グリフィンドールは、シリウスが唯一気を許せる場所だ。ここでかけがえのない友を得ることができた。
 家の呪縛から解き放たれ、親友たちに囲まれ、シリウスは間違いなく今自分が幸せだと言える。ブラック家には何の未練もない――ただ一つを除いて。
 ナマエ・ミョウジはシリウスの元婚約者だが、それを抜きに二人は愛し合っている。
 ナマエのいない生活などシリウスには考えられない。入学した時点でシリウスはグリフィンドール、ナマエはスリザリンと別れてしまったが、交流が途絶えることはなかった。
 ナマエが本当はグリフィンドールに来たかったことも、その素質があることもシリウスは知っている。彼女がスリザリンを希望したのは、七つ下の弟を思ってのことだった。
 ナマエの両親は凝り固まった純血思想の持ち主で、もし彼女がスリザリン以外に入ったら失望し、今度は弟にその過剰な期待の矛先を向けるだろう。
 心優しい弟は、きっと耐え切れない。ナマエは幼い弟の繊細な優しさをよく理解していた。シリウスからすれば、弟のために自分を犠牲にするなど信じられなかったが、それがナマエという女の子だ。
――だからこそ俺があいつを無理にでも連れ出してやらないといけない。
 愛しいナマエを闇の中に取り残していくわけにはいかない。絶対にミョウジ家の鎖からナマエを解き放ってみせる。シリウスは何度目かに知れない決意を胸に刻んだ。
――あいつには俺が、俺にはあいつが必要なんだ。
 同時に思い浮かべるのは弟の姿。シリウスの後釜にすわったレギュラスは、ナマエの新たな婚約者となった。
 ナマエの夫となることを公に認められた存在。凶暴な感情がシリウスの胸にせり上がってくる。
――あいつは誰にも渡さない。
 ナマエを救う、そう思っていたはずなのに、今はナマエをレギュラスに奪われてなるものかと、身勝手な嫉妬に頭を支配されている。獰猛な衝動が胸を食い破って出てくるような錯覚を覚え、シリウスは頭を振った。
 ナマエは決してシリウス以外を愛さない。二人の世界には何人たりとも踏み込めない。シリウスはそれを脳内で何度も繰り返し、己を落ち着かせた。
 シリウスにとって親は敵で、親の味方をするレギュラスを仲間に入れたことはなかった。弟を可愛がる気持ちが全くないわけではないが、それ以上にシリウスはナマエが愛しく、彼女を独占したかったのだ。
 シリウスが母親と口論する度、非難の視線を送ってきた弟のことを一度だって省みたことはなかった。これからもそれは変わらない。
――レギュラス……。
 そっと胸中で呟く名に僅かな哀愁を込め、完全なる決別を。
 生まれ育った家、家族、ブラックの名前、それらを全て捨てたシリウスが唯一求めるのは、ナマエだけだった。
 
――彼女はいつ家を飛び出すのだろう。
 レギュラスが数え切れないほど心に投げかけた問いが、日の目を見ないまま沈んでいく。ナマエ・ミョウジがただのナマエになる日は一体いつ来るのか。
 内に留めておくには耐え切れず、レギュラスは何度も同じ質問をナマエに浴びせたが、彼女の答えはいつも同じだった。
――弟を置いて行けない。
 レギュラスが望んで止まなかった言葉を、彼女はいともたやすく口にする。そのことがたまらなく悔しくて、涙が出るほど嬉しくて、レギュラスは狂おしい思いに身を焼き尽くされそうになる。
 ナマエ・ミョウジは決して弟を見捨てない――シリウス・ブラックと違って。
 レギュラスは兄に出て行って欲しくなかった。家をかき回し、嫌と言うほど家族に迷惑をかけたシリウスだが、それでも兄に代わりはない。一度だってレギュラスを慮ることがなかったとしても。
 勘当されたシリウスはもうレギュラスの兄ではない。血の繋がりはあっても、ブラック家の一員ではないのだ。
――彼女はいつ家から連れ出されるのだろう。
 いくらナマエが拒んでも、シリウスは彼女を浚っていくだろう。その時自分は、彼女は、どんな反応をするのだろう。
――僕はどんな反応をすればいいのだろう。

