薄桜鬼長編 | ナノ


剣があれば、それでいい



剣を握らなかった日は無かった。

物心ついたときから遊び道具として許されていたのは、竹刀くらいのものだった。由緒ある名門剣道場の跡継ぎとして、厳しい鍛錬を課せられてきた。それが当然だと思っていたし、その生き方しか知らなかった。周りの男たちと体つきが違うのはまだ自分が子供だからだと思っていたし、疑問など一片たりとも感じたことはなかった。他の子供を近くで見たこともなかったために、自分の異様さにも気づけなかった。寺子屋の存在すら知らなかったし、読み書き計算は使用人が教えてくれた。ただ彼らが自分に向ける不思議な視線を不快に思いながら、いつか立派な道場主となるために、剣のみふるって生きてきた。

母上は自分が数えで五つの時に死んだ。自分はあまり母上のことを覚えてはいないのだが。使用人の噂によれば、自分を産んだ後の後遺症のようなものがその原因だったらしい。母上の葬式に出ることは許されなかった。だから一人屋敷で木刀をふるっていた。涙は出なかった。母上の死をはっきりとは認識していなかった。母上の記憶はいっさい残っていない。父上は自分に、母上のことは忘れろと言った。だから自分は刀をもっと長く振っていられるように鍛錬した。

数えで六と半の春、父上が後妻をお迎えになった。彼女のこともあまり覚えてはいない。少なくとも、好かれていたという記憶はない。彼女が自分を見る目つきは、まるで犬畜生を見るようなものだった。それだけは確実に覚えている。そんな視線は既に慣れているものだったので、自分は継母君に何を言われようとも、ただただ剣をふるっていた。

その翌年の秋、継母君がお産を迎えた。産婆が血だらけの赤子を産湯につけて汚れを取り除いてゆく。『立派な男の子ですよ』産婆が言った。自分は《男の子》をそのとき初めて見たのかもしれない。自分は《男の子》だと言われて育ってきたはずだった。父上や使用人についているものが自分に無いのは歳のせいで、いずれ自分にも生えるものだと思っていた。実際、父上はそう仰った。しかし赤子には生まれたそのときからそれがついていた。自分にないものを持っていた。そのときはじめて、自分の中に一筋の疑問が生まれた。だけどそれを父上に尋ねるのは気が引けたから、木刀を丁寧に磨いた。

齢十三、弟と並んで剣を振った。他道場の集まりに、初めて連れて行ってもらった。同年代の跡取りたちは皆気位が高くて好かなかった。自分は隅の方で、係稽古の順を待っていた。跡取りたちとの軽い模擬試合では、自分が勝った。父上に褒められて、とても嬉しかった。屋敷に帰ると、父上が一振りの日本刀をくださった。身の丈にあった素晴らしい刀だった。以後稽古ではその刀を振るうようになった。
その翌日、尿に血が混じるようになった。しかし三日ほどでそれは止まったため、あまり気にはとめなかった。しかし一月に一度、そのように出血と鈍い痛みが伴う日が来るようになった。

そして年齢を重ねて数えで十九、弟が十か十余りになったある日、自分は弟に一本取られた。完璧な一本だった。真剣ならば、間違いなく死んでいた。十離れた弟は、いわゆる天才であった。剣に馴染むこと自分より深く、斬り込むこと自分より鋭し。目に宿る光は紛れもない剣客のそれであり、自分は弟に抜かされたと直感した。そしてそれは当たっていた。その夜、道場に呼び出された自分と弟に、跡継ぎの交代が告げられた。予測していたとはいえ、ただそれだけのために生きていたことをあっさりと翻され、自分は体に大きな穴が開いたと錯覚すら覚えた。その後弟を部屋に帰し、自分だけが残された。そこで父上が仰った言葉は、自分の心の穴をさらに押し広げるものだった。

『これからは、女子として生きるが良い』
『は、――?』

理解できなかった。おなご、という言葉。おのこ、ならば幾度となく聞かされてきた。主は男の子なのだから、泣くでない。もしや聞き間違えかもしれぬ。問い返せば、父上はいつもの厳しい目で自分を睨みなさった。

『気づいとるだろう。お前は女子だ。男子ではない』
『え…父上…』
『お前の母親は体が弱かった。二人目は無理と判断し、お前に剣を握らせたが…』

弟が生まれた以上、お前は必要ない。父上の言葉は、どんな突きよりも深く喉元をえぐった。

『明日には女の着物を仕立てさせる』
『俺、は』
『女が俺などと言うてはあかん』
『…っ、自分は』
『女の生活に慣れたら、伊左次の息子と見合いじゃ。ええな』

自分はその夜のうちに家を出た。愛刀といくばくの衣服、少ない路銀を風呂敷に詰め、こっそりと屋敷を出て行った。そうするしか、自分が生き残る道はないと思った。おなご、など。自分には関係ないと思っていた生き物がまさに自分だったなど。父上は多分出奔に気がついておられた。知っていてあえて自分を逃がしたのだ。自分はもう、あの家にとっては不要因子に過ぎなかった。

飲み食いもろくにせず、ある噂を伝手にして、自分は京へ上った。最近上京した命知らずの剣客集団。そこならば男として斬り合いの果てに死すことも可能だと思った。無礼として斬り殺されることもまた望むところだった。全てを失った自分はそれでもなお、ただ、死ぬまで剣を手放すことだけは、絶対に嫌だった。




剣があれば、それでいい



流れ出る真っ赤な血以上に暖かいものがあるなど、知らなかったのだ。





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