うたぷり短編 | ナノ


ときめきのひとひら



『ひらり』

突然そんな言葉を発して、名前は数学のプリントをゆたりと宙に波打たせた。

『きれいだよね、ひらりって』
『またいきなりわけわかんねーことを』
『わけわかんなくないよう』

机を挟んだ向かい側から宿題を教えていた俺は、呆れたように頬杖をついて、一つ年下の幼馴染みに目をやった。
名前は口を尖らせ、しかし楽しそうにひらひらと紙をはためかせる。
ちらりと見えた数式は、すぐに白のうねりに飲み込まれて消えた。
『ほら』と俺はそれを指差す。

『その式間違ってんぞ』

う、と一瞬固まった後、名前はおとなしくプリントを机に置き直す。

『い、いいの。わたしは文系なの』
『そういや、名前は古文が得意だって聞いたな』
『そそ。おばあちゃん子ですから』

会話をしながらも鉛筆を顎にあて、数式の見直しをしている。だんだん顔がしかめられていく様子は、ちょっとおかしかった。

『あ、そうだ』

すると名前はまたぱあっと顔を明るくして、プリントを裏返す。そしてまっさらなそこに何かを書き込んだ。

『宿題しろっての』
『後で。へへ、これなんて読むでしょう?』

得意気につき出されたそれには、<一枚>と書かれていた。
馬鹿にすんなよな、いちまいだろ。そう答えると、名前はいっそう笑みを深くして、『引っかかったー』と言った。

『じゃあ何だよ』
『あのね、古文ではね』

ぺたんと再び机に置いて、漢字の上にひらがなが書きこまれる。
<ひとひら>とあった。

『へえ』
『きれいでしょう?ひとひら、ひらり。へへ、だからさ、もしこの<ひとひら>が恋文だったら――』

名前はさらに鉛筆で<一枚>の前に何かを付け加える。覗きこもうと身を乗り出せば、名前の前髪とかすかに触れ合った。

『――<ときめきのひとひら>』
『そ。素敵だよねえ』

目をあげれば、名前の顔が間近にあった。ずっと一緒に育ってきた幼馴染みだとは思えないくらいその笑顔は綺麗で、可愛くて、なんだかそのまま見つめているのが恥ずかしくなった俺は、『おう』と呟いて目線をそらした。








「……ん」

懐かしい夢は、そんな淡い気持ちが芽生えたところを映し出して途切れてしまった。気がつけば目の前には寮の天井が無機質にあるだけで、あの情景の面影は欠片たりとも残ってはいなかった。

目が覚めてから少しの間、そうやって天井を見つめてぼーっとしていた。起き抜けでうまく働かない頭は、しかし先程までの夢に思いを馳せる。

中学生時代の話だ。あの頃の記憶なんて大まかにしか覚えてはいないけれど、この夢の場面だけは特別だった。初恋の始まりであり、、名前の純粋さをよく表しているエピソード。もっとも、あいつが覚えているかはわかんねーけど。

名前は元気にしているだろうか。最後に会ったのは俺がこっちに来る前の日だった。それから後は何かと忙しくて、向こうに帰る機会もなかったしな。時間も流れ、あいつは今大学受験を控え、この春笑顔で卒業するために頑張っているはずだ。
会わなくなって、四年が経つ。きっとあの時より随分大人びた彼女を、俺はまだ好きでいるんだろうか?なんてぼんやりと考えてみる。
そうだと断定するには時間が経ち過ぎていて、あの頃の思いも忘れかけてしまっている。しかしあれ以来、恋なんてものにかまけていられなかったのも確かだ。学園は恋愛禁止だったしな。
だから、わかんねえってのがその答えになるだろう。


ふあ、とあくびを漏らし、もぞもぞとベッドから這い出る。
今日は撮影の仕事がオフだから、事務所に届いたファンレターを読もうと予定していた。デビューして早くも一年。ありがたいことに世間の注目を浴びた俺は、もう一端の芸能人として様々な仕事をさせて貰った。
そのせいで逆に忙しすぎるという事態が発生し、次のオフこそはこれを読んでおけと日向先生に段ボール一箱を渡されていたのだった。
もちろん、それはとても嬉しいものだし、読めばまたやる気が湧いてくるだろうから、そう苦ではないのだが。

