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ヤマアラシのジレンマ
「ヤマアラシのジレンマ、って知ってる?」
散歩途中に遭遇した名前とベンチで雑談していたとき、不意に彼女はそう言った。
聞き覚えのない言葉だったので、いや知らねえ、と返した。
「ある山の中で、二匹のヤマアラシが暮らしていました。あの、とげネズミみたいな奴ね。季節は冬、寒さを防ぐ手段のない彼らは、震えが止まりません。だからお互い身を寄せて、暖め合うことを望みました」
「えらくもったいぶった言い方だな」
暖め合いました、で話が済むんじゃないのか?
俺の疑問が通じたか、彼女は寂しそうに笑った。
「しかし、できませんでした。彼らには針があります。それは絶対の領域でした。身を寄せ合おうとしても、互いに互いを傷つけてしまうだけなのです。――っていう話、なんだけど」
「それは…」
悲しい話だ、と思った。生きてゆくための武器である針は、仲間を遠ざけるものでもあった、なんて。お互いを想い合うからこそ、近づけなかったなんて。
「俺たちと、同じだってことか」
「そういうこと」
突然話の逸れた意図が、ようやく掴めた。俺はベンチのもう一方の端に座る名前を見つめる。この距離のもどかしさは、互いに感じているところだ。
だけど、詰められない。
近づけない。
これ以上近づけば、俺は感情が爆発してしまう気がするのだ。好きだと気づいてから、同時に絶対に告げちゃいけないと知ってから、溜めに溜めた思いをぶつけてしまいそうなのだ。
そうなれば、俺たちの夢は潰え、終わる。
「俺らの針は、叶えたい目標…か」
「うん」
恋愛禁止が無ければ、と何度思ったことだろう。けどそれは現実逃避でしかなく、結局はジレンマを抱えていくしかないのだ。
その距離、20センチ。
「わたしはずっとジレンマを続けるよ、翔ちゃん」
さんさんと降り注ぐ太陽の日差しに目を閉じながら、名前が言う。
日の光を一身に浴びたその姿は、とても綺麗だった。
「解消される日を、待つよ。じっと、ずっと。だから――」
「だから、俺も我慢する」
言葉を続けると、名前は目を閉じたまま、静かに微笑んだ。
その頬に手を伸ばしたくなる欲求に駆られたが、ジレンマが発動し、俺は悔しさを隠すためにぎゅっとこぶしを握りしめた。
ヤマアラシのジレンマ
大好きだから、離れなければならない、なんて。
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ヤマアラシのジレンマでした。
確か最後には互いに傷つけず、ほどよく暖かくなる距離を見つけるんだった気がします。
2011.09.19
bkm
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