★
虚像に嫉妬
俺のファン第一号は、幼稚園小学校中学校と机を並べてきた、幼なじみだ。薫よりも早く夢を打ち明け、それ以来、俺のことをずっと応援してくれている。その親交は念願叶った今でも変わらず、たまに電話したり、極々たまに会って話したり。芸能界の話をしてやれば、ただの大学生には興味深い話題なのだろう、楽しそうに聞いてくれる。
俺たちの仲は、何の問題もないように見える。
しかし実際、俺はあいつとの関係で悩んでいることがあった。
一つ宣言しておくと、俺は名前のことが好きだ。いつからとは思い出せないが、あいつが俺のファン第一号であるように、あいつは俺の片思い第一号だ。初恋相手という奴。そして俺たちの友情が変わらないように、俺の恋心も霧散する気配など微塵もないようだ。
そしてもう一つ言っておけば、ファンと明言しているからして名前は好きな人の名前を公言してはばからない。その名前は、『翔ちゃん』――しかし、しかしだ。あいつは俺と話すとき、俺のことを「翔くん」と呼ぶ。だけどアイドルとしての俺を呼ぶときは、「翔ちゃん」と口に出すのだ。
それってつまり、公私の俺が名前の中ですっぱり分かれてしまっていて、尚且つあいつが好きなのは『公の俺』ということなんじゃないだろうか。
ああ、やきもきする。
「名前、彼氏とかいなかったのか?」そう尋ねたことがある。すると彼女は電話越しに明るく笑い、
「うち、翔ちゃん一筋だし」
と言った。しかしこのとき既に呼び分けの法則を発見していた俺は、何とも言い難い複雑な気持ちに陥って軽く後悔することになる。
好きだと伝えればよいのだ、そんなことは百も承知だ。多分、あいつは俺を拒むことはない、と思う。断定できないのはそれでもどうしようもない不安がそこにあるからで、「アイドルの翔ちゃんは好きだけど、翔くんをそんな目で見たことないし」なんて言われようものなら、もう立ち直れなくなってしまいそうだ。
「はああ…」
『何、どしたのため息なんかついて』
ごちゃごちゃと考えた末に俺は盛大なため息を漏らし、ベッドに寝転がった。『話聞いてた?』と不機嫌な声になる名前に、適当に返事する。
畜生、人の気も知らないで。
そもそも名前が電話をかけてくるのが悪いのだ。いや、嬉しかったけど。だけどこれが無かったら、ここまで悶々とすることも無かったんだよなあ。
『そんで、この前のライブで翔ちゃんグッズを新しく買っちゃったわけよ』
「あーはいはい、アリガトウゴザイマスー」
『…何、翔くん不機嫌なの?』
ほら、また呼び方が分かれた。
『悩みがあるなら話してみんさい。えっへん、竹馬の友よ』
「竹馬で遊んだこと無いけどな」
『それは言わない約束でしょー』
からからと笑う名前に、打ち明けてしまおうかという気持ちがわいてきた。全部じゃない。ぼかして、それとなく探りを入れるのだ。
「…好きな奴がいるんだけどな」
俺は、ぽつりとつぶやいた。
「そいつは、全然俺なんか気にしてない感じで、…あるアイドルのことが、大好きみたいなんだよ」
『…ふむ』
「俺のこと見てもらうには、どうすればいいと思う?」
心臓が早鐘を打っていた。そのせいで、名前の様子が少し変わったことにも気づかなかった。
『…好きになるって、ある種洗脳的な部分があるんだよね』
「洗脳?」
『うん。例えばさ――翔くん、自分のことを嫌ってる人を好きになれる?』
「…いや」
『でしょ。だけどその逆なら、大いに好きになる可能性が出てくるよね』
名前はまた笑いながら、『だからさ』と続ける。俺はその中に隠されていた無理矢理さを見つけることができなかった。
『好きだって、言ってごらんよ』
「告白ってことか?」
『まあ、そうなのかな。とにかく、その人に自分の好意を知らせるの。…翔くんぐらいかっこよかったら、大抵の子はすぐに落ちるよ』
好意を、知らせる。
確かに、意識させるためには一番手っ取り早い方法だ。告白は、決してゴールじゃない――のだから。
ならば。心を決めて、名前の名を呼ぼうと声を出しかけたとき。
『あーでも気をつけてね。まあ翔くんにはないと思うけど、それでもだめな場合はあるんだから』
「あ、うん」
『うちみたいに、さ』
――え?
