★
魔法の言葉
『可愛い』
その言葉を、一体俺は何度聞かされたことだろう。
もちろん望みもしない形容詞だから、まったく嬉しくはない。
俺様はれっきとした男だ。
断じて可愛くはない。
…そりゃ、周りの男子から成長が遅れ気味なのは自分でも承知している。こないだ、双子の弟にも抜かされた…薫のヤロー、食ってるもんは似たり寄ったりのくせに。
でも、それでも大半の女子よりは高いはずだ。クラスで俺より背の高い女子は、三人だけ。男子?聞くなよな、そういうこと。
『来栖さんは存在が可愛いんですよ』
クラスで俺より背の高い女子、名字の言葉が浮かんできた。ひょんな縁でパートナーになった彼女は、ポニーテールの似合う活動的な、そしていたずら心に溢れる十六歳。
『こんなに可愛い男の子、私は見たことがないです』
俺が今までに言われた『可愛い』という言葉、その出所の八割以上は二人の人物が占めている。すなわち、那月と名字。
あいつらは所かまわず抱きついてくるし、『可愛い』を連呼しやがるし…。名字はともかく、那月は本気で苦しいから心の底から止めて欲しい。叱ればしゅんとなって反省するんだけど、しばらくすればまた飛びついてくるのが那月というやつだ。
…名字はともかく?
いや、名字を真っ先に止めるべきだろ。ともかくしちゃだめだ。校則違反を疑われれば、俺たちの夢はおじゃんになってしまう。まあ、諫めたところで那月同様聞きゃしないんだけど。
『格好いい』
言われたことがないとほとんど断定すら可能な言葉だ。特に、名字には一度も言われたことがない。一種憧れすら抱いてしまう理想の言葉だ。
あいつ、音也とか真斗には『格好いい』って言うくせに。
格好いい男といわれて真っ先に思いつくのは、何より日向先生。ケン王だ。あの男気溢れる言動、カリスマ、どこをとっても尊敬するしかない。いつかは越えたい目標の人。
ケン王以上のアイドルになるには、どうすればいいか。
いろいろ考えた末に、俺は一つの結論に達した。
――名字に『格好いい』って言わせてやる!
…なんて、決意を固めるのは簡単なんだけどな。実際どうするかが、悩むところ。
『どこが可愛い、ですか?』
ここで思い出される名字の言葉。
『ぜーんぶです!容姿も性格も仕草も!』
…どうすりゃいいんだよ。
悩みはじめて、早一週間がたっていた。
◇
答えを見いだせないまま、俺は日常を過ごしていた。隣には名字が歩いている。和やかに談笑しながらも、やはり心のどこかで『格好いい』と言って欲しいと思っているようだ。
「それでですね来栖さん」
「ああ」
「なんとその男が使っていた魔法の言葉は、インド語の『へい、タクシー』だったのですよ!」
人の気も知らないで、そんな笑い話を繰り広げた名字は、続いていぶかしげに首を傾げる。
「来栖さん?」
「あっ…うん、聞いてる」
アホだなそいつ、ととりあえず率直な感想を述べる。
しかし名字の感じた違和感は拭えなかったようで、ちょうど降りようとしていた階段をとててと二段ほど下り、俺の目の前で顔をのぞき込んできた。
「だいじょーぶですか?」
普段は目線が同じかそれ以上の名字に見上げられる経験が新鮮で、ちょっと答えに詰まる。
心配そうに眉をひそめてくれたことが、なぜかとても嬉しく思われた。
ああ、と頷くと名字は「そーですか」とほほえんで、そのまま後ろ向きに階段を降りていく。
がくん。
「きゃ…っ」
「あぶねえ!」
足を踏み外して後ろに倒れそうになる名字に、とっさに手を伸ばした。肩のあたりをつかみ、慌てて引き寄せる。
「ったく、前見て歩けよ」
「う、うん…ごめんなさい」
体を離すと、さすがの名字からも笑みが消えていた。赤くなってんのはなんでなんだろう。
「名字?」
「あっ、いえ、行きましょうっ」
ふるふると頭を揺らし、名字はずんずんと進み始めた。
…もしかして。
「照れてる?」
「ふぶっ!」
その一言に、再び名字はがくんと膝を折った。今度は予想していたので、素早く名字を引き寄せる。そして、離さない。
名字が照れるなんて、初めて見たかも。
やばい、可愛い。
「ちょ、何で離してくれないんですか」
「照れた理由聞かせてくれたら離してやるよ」
「うう…照れてなんかないっすよう…」
どうあっても俺が離れないと悟ると、名字は胸の前で両の人差し指をこねこねしながら言った。
「引き寄せてくれたときの力が、あんまりにも強かったから」
「痛かったか?悪いな」
俺の言葉に、名字は片頬をふくらませてちらりと睨んできた。
「…意外と男らしくてかっこよかっただなんて口が裂けても言いませんよばあああか!」
へ、と口が間抜けに開いた瞬間に名字がするりと逃げ出した。ぱたぱたと階段を降りてゆくその顔はさっきなど及びもつかない真っ赤っかで。
俺は思わず口に手を当てた。そうしなければ笑みが洩れてしまうから。
『かっこよかった』
「うわあ…」
名前の顔と一緒に思い出せば、心臓の高鳴りは増すばかり。
ひとしきりそこで余韻に浸った後、急に名字に会いたくなった。
早く、後を追いかけよう。
しまりのない顔をぐっと引き締めて、俺は階段を駆け下り始めた。
魔法の言葉
「名前」
そう呼んでやれば、お前はどんな顔をするだろうか。
――――――――――――
整理してたら見つけたのでアップしてみます。
どうなんだろう、これ。
2012.1.1
bkm
▲top