それにもしかしたら、あの箱の中にあいつの手紙が混ざっているかもしれない。名前のことを考えていた最中に、一つ思い出したことがあったのだ。

『しょーちゃんが有名になったら、わたし、手紙書くからね!』
『だってわたし、しょーちゃんのファン1号だから!』
『だから――』

頑張ってね、と少し寂しげな目をして声援をくれた名前をぎゅっと抱き締めたのは、後にも先にもその時だけだった。名前に会った、最後の日。上京する前日。

「懐かしいな」

そんな呟きと同時に段ボールに手をかけながら、一通のファンレターを取り出して封を切った。












「お?」

思わずそんな声を漏らして次のファンレターをつまみ上げた。大体50通ほど読んだだろうか、時計の針は読み始めてから二時間たった時刻を指し示している。

「何か、軽いな」

俺が声を漏らした理由、それは今手に持っている封筒があまりにも軽いことだ。今まで読んだファンレターは、正直読んでいるこちらが恥ずかしくなるほど内容が濃く、実際に恥ずかしさを覚えながら、それ以上に『今自分はアイドルなんだ』と感じさせてくれるものだった。
しかしこれは違う。軽いし薄い。それによく見ると宛先だけしか書かれてなくて、差出人が不明だった。しかも結構な達筆。
まあ、内容が少なければそれだけ読みやすいしな。
そう思って、さっそく封筒を開ける。すると中身が何の抵抗もなく、ひらりと宙に舞った。
――その様子にデジャヴを感じるより速く、俺の目はさらなる驚きに見開かれた。

「……半紙、か?」

普通の紙よりまだ薄いそれは、手のひらに収まるほど小さい。半紙と断定できなかったのは、そいつがほんのりと紅色に染まっていたから。そして吸い込まれるようにして見入った、そこに書かれてある言葉は、

「――三十一文字(みそひともじ)」

ごくり、と息を呑んだのは無意識のことだった。

ああ、こんな文を送る奴なんて、俺には一人しか思い浮かばねえ。



『 はるきたり
  きみやしるらむ
  ときめきの
  ひとひらやりて
  つづるこひうた 』



「名前…!」

浮かんだ笑顔は色褪せることなく、俺の心を揺さぶった。その衝撃はあまりにも大きかったけど、不思議と嫌な心地にはならなかった。
そして沸き上がってくるこの気持ちは、きっと。

今も好きかどうか、わからねえ?
違う。そんなことはない。俺は今でもあいつに惚れている。そうじゃなきゃ、こんなに会いたいだなんて思うはずがない。
あいつの顔を見て、声を聞いて、一度だけ知ったぬくもりを再び手に入れることを望むはずがない。

当時の感情が、何倍にも増して今、ここに帰ってきている。例えばジグソーパズルのラストピースがはまったような、そんな気持ち。口元は自然に弧を描き、鼓動がひとつとくんと音をたてた。三十一文字から、まるで名前の声が聞こえてくるようだ。薄紙一つにこんなにもときめいてしまう。ああ、昔の人たちはきっと、このなんとも言いがたい、しかし幸せな感情を知っていたんだろうな。

「行こう」

文を封筒にしまい、俺は立ち上がった。棚から帽子と財布を取り出し、身に付ける。
まだ午前だ、今からあいつの所へ行っても夜行列車で帰ってこられるだろう。思いがけない出費になるかもしれないけど、構わねえ。それより何より、今捕まえたこの思いを、この尊い気持ちを、もっと確かにする方がはるかに大切だ。

行こう。会いに行こう。ときめきのひとひらを持って、あいつのもとへ。

そうして俺は、初恋の続きをするために、そっとその一枚をポケットに忍ばせた。




ときめきのひとひら



返し歌には、とっておきのラブソングを。


――――――――――――――
作中歌(自作です)

『 はるきたり
  きみやしるらむ
  ときめきの
  ひとひらやりて
  つづるこひうた 』

解釈

『(あなたとお別れした)春がやって来ました。
あなたは知っているでしょうか?<ときめきのひとひら>を送って、
(まるで炎のように今でもしきりに燃えている)あなたへの恋心を歌に綴っているのです。』



――――――――――――――

近くて遠い、」様への出品作品です。
コンセプトは「初恋の続きをしよう」。

「ときめく」は「寵愛を受ける」だろ!
とかいうツッコミは勘弁してください。
受験前にあげたかった。
幼馴染み企画なのに、気づけばヒロイン出てこなかったという。あれ?


2012.2.20






bkm



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