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君不足/君満足
ちゅう。
ぷちゅっ。
むちゅー。
わたしたちのキスには、どんな擬音も当てはまらない。
静かに柔らかな感触がおりてきて、わたしの唇に触れる。目を閉じたままそこから伝わる熱を感じ、やがて全身に巡る頃、同じように静かに離れてゆく。
互いの鼓動と衣擦れの音、それ以外に聞こえるものは、この次に発せられる言葉。
「足りねえ」
そうしてまた、同じことが繰り返されるのだ。
寝ようとしていたところに突然鳴らされたインターホン。パジャマのままのぞき穴から確認すれば、そこにいたのは現在超人気を博している翔くんの姿。
ファンには絶対知られちゃいけない、恋人という関係をわたしたちは築いている。だけどそこは人気アイドル、あまり二人で会う時間もとれない。この前会ったのは一ヶ月前、事務所ですれ違った程度だ。
慌ててドアを開けると、疲れた顔をした翔くんは一回り大きくなった手のひらでわたしの頬を撫で、肩を抱き寄せた。されるがままに翔くんに寄りかかると、とても優しい手つきで、しかし力強く抱きしめられた。ああ、この温もり。一体いつから感じていなかっただろう。
おかえりなさい。暖かさに包まれたままそう呟くと、翔くんはうんとかああとか唸るような返事をして、手を顎にかけた。
わたしたちの身長差は無いに等しい。とはいえ、今の翔くんは底上げ靴を履いている。玄関だからこそできる芸当。翔くんはわたしをのぞき込むようにして、優しい笑みを浮かべた。
「ただいま」
顎が持ち上げられると同時に、目を閉じる。目を閉じると、なんだか他の感覚が鋭くなる気がする。翔くんの匂い。心臓の音。そして他では味わえない、幸せを伴う感触。
なかなか会えなくたって、そんなことは気にならなくなるほどに、翔くんの口づけは甘いのだ。
わたしだけが、知っている。
だけどなんだか今日は様子がいつもとは違った。長い長い口づけは、わたしの息をどんどん奪っていく。こんなに長いのは初めてだ。翔くんはいつも苦しくないように短めのキスしか落とさない。
「…っふぁ…」
やっと離された唇からは、そんな息とも喘ぎともとれるような音が漏れた。息が弾む。心臓が必死に酸素を供給する。髪が優しく梳かれた。まだ少し湿ったままの髪の毛を肩口から払いのけて、翔くんは再びわたしの目の前でじっと見つめた。
「足りねえよ」
「ん、…っ」
翔くんは、餓えている。そんな風に感じるような、打って変わった強引なキス。
お腹が空いたときにちょっと何かを食べると、逆に空腹が進行することって、あるよね。多分、今の翔くんがまさにその状態に陥ってるんだと思う。自意識過剰でなければ、翔くんはわたしが足りなくて、空腹で、だからこうして満たされようとしてるんじゃないかって、そう思っちゃう。
それって、嬉しい。
噛みつくような口づけは短く、そしてほとんど間隔をおかずに繰り返された。一番おいしい場所を探るように、時折リップ・ノイズを混ぜながら。わたしは翔くんの腰に腕を回して、気の済むまでつきあう覚悟を示す。
ちう、と吸いつくようなキスが終わると、また間があいた。目を開ける。翔くんは再びわたしをぎゅうと抱きしめた。お互いに体が火照っている。背後には明るくて広い空間があるのに、こんな場所でこんなことをしているわたしたちは、なんだか背徳的に思われた。つつ、と翔くんの指先が背中をゆっくりと伝う。自然と背筋が張りつめるのを感じて、彼はかすかに笑った。
「何よ」
「可愛いな、名前」
「ばか」
うん、馬鹿かも。そう言う翔くんに思い切り抱きついてやれば、また楽しそうに笑い声をあげた。
そして不意に笑声は止み、ぽつりと「名前」名を呟かれる。
翔くんは、ずるい。
子供っぽいのか、大人らしいのか、わかりゃしないんだから。
その声はまるで、狂おしいまでの情念が濃縮されているようで。
だから、お返しにわたしも「翔、くん」名を呼んでやる。
翔くんは、わたしの肩に顔を埋めた。
「名前が、足りねえんだ」
「…うん」
「ずっと、お前がいなくて」
わたしは手を伸ばし、柔らかな金髪に触れた。後頭部を撫でてやる。
「全然、足りなくて」
「わたしも」
撫でながら、翔くんのいなかった時間を思い出した。一人きりで過ごす日々の、なんと空虚なこと。
「翔くんが、足りなかった」
もう、言葉はいらなかった。
翔くんは顔をあげる。わたしはかすかに横を向く。ふっと、目だけでほほえみを交わして。
どちらからともなく唇を寄せて、また熱を伝えあった。
君不足/君満足
二人の夜は、長い。
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アンケリク「めっちゃちゅーする」でした。お叫びください、「このリア充!」と。
なんかこのあと裏突入する気まんまんですねこいつら。
2011.12.6
bkm
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