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08
「……あ」
「やあ、おはよう」
朝。先に食堂へ向かったルームメイトを半ば追いかけるようにして歩いていたところ、神前さんに会った。この前知り合ったばかりの、翔のパートナーだ。
彼女は俺の顔を見て何かを言いたそうにする。だけどなぜか口から言葉は出てこないで、あわあわと困った顔をするばかり。
どうしたんだろう。
「…あ、て、手帳…」
思い出したように、鞄から手帳を引っ張り出してページをめくる。
「……ぁ、あった」
目当てのページを見つけたらしい。このあたりで俺は彼女の混乱の理由がわかってきた。
名前、覚えてないんだな。自己紹介の時も目を回してたし。
俺は割と目立つ容姿をしていると思うので、手帳を見れば一発でわかるはずだ。
頑張れ、神前さん。
「えと、えぇっと…」
しかしまだ慌てたままの彼女。何度もこっちと手帳を見比べ、泣きそうになっている。
「どうしたの?」
見かねて助け船を出すと、神前さんは救われたような表情になって、「こ、これっ、これ」とどもりながらページを開いた。どれどれ。のぞき込むと、問題の箇所を指で示される。
『一十木音也 赤い奴』
翔のメモ書きがなかなかひどかった。そうか、翔は俺をこんな風に認識してるのか…。
「ぶ、不躾ながら、…な、なんとお読みに…なる、のでしょうか」
「ああ」
俺の名字が読めなかったのか。
「いっとき。いっときおとやだよ」
「いっ、いっと、き、いっとき、くん」
「…言いにくかったら、音也でもいいよ」
「おと、や。音也、くん。音也くん、うん」
納得がいったのか、俺の顔を見ながらぶつぶつと呟き、頭に情報を擦り込んでいるようだ。
この子、面白い。
「音也くん」
「ん?」
呟きではなく呼びかけのトーンだったので、返事をする。舞衣穂ちゃんはぺこりとお辞儀をして
「音也くん、おはようございます」
彼女は結局挨拶がしたかっただけのようだ。
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bkm
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