その呟きに、一瞬思考が停止する。
『んじゃ、頑張りんさいよー』
「あ、ま、待てっ!」
固まった隙に名前が電話を切りそうだったので、急いで呼び止める。
『何』
「お前、好きな奴いたのかよ」
『…っ、今更ですかそーですかぁ…っ』
名前の様子がおかしい。
なんだか声に、しゃくり声が混ざってきた気がするんだが。
おい、名前?そう恐る恐る声をかけてみると、怒ったような、しかし涙混じりの声で怒鳴られた。
『あのね、さっきうちのことばっさりフっといてその質問はありえないから!』
「お、おい、待てって」
話が見えなくなってきた。
俺が名前をフる?
いや、ありえない。
『うちのことはほっといて、さっさとその子に電話すればいいでしょうが。うちは今まであんだけ好きだって言ってきた全てが無駄だったって気づいて超傷心中なの。失恋直後の女の子なんて知らんぷりしとけ馬鹿!』
俺が頭を混乱させている間に、今度は口を挟む間もなく電話がぶちきられた。つーつーという音を聞きながら、ゆっくりと思考を現実に引き戻す。
えーと、なんだ。
俺が恋愛相談して、あいつが失恋直後ってことは。
名前は、俺のことが好き?
「まじかよ」
あいつが好きなのは、アイドルとしての俺じゃなかったのか?もしかしたら、俺は何かを勘違いしていたんだろうか。俺はあいつと、両想いなのだろうか――
気づいたときにはリダイヤルしていた。ぷるる、ぷるる。発信音を聞きながら、胸がドキドキと高ぶっていく。
『…』
「好きだ」
文句でも言おうとしたのか、あいつが息を吸い込む音が聞こえた瞬間に、俺はそう告げていた。
『…番号お間違えです』
「間違えてない。俺は名前が好きだ」
嘘だ、と名前の口から声が漏れる。その口調に、確実な手応えを感じながら、俺は言葉を続ける。
「お前さ、何で俺のことちゃん付けとくん付けで分けるんだよ」
『はい?』
「そのせいで俺、確信持てずに困ったんだからな」
知らず知らず、携帯を握る手に力が入っていた。
『だって、ファンはちゃん付け基本装備だし』
「アイドル来栖翔だけしか好きじゃないとか、そんなことは無いよな?」
そう問うと、『はあ?』という声が返ってきた。
『アイドル以前からずーっと好きだったし!』
「そっか、よかった」
『って、な、何言わすのさ!』
あたふたしている名前への愛しさに、不意に心がいっぱいになる。ああ、なんで電話で告白しちまったんだろう。直接言えばよかった。それなら、今すぐに名前を抱き締められたのに。
「さっきは誤解させて悪かったな」
『…イマイチ状況が飲み込めないんだけど』
「だから、今日からお前は俺の彼女だってこと」
『…きょええ!』と奇声をあげた名前に笑い声を響かせ、最後にそっと囁いて電話を切った。
「今夜は俺様の夢見ろよ」
虚像に嫉妬
翌日、名前からメールが届き、『夢で翔くんにファーストキス奪われたもうお嫁にいけないしくしく』と書いてあったので、『どうせもうすぐ実際に奪われるし、そもそも俺がもらってやるから心配すんな』と返した。
再会の日を、今か今かと心待ちにしている。
――――――――――――
はい、長いですね!
初めは捧げもの用に書き始めたのですが、見事に趣旨からはずれたので別口で書き上げました。長い上にわけわからんというね。時間があいたら加筆修正したいです。
2011.12.29
bkm
▲top