 クリスマスの朝が来た。家から届いたのは、ミョウジ家の名に恥じないような値の張るドレスローブだった。プレゼントに胸を躍らせていた子供時代が遠い昔のように感じられる。
 人脈を広げるチャンスであるスラグ・クラブを欠席するわけにはいかない。ナマエは憂鬱な気持ちのまま、大広間に向かった。
「おはようございます」
 レギュラスがクリスマスなど全く関係ないという顔でナマエの隣に座った。彼のプレゼントは、ナマエの親と示し合わせでもしたのか、ドレスローブと同じ色合いのスカーフだった。
「おはよう。素敵なスカーフをありがとう」
 社交辞令にもならないナマエの沈んだお礼に、レギュラスは眉を上げた。
「何ですか、その湿っぽい顔は。確かに僕も気は進みませんが、スラグ・クラブではそれなりに得るものがあると思いますよ。子供の時のように抜け出したりはできません。僕たちの義務だと割り切ってください」
 彼の言うことは尤もだ。ナマエは力なく笑い、サンドイッチを少しだけ食べた。
 そろそろ郵便の時間だ。ナマエにも弟から手紙が届くかもしれない。 配達のふくろうが次々と生徒たちに荷物や手紙を落としていく。隣でレギュラスは日刊預言者新聞を受け取っていた。
 ナマエがぼんやりとふくろうの群れを眺めていると、その中の一羽がこちらに向かってきた。何か大きな嵩張る物を運んでいる。
――何かしら?
 その正体を見極める前に、白ふくろうはナマエの膝元に荷物を落としていった。
――……花束?
 情熱的な赤のグラジオラス。カードにはメリー・クリスマスとだけ書かれており、差出人の名前はない。
 だがナマエには送り主が誰かすぐにわかった。グラジオラスの花言葉は密会。人目を忍ぶ恋人たちが、かつて相手に花束や籠に入れるグラジオラスの数でデートの時間を知らせていたという。
 ナマエがグリフィンドールのテーブルに目を走らせると、シリウスがじっとこちらを見つめていた。その激しい眼差しに胸が高鳴る。
――だめよ、もう彼とは別れないといけないんだから。
 己の心臓を戒めるように、ナマエはぎゅっと花束を持つ手に力を込めた。
――……でもクリスマスだけは。
 甘い誘惑がナマエを揺さぶる。今日だけは幸せな恋人の気分を味わってもいいのではないか。昔のように、二人だけの世界に浸って。
 そしてたくさんの幸せに包まれながら、終わりにするのだ。
 シリウスと視線を交える。既にナマエは彼と二人だけの世界に入り込みつつあった。
 レギュラスの様子が変わったことには気付かないまま。

 昔から二人の世界に入れなかった。レギュラスは苦々しい思いで花束を受け取ったナマエを見つめた。差出人は聞くまでもない。グリフィンドール席からシリウスが突き刺さるような視線をこちらに送っている。
 ナマエには情熱を、レギュラスには牽制を含ませた強い視線に苛立ちが溢れ出す。
 レギュラスのプレゼントには見向きもしなかったナマエが、花束一つで暗い表情を一変させる。その変化はレギュラスの心をどうしようもなく波立たせた。
――あの人はあなたの婚約者という立場を捨てたのに!
 わき上がる怒りの衝動の源がわからないまま、レギュラスは奥歯を噛みしめた。
 レギュラス・ブラックはナマエ・ミョウジが好きではなかった。兄と二人だけの世界を作る彼女を、レギュラスから兄を取り上げる彼女を疎ましく思っていた。
 だがナマエはシリウスとは違って弟を置いて行かない、レギュラスを置いては行かない。
――僕は……。
 レギュラスはふと己の心に蹲る想いに触れた。
 ナマエ・ミョウジ。大好きな兄を奪う兄の愛しい女の子。レギュラスは二人の世界に入ることも、ナマエに触れることも許されなかった。
 ナマエ・ミョウジ。兄が守り、兄に閉じ込められていた女の子。レギュラスは兄が愛し独占する女の子に焦がれていた。ナマエがレギュラスに向ける同情の視線をはね付けたいと思う反面、そのまま彼女に縋りたいと思うことさえあった。
――ああ、簡単な話だ。
 本当はレギュラスもナマエが欲しかったのだ。兄のものだとわかっているから、手に入らないから、諦め嫌うふりをしていたに過ぎなかった。
 もしかしたらシリウスはその想いを見抜いていたのかもしれない。だから必要以上にレギュラスからナマエを遠ざけた。
 レギュラスはちらりとナマエの持つ花束に目を向けた。真っ赤なグラジオラス。シリウスの所属するグリフィンドール寮のシンボルカラー。
 花言葉は密会、そして――レギュラスは全身が沸騰したかのような憤りを感じた。これはレギュラスに対する宣戦布告だ。
――僕を捨てたあなたが、更に僕から奪おうとするのか!
 グラジオラスの花言葉は密会、挑発。前者はナマエに、後者は間違いなくレギュラスに宛てたメッセージだった。

 レギュラスは気付いたに違いない。弟の怒りに駆られた様子に、シリウスはふっと口角を上げた。
 家族に対する態度は正反対の二人だが、実のところ、とても良く似ている。シリウスが求めるものはレギュラスだって欲しいのだ。
――ナマエを縛る枷も、邪魔者も全て排除する。
 二人の幸せのためなら、シリウスは何だってできる。例えナマエがそれを望まなくても、愛する二人が引き裂かれるようなことがあってはいけないのだ。
 脳裏に幼い頃の誓いが蘇る。
――俺がナマエを守る、俺が絶対にナマエを家から連れ出してやる、俺がずっと傍にいる。
 だから、
――笑って。
 シリウスが微笑みかけると、ナマエは夢でも見ているのではないかと疑うほど、幸せそうに笑った。
――さあ、まずはお前を家に繋ぎとめる最大の要因を壊しに行こう。そして次は……。
 兄と弟の視線が交差した。

仄暗い愛情



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