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ホウセンカ
「おっとやー!」
「ああ、名前。やっほー」
ぶんぶんと中庭の向こうから手を振るパートナーの姿を見つけて、同じように腕を上げて挨拶に代える。
そのまま小さな体でずどどどと走ってきたので、俺も足を止めて彼女を待った。
「おとや、おとや!」
「はいはい、どうしたの?」
名前は全力疾走のせいで息切れを起こしながら、もう一度「おとや、」と言った。
その響きは、俺の心に密やかな高揚をもたらす。まさしく弾けるような眩しい笑顔は、俺の心に幸せをもたらす。
いつしかこんなにも好きになってしまった名前の頭をなでながら、「落ち着いてからでいいよ」と声をかけた。
すうう、はああ。小さな体に大きく息を吸い込んで深呼吸し、名前は目を輝かせた。
「あのね、おとや、あのね!」
「うん」
「いいメロディーが浮かんだの!来て来て聞いて!」
「お、マジ?」
ぐいと袖を引かれるままに、俺は名前について歩く。実際には名前は小走りしているのだが、足の長さが差をもたらした。
「ああ、消えちゃう、おとや早く!」
「はいはい」
「はいは一回だよ!」
「うんうん」
「も、もう…」
ぷくっと膨らんだ名前の頬。拗ねたときの彼女の癖だ。
袖を引く力が緩まり、目的地に着いたことを知る。そこは数あるピアノ室の一つだった。
札を使用中と書かれた面にひっくり返し、中に入る。素早く名前はピアノの前で椅子の調整をし、飛び乗った。俺もその隣に立つ。
名前はいくつか鍵盤をポーンと鳴らしてから、「よし」と呟いて目を閉じた。
流れた音は、ほんの数節分しかなかった。
けどそれは、俺の心に真っ直ぐ降りてきて、一瞬にしてとても大切なフレーズの一つに変わった。
「ど、どう?」
「すごく、名前らしいよ」
頭の中で反芻させながら、わくわくして見つめてくる名前に笑顔を返す。
「やったあ!」と無邪気に喜ぶ名前の頭に再び手を載せ、よしよしと撫でた。
名前を撫でるのは好きだ。那月みたいに何も意識してなかったあのころなら、それ以上の接触も可能だったかもしれない。
だけど、気づいちゃったんだよね。
俺は笑う名前が好き。拗ねる名前が好き。喜ぶ名前が好き。見たこと無いけど、泣く名前も、怒る名前も、きっと大好きだ。
「ふふー」
「ね、もっかい弾いてよ」
「おーけー」
ピアノを向いた名前から手を離し、目を閉じてその音を脳裏に焼き付ける。ららら、と鼻歌程度に口ずさめば、既に音が喉に馴染んでいることに気がついて驚いた。
「おとやの歌声、イメージと全く一緒だよ」
「ほんと?」
「うん!まあ、おとやのこと考えながら作ったおとやの曲だから、当然かなあ」
――――!!
不意打ちでそんなこと言われると、心臓が跳ねとんでしまいそうになる。
俺のことを考えながら、かあ…
パートナーだからっていう立派な理由があるけれど、そんなの差し引いたってお釣りがでるくらい嬉しい言葉だった。
重症だとマサに言われるのも仕方ないかもね。
へへへ、と笑った俺に、名前はきょとんと首を傾げた。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないよ」
こんなに真っ直ぐ誰かを思ったことなんて、初めてだ。
もう一度、らららと口ずさむ。
「名前、もっかい」
「はーい」
素直にピアノに手を伸ばした名前の指が、白鍵を押さえようとした瞬間、俺は息を軽く吸い込む。
――キミへの思いが弾けてる
――まるでこの恋、
"ホウセンカ"
その数秒、世界には俺たちしかいなかった。
――――――――――――
アンケより「ピュア音也」でした。
作詞ワカリマセン。適当もいいところ…
わたしには珍しい無邪気ヒロインでした。
2011.10.18
bkm
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